海外競馬情報 2021年09月22日 - No.9 - 4
競馬界の先見者、B・ウェイン・ヒューズ氏が87歳で死去(アメリカ)【その他】

 スペンドスリフトファームは8月18日、競馬界のパイオニア、B・ウェイン・ヒューズ氏が最愛の同ファームにある自宅で愛する家族に見守られながら静かに息を引き取ったことを発表した。

 長年にわたり競馬界の先見者でありリーダーだったヒューズ氏は87歳だった。業界内ではスペンドスリフトを再興させたことで最もよく知られていた。

 ヒューズ氏は21世紀の競馬界で最も有力な人物の1人で、サラブレッドの生産界と競馬界にいつまでも影響を与えるような幅広い貢献をしてきた。同氏は2004年にスペンドスリフトを購入し、カリフォルニア州の住まいと引換えに、ケンタッキー州レキシントンの牧場での生活を手に入れた。そしてすぐに、その歴史あるブランドと土地の修復に着手し、牧場の代表的な建造物のほとんどすべてを改修し、スペンドスリフトを発展性のある商業的な生産事業体に生まれ変わらせた。

 2008年には、競走馬として所有していた4頭を初めて種牡馬として供用した。その筆頭は今年5月に24歳でこの世を去った最も重要な種牡馬、マリブムーンだった。ヒューズ氏は種牡馬所有者と繁殖牝馬所有者のあいだのビジネス関係を革新的なプログラムを通じて根本から変えた。その最たるものが"シェア・ジ・アップサイド(Share The Upside)"であり、生産者に種牡馬の種付権利をボーナスとして与えるために同氏が考案した。ヒューズ氏の下で、スペンドスリフトのスローガンは"生産者のための牧場(The Breeders' Farm)"となった。そしてヒューズ氏は、一緒に働いた人々がよく口にしていた"生産者は私たちの産業の支柱だ"というモットーの下で活動していた。

 ヒューズ氏は2010年にシェア・ジ・アップサイドを立ち上げた際にこう語った。「生産者を大切にし、種牡馬所有者と生産者のあいだの取引の条件を公平にしなければなりません。ここには、牧場を所有していて仔馬を売ってお金を稼ぐチャンスを得なければならない人々がいます。私はできるかぎり最高の投資プログラムを提供する必要があります。生産者はこれらの種牡馬を作りだすのに関わったのですから、その成功にも関わるべきです」。

 ヒューズ氏がシェア・ジ・アップサイドのプログラムを通じて初めに提供した種牡馬は、自ら所有して出走させていたG1馬イントゥミスチーフだった。イントゥミスチーフは種牡馬ランキングのトップに瞬く間に上り詰め、今や世界で最も価値のある馬の1頭となっている。2019年と2020年には北米の総合的なリーディングサイアーに君臨し、2021年もこれまでで最速のペースで活躍している。

 カントリーライフファームのジョシュ・ポンス氏は、メリーランドで供用されていたマリブムーンをケンタッキーの伝説的な種牡馬にまで出世させたヒューズ氏との協力関係を振り返った。

 「ヒューズ氏は最高のパートナーでした。守れない約束は絶対にしないので、彼に約束してもらえれば、あとは何も気にしなくていいんです。彼はいろんなことにイエスとは言わなかったですね。それが彼の生き方でした。彼が"イエス"と言えば、それは"イエス"なのです」。

 「マリブムーンについてのパートナーシップを開始したとき、彼は2つの段落からなる同意書をファックスで送ってきて、『考えたのですが、この馬はメリーランドで供用するのが一番いいと思います。同意いただけるのであれば、このメモを送り返してください』とありました。私たちは弁護士を通さず、通常のいかなる精査も行いませんでした。信頼関係がありました。彼は私たちを評価し、私たちも彼を評価したのです」。

 「マリブムーンが成功するかどうかは大きな賭けでした。ヒューズ氏は、『4年間そこで供用して、彼をケンタッキーに帰ってこられるほど優れた種牡馬にしてください』と言いました。彼は最大限の能力を引き出そうとしたのです。それに『メリーランドに400頭の繁殖牝馬がいるのなら、400頭すべてをマリブムーンのもとに集めてください』とも言いました。私は『100頭集められればいいほうです』と答えました。しかし101頭を集めたところ、それらの繁殖牝馬はそれまでで最高の仔馬を産んだのです。彼はどうしてもマリブムーンをケンタッキーで供用したかったようで、私たちも彼のためにそれを実現したかったのです。兄弟のマイクと私は、彼が私たちに課した目標だと理解し、それを達成したのです」。

 「ビジネスにおける彼のレガシーについては、まだ完結したわけではありません。彼はさまざまにゲームを変えました。このスポーツに新たに多くの人々を呼び込み、私たち全員がその恩恵を受けているのです」。

