海外競馬ニュース 2022年09月01日 - No.32 - 4
国際的に活躍した種牡馬モアザンレディが25歳で死亡(アメリカ)[生産]

 モアザンレディ(25歳)はウィンスターファーム(セントラルケンタッキー)の種牡馬事業が発展する基礎を築いた種牡馬で、その世代では最も影響力のある国際的な種牡馬の1頭だった。しかし8月26日の朝、同ファームにて老衰のため安楽死措置が取られた。

 モアザンレディ(父サザンヘイロー 母ウッドマンズガール 母父ウッドマン)は北半球でも南半球でもエリート種牡馬となった稀有な存在である。世界でブラックタイプ勝馬216頭を送り出し、そのうち128頭は北半球のブラックタイプ勝馬であり(競走年齢に達した産駒の6%)、7頭が最優秀馬に選出された。また90頭が南半球のブラックタイプ勝馬であり(競走年齢に達した産駒の5%)、6頭が最優秀馬に選出された。

 ウィンスターファームの社長・CEO・レーシングマネージャーを務めるエリオット・ウォルデン氏は、「モアザンレディは関わるすべての人を感動させた素晴らしい馬でした。私たちの牧場で特別大きな馬ではなかったかもしれませんが、それを補って余りあるほどの能力・バランス・性格を持ち合わせていました。風貌にすべてが現れていましたね。彼がいなくなってとても寂しくなります」と語った。

 モアザンレディの影響は何世代にもわたって感じられることになるだろう。2001年~2019年に19シーズン連続で豪州のヴァイナリースタッドに送られ、これまでで最も多く両半球を行き来したシャトルスタリオンだったからだ。

 モアザンレディの約50%を所有していたヴァイナリースタッド(NSW州スコーン近郊)の場長、ピーター・オートン氏は以前本誌(ブラッドホース誌)のインタビューで、モアザンレディはすごく旅慣れた馬で、同スタッドで最も穏やかな種牡馬だったと話していた。

 「長年にわたり彼はシャトルされてきましたが、一度も問題を起こしたことがありません。それでも輸送する際にはいつも、彼のことを熟知した厩務員を同行させていましたね。毎年ヴァイナリーに到着すると、馬運車からチョコチョコ降りて少し周囲を見回してから自分の馬房に入って落ち着くのです。そして囲い放牧地に出るとリラックスします。まるで一度もそこを離れたことがないように振る舞うのですよ」。

 オートン氏は、休みなくシャトルされていたことがモアザンレディの長寿の秘訣の1つだったのではないかと考えている。

 「シャトルされることは輸送がスムーズであれば、実際は種牡馬にとって良いことなのです。多くの種牡馬はオフシーズンのあいだに死を迎えます。注意深く見守ってやらないと、時には8ヵ月ぐらい運動しないこともあり、あっというまに太りすぎて、しばしば蹄葉炎など脚部の疾病を患ってしまいます」。

 トム・サイモン氏のヴァイナリースタッド(セントラルケンタッキー)で、モアザンレディは2001年に種牡馬生活を開始した。初年度の種付料は2万5,000ドル(約350万円)。しかし2012年、サイモン氏は米国にある生産・調教事業体を閉鎖すると発表し、種牡馬7頭をウィンスターファームに移籍するよう手配した。その7頭とは、モアザンレディ・パイオニアオブザナイル・コディアックカウボーイ・マイモニデス・コングラッツ・ピュアプライズ・ストリートヒーローである。

 ウォルデン氏は以前本誌のインタビューでこう語っている。「モアザンレディを手に入れるためにそれらすべての馬を引き取ることに合意しました。モアザンレディはすでに名種牡馬でした。そのような馬はなかなか手に入りません。種牡馬群に加えることができれば幸運なのです」。

 ウォルデン氏がG1馬ブラームスを通じてサイモン氏と以前につながりのあったことから、このモアザンレディの移籍話は持ち上がった。ウォルデン氏が調教したブラームス(父ダンジグ)を、後にサイモン氏が種牡馬として購買していたのだ。そしてサイモン氏はヴァイナリースタッドを閉鎖すると決めたとき、種牡馬の共同所有者に対して後継供用先としてウィンスターファームを薦めていた。

 モアザンレディは現役時代、2歳時に早熟さと強さを見せつけた。ジム・スカトゥオーキオ氏により所有されたモアザンレディはトッド・プレッチャー調教師のもと、1999年にキーンランドでのデビュー戦を7½馬身差で制した。その後、ベルモントパークの5½ハロン(約1100m)のコースレコード1分2秒56をマークしたトレモントS(G3)やサンフォードS(G2)などで勝利を挙げブラックタイプ競走4連勝を達成した。しかしフューチュリティS(G1 ベルモントパーク)では優勝したベヴォから½馬身離された3着に終わった。

