海外競馬情報 2023年06月20日 - No.6 - 5
懸念される馬獣医師の減少(アメリカ【獣医・診療】

 馬獣医学の世界は危機に直面しており、早急に軌道修正しなければ、ダメージは修復できなくなるかもしれない。
 何年も前から馬の獣医師は減少している。そのため、競馬産業は現場の獣医師の不足による影響を実感している。
 全米馬臨床獣医師協会(AAEP)の専務理事であるデヴィッド・フォーリー氏によると、AAEP は5~6年前から減少傾向に気付いていたという。
 「AAEPのメンバー数に基づくのがそれを知る一番の方法です。ここ数年はほぼ横ばいです。つまり、毎年新しいメンバーはたくさん入会しています。そして、より少ない割合で減少しています。しかし、メンバーの高齢化も進んでいるのです。また、実際にメンバー獣医師からの声も聞かれるようになりました。そこで、本当に注視するようになったのです」。
 減少の要因は入り組んでいる。高齢化だけでなく、教育や報酬、そしてさまざまなキャリアパスの存在を認識してもらう必要性などが挙げられる。
 競馬の公正確保・福祉ユニット(Horseracing Integrity & Welfare Unit:HIWU)の科学主任であるメアリー・スカレー博士はこう語った。「教育費は高騰しています。学部から獣医学部までのあいだに(学生ローンを組んで)30万ドル(約4,200万円)以上の負債を抱えて卒業する学生も珍しくありません。獣医師の初任給を考えると、何十年もかけて返済していくのは気の遠くなるようなことです。だから診療所を持つことも、家を持つことも考えにくいのです。険しい道のりです」。
 「USニューズ&ワールドレポート」のデータによると、2022-23年に州内の学位を取るには2万2,953ドル(約321万円)かかるとされている。一方、2020年の「ナードウォレット(Nerd Wallet)」のレポートによると、州内の獣医学部で博士号を取得するには24万7,455ドル(約3,464万円)もかかるという。そんなこんなで学生は全部で34万ドル(約4,760万円)近くを費やしているようである。
 そして卒業して借金を背負うことになると、仕事と生活をうまく両立させることもまた難しくなる。競馬場で勤務することになると、一日は日の出前から始まり、その日の競馬開催が終わるまで、あるいは夜まで働くことになる。
 スカレー博士は業界関係者(競馬場・競馬委員会・競馬協会・大規模牧場)に対して、新しい人材を獲得して引き留めておくために独創的な方法を見つけだすことを提案した。その1つが、教育費の一部を補助する代わりに何年か働いてもらうという方法だ。
 ただそれで競馬産業に若さが注入されたとしても、若い世代に居着いてもらうのはまた別の課題である。
 スカレー博士によると、小型動物の獣医師は以前から仕事と生活の両立の必要性を気にかけてきたという。その部門の獣医師の間では週休3日制などの対策が導入されているが、馬の獣医師とは違い、彼らには救急診療所があるのだ。
 AAEPのフォーリー氏は、「週5日~6日働いてきた年配の獣医師にとってはそれが当たり前になっており、若いメンバーはもっと生活への比重を増やすことを望んでいると思います。それが間違っていると言うわけにはいきませんね」と述べた。
 馬獣医師の減少に対する解決策を見つけだす必要性は新たに生じたものである。新しい問題には新しい答えが求められる。
 スカレー博士はこう語った。「昔からいる私たちのような者は一定の考え方しかできず、新しい考え方にどうやって適応すれば良いのか実際のところ分からないのです。新しい考え方とは、獣医師を2人雇って1人分の仕事をすることでプライベートな時間を確保し、子どもを送り迎えしたり球技大会に行ったりする時間を作って、仕事と家庭のどちらかを選ばなければならないという感覚を持たないようにするというものです」。
 「『私が若かったころは・・・』などと言うのはやめなければなりません。そんなことは話の前置きとしてはもう使い物になりません」。
 AAEPはアンケート調査を通じて、メンバーのさまざまな層が抱える悩みがどのようなものか把握しようとした。その結果により、AAEPは昨年「馬獣医師の持続可能性に関する委員会」を設立することになった。この委員会の中には「報酬」、「緊急補償」、「学生への働きかけ」、「インターンシップ」、「獣医師のあいだに根づいた文化」という特定の要素に焦点を当てた5つの小委員会が設置された。
