海外競馬情報 2020年09月18日 - No.9 - 3
アーサー・B・ハンコック3世、競馬の課題について語る(アメリカ)【その他】

 アーサー・B・ハンコック3世(Arthur B. Hancock III)は米国で有数の競馬一家の出身であり、ケンタッキー州にストーンファーム(Stone Farm)を所有する。祖父である初代アーサー・ハンコックは1910年に名高いクレイボーンファーム(Claiborne Farm)を創設した。

 ハンコック3世は1982年にガトーデルソル(Gato del Sol)の快進撃のおかげで、ハンコック家の中で初めてケンタッキーダービー(G1)優勝を成し遂げた。ガトーデルソルをレオーネ・J・ピーターズ(Leone J Peters)氏とともに生産して共同所有した。この2人は1988年のプリークネスS(G1)とベルモントS(G1)の優勝馬リズンスター(Risen Star)も生産している。また、1989年米国年度代表馬サンデーサイレンスもストーンファームで生まれ、ハンコック3世が所有した。同馬はライバルのイージーゴア(Easy Goer)を下して、ケンタッキーダービー、プリークネスS、BCクラシック(G1)を優勝し、引退後は種牡馬として日本で供用されて血統に大きな影響を与えた。また、ハンコック3世は2000年ケンタッキーダービー優勝馬フサイチペガサスも共同生産している。

 近年ではジョージ・ストローブリッジ(George Strawbridge)氏が生産した2019年米国年度代表馬ブリックスアンドモルタルもストーンファームで生まれている。また同ファームは、クールモアが所有し2015年欧州最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得したエアフォースブルー(Air Force Blue)も生産した。

サラブレッド・レーシング・コメンタリー(以下Q): 世界の競馬史において最も重要な人物は誰だと思われますか?

 アーサー・ハンコック3世(以下A): 1人だけを挙げることなどできないと考えています。そのような人物はたくさんいました。競馬サークルの誰もが生産、競走、調教など、自らの領域において貢献してきました。競馬を公明正大で誠実なものに保つために、実に熱心に取り組んできた人々もいます。そしてとてもたくさんの人々がその人生や情熱を競馬に捧げてきました。素晴らしい偉業を成し遂げた人がいる一方で、同じくらい一生懸命働き努力してきた人々もいるので、誰か一人を挙げるのは難しいです。

Q: 一番お好きな競馬場とレースを教えてください。

A: 一番好きな競馬場は、そこで育ったということもあり、キーンランドでしょう。2つ挙げるとするなら、キーンランドとサラトガです。

 一番好きなレースは、ずっと変わらずケンタッキーダービーです。父がこのレースをいつも勝ちたがっているのを見ながら育ちました。それは彼の生涯をかけた夢でした。ダービーで勝ちそうな馬は4~5頭いましたが、優勝まであと少しのところで何かが起こって達成できませんでした。子供のときにそのような出来事を全部聞いてきて、私もダービーを勝ちたいと思うようになりました。私の目標になったのです。

 クレイボーンを去ったとき、これこそが私が可能なら達成したいことだと思った記憶があります。私は「ダービー馬にめぐり会う幸運に恵まれたとしても、そのときには75歳になっているだろう」と言いました。しかし、私たちは早くに幸運をつかみました。だからダービーは一番好きなレースです。それに、私はケンタッキー州民です。ダービー優勝は父の悲願であり、私の悲願でもありました。

Q:最高の思い出は何ですか?

A: ガトーデルソルがケンタッキーダービーで優勝したときです。表彰台に立っているとトロフィーを授与され、そのとき体外離脱を経験しました。説明するのは難しいのですが、空中に浮いて地上15~20フィート(約4.6~6 m)の高さからすべてを俯瞰していました。神秘的な光景でした。体外離脱といわれる経験をしたのはそのときかぎりです。空中に浮かんでいるようで、まったく信じられませんでした。

 ガトーデルソルは単勝22倍でケンタッキーダービーを制しました。私たちに勝つ見込みはありませんでした。その当時、外枠から発走して優勝した初めての馬となりましたが、それはほとんどどうでもいいことでした。ダービー優勝は父と私の夢であり、それが実現したのです。一種の放心状態でした。まったくどのように説明していいか分かりません。おそらく30秒ほどのあいだ、15フィートの高さからすべてを俯瞰していました。

 ガトーデルソルの引退もそれ自体が物語のようです。私たちは彼をドイツに売却しましたが、渡独後も種牡馬として良い成績を収めませんでした。妻のスタシは、エクセラー(Exceller)がスウェーデンに売却されて不幸な目に遭ったことから、彼のことを心配していました。私たちはガトーデルソルを再購買する手筈を整え、飛行機で連れ戻しました。彼はこの牧場で幸せに暮らし、今では裏庭に埋葬されています。ご存じでしょうが、ケンタッキーダービー馬を裏庭に埋葬するときには、頑迷な田舎者になるものです。

Q:現在競馬が直面している最大の課題は何だと思われますか?

A: ドラッグとならず者です。米国では、競走当日の薬物使用・競走能力向上薬の投与・鞭の不正使用が急増しています。私は30年にわたり薬物と闘ってきました。米国は薬物投与を許容する唯一の競馬国です。そのことについてはならず者国家であり、ばかげたことです。他のすべての国は競馬を国全体で運営しているのに、私たちは州ごとに運営していることが問題です。州にそれぞれの競馬統括機関があり、州知事がいて、その地域をコントロールしています。しかしフランス・英国・ドイツなどは、国の中央集権化された競馬統括機関があります。

 鞭に関しては、サラトガでレース観戦していたときに、ゴール直前で馬が2馬身リードしているのに騎手が鞭を5~6回入れるのを見ました。無駄なことです。その馬は勝ちましたが、不必要に鞭で打たれたのです。必要な場合に3回だけ使えるようにするなど、鞭の使用回数を制限すべきです。鞭を過剰に使用する騎手や、何かトラブルが起こりそうな瞬間をカメラで撮影されることは避けては通れません。そのような映像はすべてのニュースをにぎわせるでしょう。そのような事態は望みません。

 他の大半の国には鞭使用ルールがあります。乗馬していた経験があるので、前進させるために鞭を入れる必要のある馬がいることは理解しています。しかし、ゴール直前で2馬身もリードしているときに、鞭を入れる必要はありません。それは全くおかしな世界の話であり、そんなことをすべきではありません。

Q: もし1つだけ競馬界で変えられるとすればそれは何ですか?

A: 薬物に関するルールと鞭使用ルールを変えたいです。米国に他の国々と足並みをそろえさせるように努めたいです。私たちは孤立しており、そこに意味はありません。競馬ファン、競馬の評判、馬の健康にとって良くないことです。それこそが私が変えたいことです。


By Amanda Duckworth

[Thoroughbred Racing Commentary 2020年9月1日「Arthur Hancock: One day a jockey will be going wham, wham, wham with the whip and it will be on every TV channel」]