 3歳時にはルイジアナダービー(G2)で2着、ブルーグラスS(G1)で頭差の2着となり、ケンタッキーダービー(G1)では4着に健闘した。その後も相変わらずウィナーズサークルには到達できなかったが、距離を7ハロン(約1400m)に短縮してパット・デイ騎手を初めて鞍上に迎えて挑んだキングズビショップS(G1)で1½馬身差の勝利を決め、ようやくG1制覇を成し遂げた。プレッチャー調教師にとって初のG1馬となったこの馬は2000年秋に通算成績17戦7勝(2着4回、3着1回)で引退。獲得賞金は102万6,229ドル(約1億4,367万円)だった。

 種牡馬としても同様に早いスタートを切った。2004年フレッシュマンサイアーランキング(産駒獲得賞金別)で10位内に入り、2005年セカンドクロップサイアーランキング(ステークス勝馬数)では13頭のステークス勝馬を出した首位のフサイチペガサスにはかなわず、12頭でリーディングサイアーのジャイアンツコーズウェイと並んで2位となった。

 モアザンレディは2005年、牝駒キャリーオンキューティーのシャンペンS(G1 ランドウィック)優勝により豪州で初めてのG1馬を送り出した。その年には、牡駒ベニチオもヴィクトリアダービー(G1)を制してG1勝利を挙げることになる。

 北米において、モアザンレディはG1馬よりも先にブリーダーズカップ競走優勝馬2頭を送り出した。牝駒モアザンリアルが2010年BCジュベナイルフィリーズ(芝G2)、牡駒プラックが2010年BCジュベナイルターフ(芝G2)を制したのだ。

 その後、バスターズレディが2011年マザーグースS(G1)を制したことで、北半球で初めてG1馬を出した。この年はモアザンレディにとって極めて重要なものとなった。ヴァイナリーの自家生産馬リーガリーレディがニアークティックS(芝G1 ウッドバイン)とBCターフスプリント(芝G1 チャーチルダウンズ)を制したことで、2頭目のG1馬と3頭目のブリーダーズカップ競走優勝馬を送り出すことになったのだ。

 モアザンレディは最多のブリーダーズカップ競走優勝馬(7頭)を送り出した種牡馬である。その中には、2017年と2018年のBCスプリント(G1)を制したロイエイチ、2019年BCマイル(芝G1)で優勝したユニ、2017年BCジュベナイルフィリーズターフを制覇したラッシングフォールが含まれる。

 モアザンレディは種牡馬生活において数々の極めて偉大な功績を成し遂げており、史上最年少でステークス勝馬100頭と勝馬1,000頭を達成した種牡馬の1頭である。2010年に北米2歳リーディングサイアーに、2007~08年度と2008~09年度に豪州2歳リーディングサイアーに輝いた。また12ヵ国で重賞勝馬、7ヵ国でG1馬を送り出しており、北米の種牡馬としては史上最多のブラックタイプ勝馬216頭を送り出している。世界全体において、産駒の獲得賞金は2億1,900万ドル(約306億6,000万円)以上に上っており、重賞勝馬100頭とG1馬26頭(北半球12頭・南半球14頭)を送り出している。

 モアザンレディは2017年~2020年まで毎年エクリプス賞の受賞馬を送り出した唯一の種牡馬である。2017年と2018年に最優秀短距離牡馬に選ばれたロイエイチに加えて、2020年にラッシングフォール、2019年にユニが最優秀芝牝馬に選出された。

 ウィンスターファームの種牡馬マネージャーであるラリー・マッギニス氏は以前本誌のインタビューでこう述べていた。「ヴァイナリーから種牡馬を引き継いだときから、彼の世話をしてきました。彼は頼りにできます。銀行にお金を預けているようなものですよ。振舞いはぜんぜん変わりませんし、いつもうっとりするような見栄えです。本当に信じられないほど素晴らしい馬なのです」。

 モアザンレディの死後、マッギニス氏はこう語った。「私にとって偉大な種牡馬である以上に親密な友人でしたね。あのような素晴らしい馬の世話をするのは光栄なことでした。彼がいなくなって寂しくなりますね」。

By Eric Mitchell

(1ドル=約140円)

 (関連記事)海外競馬ニュース 2019年No.25「モアザンレディ、2019年も豪州へのシャトルを続行(オーストラリア・アメリカ)

[bloodhorse.com 2022年8月26日「Prominent International Sire More Than Ready Dies at 25」]