 フォーリー氏はこうした取組みがすでに成果を上げ始めていると述べた。
 「一夜にして解決できる問題ではありませんが、獣医師がそれぞれのモデルを適応させている様子を目の当たりにしています。ある競馬場は新しい獣医師を4人雇うことができて私たちの取組みに感謝していると聞いています」。
 フォーリー氏によれば、AAEPが"誤情報"もしくは"煩雑な情報"による都市伝説に対して反証を行うことも戦いの一部であるという。
 たとえば米国獣医師会(AVMA)が発表した情報では、馬獣医師の初任給は約5万6,000ドル(約784万円)であるのに対し、小型動物を専門とする獣医師の初任給はほぼ倍の11万ドル(約1,540万円)だったとフォーリー氏は言う。ただしその情報には緊急の診療に対応した報酬は含まれていないため、馬獣医師の初任給は8万9,000ドル(約1,246万円)近くになるそうだ。
 フォーリー氏は、AVMAのデータは獣医学部に流されており、キャリアをスタートさせようとする学生の認識を左右するものであると付け加えた。それに多くの獣医学部では、特に馬の臨床医を志望する人々の場合にそうなのですが、存在するさまざまな就業チャンスについての議論を行うことをしません。
 「多くのクラスメートはそうした議論をしませんでした。『これはやるが、ほかのことはやらない』と言って獣医学部に進学しているのです。たしかに私もその一人です。規制医療の分野についてはよく考えたことがありませんでした。だから、現在有力な候補になるのは、その職業が本当に意味することをより広く捉えることができていて、それを示せる職業だと思います」。
 米国で屈指の獣医学部のいくつかに電話をかけても返事はなかった。
 AAEPは多くの大学に学生支部を設けている。そして馬獣医師が学生と面談して、どうすれば成功するキャリアを築けるかについて話すことを奨励している。ほかにもサラブレッド競馬界でのキャリアに興味を持つ若者と業界関係者をつなぐ『アンプリファイ・ホースレーシング(Amplify Horse Racing)』といったプログラムもある。
 スカレー博士によると、テネシー州からキーンランドを訪れた高校2年生の教え子の1人が獣医師から卒業後に就職するように勧められたという。
 資格をもつ獣医師の減少は、競馬場でも実感されていることだ。
 フォーリー氏は、「私たちは全米各地から、とりわけ競馬場から困難を極めているという報告を受けています。競馬場の診療医だけではなく、規制獣医師もです。働く人を見つけるのにとにかく苦労しているのです。だから今では以前よりもずっと多くのことに耳を傾けるようになりました」と述べた。
 スカレー博士は最近、ある競馬場で働く全人口に対してたった1人の臨床獣医師しかいないという状況を目の当たりにし、こう語った。
 「多くの獣医師が疲れていてイライラしているのは分かっています。本当に長い一日を過ごしていることも知っています。しかし、彼らが離職するのを見たことがありません」。
 どうすればこの流れを一変させて、若い人たちをこの職業に引きつけることができるのだろうか?
 スカレー博士はこう語った。「動物のための健康保険はほとんどないので、その健康管理は飼い主の直接的な自己負担になるのが一般的です。医学部とさほど変わらない学部に8年間通って卒業した人に適切な報酬を与えるには、ペットや飼い主にしわ寄せがいかないようなかたちでどこからお金を出せばいいのでしょうか?なぜなら『獣医師は動物が大好きで動物を救うためなら必要な費用とは関係なしに何でもするものだ』という大きな期待を背負わされているからです。そして、それが動物に対して義務を感じている多くの獣医師に、多大なプレッシャーやストレスを与えているのです」。
 フォーリー氏もスカレー博士も競馬産業が直面している懸念に警鐘を鳴らすには早すぎることはないと述べる。これは環境保護活動家たちの状況と似ていなくもない。彼らは危機感を募らせ、"もう引き返せない"という地球最後の日の時計のようなシナリオになってしまう前に、変化の必要性を認識しているのだ。
 スカレー博士は「もうすぐそこまで来ていると思いますよ。すでにそこに到達している競馬場もあると考えます」と付け加えた。

By Joe Perez
(1ドル=約140円)

[bloodhorse.com 2023年6月4日「Declining Number of Equine Vets a Cause for Concern」]