 ヒューズ氏は馬主としても、イントゥミスチーフの近親馬で最高の成功を収めた。この偉大な種牡馬の半妹ビホルダー(リチャード・マンデラ厩舎)は、ヒューズ氏の有名な紫とオレンジの勝負服を背負って競走生活を送り、史上わずか3頭しかいないエクリプス賞を4回受賞した牝馬の1頭となった(2012年・2013年・2015年・2016年に受賞)。ブリーダーズカップ開催では3勝を果たし、G1競走を通算11勝して引退した。現在は繁殖牝馬としてスペンドスリフトファームで繋養されている。

 ビホルダーが総賞金100万ドル(約1億1,000万円)の2015年パシフィッククラシック(G1 デルマー)で牡馬を蹴散らし8¼馬身差の圧勝を決めた後、ヒューズ氏はこう語った。「これまで何頭かの優良馬を所有してきましたが、馬主であることは幸せだと感じさせてくれた最初の馬です。今までこんな気持ちになったことはありませんでした。これを誇りと呼ぶのだと思います」。

 ビホルダーが挑んだ26戦のうち16戦で手綱を取った殿堂入りジョッキー、ゲイリー・スティーブンス騎手はそのときのことをこう振り返る。

 「あれはすごい日でした。ヒューズ氏は馬主として本当の誇りを初めて感じたと言っていましたが、私も同じように感じました。とてつもなく誇らしかったです。その気持ちを共有できたことは、彼と一緒に経験した最も素晴らしい瞬間のひとつでしょう」。

 そしてスティーブンス騎手は、「ヒューズ氏はあらゆる産業のパイオニアで、とりわけサラブレッド産業のパイオニアです。彼の話を聞けば、誰もが多くのことを学ぶことができるのです」と回想した。

 殿堂入りトレーナーのマンデラ調教師は、親友となった競馬産業の巨人を偲んだ。

 「彼は実物よりも壮大な人でした。彼が亡くなったなんて想像できません。私たちはとてもよく笑い、楽しい時間を過ごしてきました。素晴らしい顧客だけでなく、仲の良い友人も失ってしまいました。そんな友人がいなくなったことに慣れるのはとても難しいでしょう」。

 「彼は私にとって、競馬だけでなくさまざまな意味でとても大切な存在でした」。

 2人が協力関係の初期に達成した成功の1つとして、2003年BCジュベナイル(G1)優勝馬アクションディスデイが挙げられる。この馬はその年の最優秀2歳牡馬に選出された。

 マンデラ調教師はこう振り返った。「"ヒューズ氏が数頭の2歳馬を管理してくれないかと尋ねていますよ"と教えてくれたのは、彼のレーシングマネージャー、セス・セムキン氏だったと思います。ウェインは長年、この業界で苦労しました。何年もかけて学び、それらをうまくやりこなそうとしました。しかし決然として事にあたると、まるでシルキーサリバン(訳注:後方一気の追い込みのスタイルを得意とした競走馬)のようになったのです」。

 「彼はつねに真の競馬ファンで、競馬場に来ては競馬の世界に入り込んでゆき、スペンドスリフトファームを購入することになったのです。そうすると、彼はまるで魔法にかけられたようになりました。それはただ彼を夢中にさせたのです。彼はいいかげんにすますわけではなく、すべての面で関与し、その牧場を自分の人生にしたのです」。

 「ウェインの場合、何についても形式的なところがありませんでした。彼はとても現実的な人でしたが、振り返ってみると、いろいろな意味で天才的な人だったことが分かります」。

 昨年、馬主として50年目を迎えたヒューズ氏は、念願のケンタッキーダービー(G1)をオーセンティック(父イントゥミスチーフ)で制し、競馬史に残る偉業を達成した。オーセンティックはヒューズ氏のパイオニア精神を体現したものだった。なぜなら同氏は10年前に革新的なマーケティングを行い、イントゥミスチーフに種牡馬として成功するための最高の機会を与えたからだ。またオーセンティックは、オンライン競馬オーナーシップの新興企業、マイレースホース・コム社(MyRacehorse.com)を通じても、その精神を象徴していた。ヒューズ氏は、206ドル(約2万2,660円)を出資した人々にケンタッキーダービーに出走するオーセンティックの株ベースのマイクロシェアを提供することで、同社を大胆に支援した。

 チャーチルダウンズ競馬場のマイク・アンダーソン理事長は、8月18日夜に発表した声明でこう述べている。「チャーチルダウンズ競馬場のファミリー全体が、伝説の馬主であり生産者のB・ウェイン・ヒューズ氏の訃報にふれて悲しみに暮れています。ヒューズ氏は先見者であり、スペンドスリフトファームを新たな高みへ導きました。私たちは昨年9月にヒューズ氏が米国最大のレースであるケンタッキーダービーを楽しみ、勝つことができたと知り元気づけられました。オーセンティックは道中ずっとリードし、ヒューズ氏が長年切望していた薔薇のレイと金のトロフィーを獲得しました。この困難な時期にヒューズ氏を失った、多くの友人や家族、そしてスペンドスリフトファームのチームに、心からの哀悼の意を表します。彼がいなくなるのは大変悔やまれます」。

