海外競馬情報 2013年08月20日 - No.8 - 2
ヘッド-マアレク調教師、トレヴの仏オークス優勝で復活(フランス)【その他】

 トレヴ(Trêve)の仏オークス勝利までの道のりは、クリケット・ヘッド-マアレク(Criquette Head-Maarek)調教師がかつて全盛期に気持ち良く過ごして以来、何年間も遠ざかっていた後でその地位に返り咲くという心温まる物語である。

 同調教師は、最も親密だった2人の馬主を失い、10年前には200頭以上いた管理馬が今日の60〜65頭にまで減少するという試練に耐えた。

 2005年に彼女を襲った苦しみは、毎朝馬を管理し続けながらガンと闘うという、全くやりきれないものであった。

 彼女の父であり模範とすべき人物アレック・ヘッド(Alec Head)氏が創立した生産事業体で、ヘッド家が所有するケネー牧場(Haras du Quesnay)の真っ赤な勝負服を、トレヴは背負っている。

 ケネー牧場で生産されたトレヴは、現在そこで供用されている種牡馬モティヴェーター(Motivator)へのアレックの揺るぎない信頼の賜物である。

 トレヴは大半の牧場の良質馬と同じく、ドーヴィルのアルカナ社1歳セールに上場された。

 「セリは買い手が自分の目で確かめるもので、好みが発揮されるものですが、トレヴは購買者たちのお気に召しませんでした。わずか2万1,000ユーロ(約273万円)で落札されそうになったとき、父は私に“こんな価格で彼女を手離すな。彼女は美しいではないか”と言いました。そこで私たちは彼女を買い戻しました」とヘッド-マアレク調教師は語った。

 ある朝厩舎にいたトレヴのことを知らない何人かの従業員に対し、ヘッド-マアレク調教師は、「トレヴの父は英ダービー馬モティヴェーターです」と丁寧に説明した後にトレヴに目を向け、「あなたは日曜日にはどの馬も打ち負かしたわね」と囁いた。

 そして次のように続けた。「トレヴは信じられないくらい脚の回転が良く、他の馬では滅多に見られません。脚の回転の速い馬はいますが脚が止まります。でもトレヴは止まりません。スピードを上げ、どんどん前進します」。

 「私の目標は最初から仏オークスでした。トレヴが1度しか出走してないので無理だろうと人々は考えていましたが、それは可能なのです。2000年にそれまで能力を存分に示していたのにシーズン初めに疾病を患ったエジプトバンド(Egypt Band)は同じようなことをやってのけました。私はその年多くの優良牝馬に恵まれました」。

 「今年は管理馬がずっと少ないので同じようには行きません。しかし、トレヴは私が今まで管理した中で本当に最高の馬であり、それは疑う余地はありません。父が私にトレヴを事前に準重賞で走らせるよう言ったにもかかわらず、私は“直接ビッグレースに行く。今にわかるさ”と思っていました。でもその考えはおそらく間違っていたでしょう。そして、“ごめんなさい、間違っていました”と言う羽目になったかもしれませんでした」。

 とにかくトレヴが仏オークスでヘッド家の勝負服を背負っていたという事実は、この馬に対するヘッド-マアレク調教師の本質的な自信と、他にそんなに強い馬はまだ現れていないという直感によるものだった。ヘッド家は、仏オークスの前の週にトレヴに関して非常に魅力的な2件の購買申込みがあったが秘密裏に断わっており、この事実はレース後の記者会見で明らかにされた。

 コンデ公のモニュメント、シャンティイ城、大厩舎のある名高いシャンティイ競馬場のコースにおいてトレヴがとても魅力的な走りを見せたことで、馬主が変わる憶測が強くなっていた。

 その直後、ヘッド-マアレク調教師は凱旋門賞を話題にすることを渋っているように見えた。トレヴを凱旋門賞に追加登録するには10万ユーロ(約1,300万円)というかなりの額を支払わなければならず、それは馬鹿げた決断であると同調教師は表現した。

 「記者会見のとき、トレヴの馬主が変わらない場合この馬をどう扱うべきかについて私は分かっていました。でも、お察しのとおり今では購買したがっている人々が私たちのところに殺到しています」。

 「差し迫った事柄は、トレヴはまだここにいて、私たちの所有馬で、次の目標はヴェルメイユ賞(G1)ということです。このレースに勝てば凱旋門賞で走らせるつもりなので、追加登録するつもりです」。

 「そして4歳も現役を続けさせたいので、あまり多く出走させないつもりです。凱旋門賞に挑戦すれば今シーズンはそれでおしまいで、米国に遠征させるつもりはありません。ヴェルメイユ賞挑戦後に凱旋門賞を回避するのであれば、ブリーダーズカップで走らせます。凱旋門賞は厳しいレースなので、出ればそれでシーズンをおしまいにします」。

 ヘッド-マアレク調教師は自分の判断を決して恐れることはなく、不調の年が数年続いても、なお輝き続けているのはこの独立独歩の精神によるものである。管理馬の減少と成績の低下は、“急落”と言っても言い過ぎではなかった。

 そして、この巻き返しは仏オークス優勝で突然に実現したことではないと彼女は指摘した。「32頭の2歳馬を預かっており、走らない馬は沢山いました。仏オークスの前まで3勝、2着15回の成績でした。そして、トレヴが今年の4頭目の勝馬となりました。例年であれば、現時点でもっと多くの勝馬を出しています」。

 噂話が絶えないシャンティイだが、ヘッド-マアレク調教師のキャリアは回復できない不振に陥ったのではないかと言われた時と同様に、これを笑い飛ばした。

 「人は“あなたはもう終わった人”だと言います。このことは馬が非常に重要だということを示しています。私は自分に自信を失ったことはありません。常にすべての馬から最高のものを引き出すように尽くしています。馬が優れていない場合、何ができますか?自信を無くす?とんでもありません。戦うしかありません」。

 2005年にガンと診断されて彼女が直面した個人的な苦難を考えれば、ヘッド-マアレク調教師にとって競馬界の中心的位置から静かに消え去ることはかえって好ましいことだった。

 しかし同調教師は次のように語った。「私は自信や信念を失ったことがありません。ガンに冒されていると診断された時、医師に“回復するためにすべきことは何でもしますが、管理馬を調教するために朝は働く必要があります。どんな治療をしようとしても、私は午前中の治療は受けません。午前5時から正午までは調教場にいます。調教の仕事は朝になされるので競馬があるかないかは関係ありません”と言いました」。

 「医師は私に、そうすると3ヵ月間の化学療法や放射線治療を受けることはできないだろうと言いました。私は“これは私の問題です”と言いました。そして、私はそのようにして乗り越えました。戦うしかないのです」。

 「馬の良いことは変わっていくことです。半年ごとに新しい結果が出るので、自信を失うことは決してなく、戦い続けるのみです。この生き方と馬によって、私は回復したと確信しています。自分のことは考えず馬のことを考えなければなりませんでした。そのことが私を救ってくれました」。

 最近亡くなった英国のサー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師との比較は陳腐かもしれない。しかし、ヘッド-マアレク調教師とセシル調教師のキャリアの背景には共通した性格がある。

 「今もなおカリド・アブドゥラ殿下(Khalid Abdullah)から馬を預かっていますが、いつもそこに思いがけず得られる何かがあるのです。殿下は信じられないくらい素晴らしい方で、自由に管理させてくれます。とても立派な生産事業を有しておられ、私にとって殿下は王様です。他に素晴らしい馬主もいますが、ジャドモントファームを見れば、殿下が一番であることは明らかです」。

 ヘッド-マアレク調教師もセシル調教師と同様に、ドバイ王族からの後ろ盾を失った。彼女の場合は、2006年1月のマクツーム殿下(Sheikh Maktoum Al Maktoum)の死によるものであった。