 オーセンティックは約1年前、ヒューズ氏とそのパートナーたち、そして株を買って同馬の競走生活を見守った5,314人の一般の人々のためにケンタッキーダービーを制した。その後、昨年11月のBCクラシック(G1)で古馬を負かして優勝し、キーンランドでこのレースに立ち会っていたヒューズ氏はウィナーズサークルでトロフィーを受け取った。これがオーセンティックの現役最後のレースとなり、その後同馬は引退してスペンドスリフトで種牡馬入りし、2020年の北米年度代表馬に選ばれた。

 ブリーダーズカップ協会(BCL)はヒューズ氏を追悼する声明の中でこう述べている。「私たちはB・ウェイン・ヒューズ氏の訃報にふれて大変悲しく思っています。ヒューズ氏は過去20年間、生産者、馬主、競馬産業の革新者として、私たちのスポーツに忘れがたい影響とレガシーを残してきました。ヒューズ氏はブリーダーズカップで6勝を挙げ、そのうち3勝を挙げた名牝ビホルダーでエクリプス賞を4回受賞するなど、競馬界で数々の功績を残してきました。また、BCLの理事会では革新的なメンバーとして誇りを持って尽力してくださいました。近年、ヒューズ氏はマイレースホース・コム社のオーナーシッププログラムを開発し、一般の人々は2020年BCクラシック優勝馬オーセンティックなどのマイクロシェアのオンライン購入を通じて、競走馬を部分的に所有するチャンスを手に入れられるようになりました。パトリシア夫人、ご親戚、そしてスペンドスリフトのチームに参加するすべての人々に、深い哀悼の意を表します」。

 マンデラ調教師は、ヒューズ氏がマイレースホース・コム社に携わったことで、さらに数頭を管理することになったと述べる。

 「一般の人々に競走馬を部分的に所有するチャンスを提供すれば、彼らをそうした馬のファンにするだけでなく、競馬の世界に引き込み、チームに加わえることができると、ウェインは分かっていました。そして彼らは友人を見つけ、それが膨れ上がっていくのです。こうして熱心なファンを作っていきます。そして彼らは本当にこのビジネスに関心を持つのです」。

 オクラホマ州ゴテボで生まれたヒューズ氏(本名:ブラッドリー・ウェイン・ヒューズ)は、小作人の息子として育った。幼少期にカリフォルニアに移住し、父親に連れられて11歳のときに初めてサンタアニタパーク競馬場を訪れ競馬に出会った。若い頃から類まれな勤労意欲を持っていたことでよく知られ、10代のころには学費を稼ぐために新聞配達を始めた。海軍で勤めた後、南カリフォルニア大学で学んで卒業し、パブリックストレージ社(Public Storage)やアメリカンホームズ・フォー・レント社(American Homes 4 Rent)」などを立ち上げ、ビジネスで大成功を収めた。

 2002年にパブリックストレージ社のCEOを退任した直後に、ヒューズ氏は競馬に全精力を集中するようになった。アクションディスデイはヒューズ氏が拠点としていたサンタアニタパーク競馬場で開催されたBCジュベナイルで優勝し、ブリーダーズカップ初勝利とエクリプス賞初受賞を同氏にもたらした。ウェイン氏はブリーダーズカップ開催で通算6勝し、エクリプス賞を通算6回受賞することになる。

 ルイビル大学から2020年ガルブレス賞の受賞者として表彰されたヒューズ氏はこう語った。「少年のときに父に連れられて競馬を見に行って以来ずっと、サラブレッド競馬は私の大きな情熱であり続けています。父と私は競馬で情熱を分かち合うことができました。そして私は運良く人生の相当な部分を競馬に費やし、多くの大切な人々とそれを共有できています」。

 「競馬ほどスリルを与えてくれるものはそうそうありません。この偉大なスポーツをより良くすることは私たちの責任であり、将来の世代が私と同じように競馬を楽しめるようにしなければなりません」。

 スペンドスリフトファームは、「ウェイン・ヒューズを知ることは、彼が人生、祖国、南カリフォルニア大学とそのフットボールチーム、馬、そして家族を愛していたことを知ることです」とヒューズ氏を偲んだ。

 マンデラ調教師は、「競馬はウェインのような人を切実に必要としています。そして世界には、そのような人がそれほど多くはないのです。それにつきます」と語った。

 ヒューズ氏は、父ウィリアム・ローレンス、母ブランシェ、息子パーカーに先立たれていた。1998年の末っ子のパーカーの死をうけ、ヒューズ氏は小児白血病治療に情熱を傾け、最終的にはその分野で驚異的な貢献を果たした。遺族には、妻のパトリシア、息子のウェインJr.、娘のタマラ・グスタフソンなどがいる。

By Eric Mitchell , Claire Crosby and Jay Hovdey

(1ドル=約110円)

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[bloodhorse.com 2021年8月18日「Industry Pioneer B. Wayne Hughes Dies at 87」]