 マクツーム殿下とヘッド-マアレク調教師のコンビは、2頭の英1000ギニー馬、マビッシュ(Ma Biche)と偉大なハトゥーフ(Hatoof)で大きな実績をつくった。同調教師はハトゥーフについて、「当時の私にとってのゴルディコヴァ(Goldikova 訳注:ヘッド-マアレク調教師の弟フレディ・ヘッド調教師が管理したBCターフ3連勝の牝馬)でした」と言い表した。

 マクツーム殿下が亡くなって7ヵ月後に、さらに大きな試練が彼女を襲った。それは父の代から続いてきたヴェルテメール兄弟との決別であり、これは彼女の主張からもたらされたものであった。

 アラン&ジェラール・ヴェルテメール兄弟(Alain and Gerard Wertheimer)が契約していたのはオリヴィエ・ペリエ(Olivier Peslier)騎手だったが、モーリスドゲスト賞(G1)でのクワイエットロイヤル(Quiet Royal)の騎乗に関してのヘッド-マアレク調教師と同騎手との確執は、遠い昔の記憶のように思われる。

 しかしヘッド-マアレク調教師が、ヴェルテメール兄弟の主要調教師であった23年間の関係が壊れたときの気持ちを詳しく語った際、そのときの感情が呼び戻された。

 「オリヴィエ・ペリエとは馬が合わなかったというのが私にとっての真実です。彼は素晴らしい騎手ですが、一緒に働くのは無理です。彼は自分の好きなようにやり、私も思い通りにやるので、私たちは常にぶつかり合っていました」。

 「ヴェルテメール兄弟に会いに行くと、ペリエを手離さないと言いました。私には多くの優良馬を送ってくれ、現在があるのは彼らのおかげです。だから、このような形で関係を終わらせたくありませんでした」。

 ヘッド-マアレク調教師は弟フレディ(Freddy)と義理の息子(娘の夫)カルロス・ラフォン-パリアス(Carlos Laffon-Parias)氏が厩舎を開業した際ヴェルテメール兄弟が馬を預託するよう働きかけており、今では両者の関係は修復している。

 ソレミア(Solemia 2012年凱旋門賞勝馬)やそれ以上の成績を挙げたゴルディコヴァでの彼らの成功は、不振の数年間に何が起こったかを示している。

 ヘッド-マアレク調教師は、今年唯一出走している2歳馬ディヴィニテ(Divinite)に注目している。ケネー牧場繋養の種牡馬ミスターシドニー(Mr Sidney)の牝馬で、シャンティイでのデビュー戦で3着だったが、今後順調に未勝利戦を勝ち上がることを同調教師は期待している。

 注目すべきもう1頭はアフリカンプレインズ(African Plains)である。同馬はジャドモントファームの自家生産馬で、父はオアシスドリーム(Oasis Dream)、母はヘッド-マアレク調教師が管理したスプリントカップ(G1)勝馬アフリカンローズ(African Rose)であり、すでに抜群のスピードを見せている。

 早起きして見に行く価値のある馬はまだかなりいそうだ。


ヘッド-マアレク調教師が挙げた最高傑作6頭

スリートロイカス(Three Troikas)
[主な勝鞍:1979年仏1000ギニー、ヴェルメイユ賞、凱旋門賞]
マビッシュ(Ma Biche)
[主な勝鞍:1982年チェヴァリーパークS、1983年英1000ギニー]
ベーリング(Bering)
[主な勝鞍:1986年仏ダービー]
ラヴィネラ(Ravinella)
[主な勝鞍:1987年チェヴァリーパークS、1988年英1000ギニー、仏1000ギニー]
ハトゥーフ(Hatoof)
[主な勝鞍:1992年英1000ギニー、オペラ賞、EPテイラーS、1993年チャンピオンS、1994年ビヴァリーDS、アスタルテ賞]
スペシャルデューティー(Special Duty)
[主な勝鞍:2009年チェヴァリーパークS、2010年英1000ギニー、仏1000ギニー]

By Scott Burton
(1ユーロ=約130円)

[Racing Post 2013年6月25日「Ahead of the game once more」]