海外競馬情報 2011年06月24日 - No.12 - 1
フランス競馬界の新星バルザローナ騎手(フランス)【開催・運営】

 ブーローニュの森にあるロンシャン競馬場には、その設備の整った雰囲気に似つかわしくないやや粗末な一角がある。それは検量室の裏にあり、そこにはプラスチックのテーブルと椅子があり、あまり手入れされていない生垣により公衆の目から遮蔽されている。そこは、1日8レース騎乗する重労働の合間に騎手が束の間リラックスする場所となっている。

 見習い騎手および若手騎手限定のレースが行われる間、トップジョッキーたちはそこで休憩したり、煙草で一服したり、ひょっとしたら恋人からの短い抱擁を受けることができる。

 ミカエル・バルザローナ(Mickael Barzalona)騎手は小柄で体重が軽いため、そこで煙草やキスよりも実質的なものを手に入れることができ、他の騎手から羨ましがられている。すなわちこの若いコルシカ人は、差入れのかなり大きなハムサンドとダイエット用でない砂糖入りのコーラで栄養を補給する。

 19歳で見習騎手を卒業したという事実は、今後流星のごとく華々しい活躍をする兆候としてはそれほど目立つものではない。バルザローナ騎手は過去1年半の間、アンドレ・ファーブル(André Fabre)調教師とモハメド殿下(Sheikh Mohammed)が与えるチャンスを両手でしっかりつかみ取ってきた。

 彼の急浮上を示すより信頼できる指標としては、2011年4月に英2000ギニー(G1)でサーミッド(Saamidd)に騎乗したことにより、すでに英国とフランスのクラシックレースに1回ずつ騎乗したことが挙げられる。

 初めて英仏海峡を渡って騎乗したバルザローナ騎手は次のように語った。「英国で騎乗することは特別な意味を持ちます。ニューマーケット競馬場には克服すべき難所がたくさんあります。馬を上り下りのある走路の起伏に順応させる必要があります」。

 バルザローナ騎手がこれらの難所を克服する才能があることは間違いない。同騎手はオーシャンウォー(Ocean War)により、ニューマーケット競馬場のローリーマイルコースでのたった2回目の騎乗で優勝することが出来、その次の英国遠征においてはニューベリ競馬場で2鞍騎乗した。

 バルザローナ騎手は、16歳で有名なAFASEC競馬学校を卒業しファーブル厩舎に入ったが、そこでリーディングトレーナーであるファーブル調教師がいかにゴドルフィンとの関係をうまくつけてくれたかということについて即座に語ってくれた。

 そして次のように語った。「非常に幸運でした。ファーブル調教師は私が過去2回の冬をゴドルフィンの下で過ごせるよう派遣してくれました。私はゴドルフィンのために素晴らしい馬に騎乗するチャンスを与えられたことに感謝するだけです」。

 バルザローナ騎手が単なるフランスの有望な才能あふれる騎手から世界の注目を集める存在に飛躍したのは、メイダン競馬場である。そして2011年ドバイカーニバルにおいて記録的な8勝を挙げ、適応範囲の広さとレースのペース配分についての鋭敏な感覚を示した。

 同騎手は、「私はレースが非常に戦略的なフランスよりもメイダン競馬場で騎乗する方が簡単のように感じました。海外のドバイのような場所では、速いレースもあれば遅いレースもありますが、馬群の後ろに閉じ込められてしまうことはそうありません。海外で必要となる戦術は私のスタイルに合っています」と語った。

 そしてドバイワールドカップ(G1)の夜間開催は、バルザローナの国際舞台へのお披露目パーティーと化した。「ドバイワールドカップの夜間開催での騎乗は素晴らしいことでした。クワーラー(Khawlah)に騎乗しUAEダービー(G2)のようなレースで優勝できたことは我を忘れる経験でした。そしてドバイワールドカップで3着となったことが花を添えました」。

 バルザローナ騎手がドバイワールドカップでの素晴らしい騎乗を喜んでいることに留意してほしい。この若者は権威のあるレースで騎乗できるようになったことを楽しんでいる段階であり、まだ凱旋門賞での騎乗経験はない。

 2回目の挑戦となるフランス2000ギニーでの騎乗は5月15日に迫っているが、ゴドルフィンは再びこの騎手に優良馬を与えようとしている。その騎乗馬は、ファーブル調教師が管理し成長しつつあるモダンヒストリー(Modern History鞍上バルザローナで今シーズン2戦2勝している)かマフムード・アル・ザルーニ(Mahmood Al Zarooni)調教師が追加登録したミッドサマーフェア(Midsummer Fair)のどちらかになるだろう[訳注:結果的にはバルザローナ騎手はミッドサマーフェアに騎乗し14着、モダンヒストリーにはデットーリ騎手が騎乗し13着となった]。

 同じくファーブル調教師の庇護下にあるマキシム・ギュイヨン(Maxime Guyon)騎手(英国で初騎乗となった2010年6月のロイヤルアスコット開催におけるバイワード(Byword)でG1優勝)との話に移ろう。バルザローナ騎手は、ギュイヨン騎手のロイヤルアスコット開催での実績に対抗することが非現実的であるとは考えておらず、彼がロイヤルアスコット開催週のレースにおいてチャンスを得ることも想像できる。

「ロイヤルアスコット開催に騎乗できることは素晴らしいことです。私はロイヤルアスコット開催についていろいろ聞いてきましたし、もちろんテレビでも観戦してきました」。そして、英国のジャーナリストに対して語っていることを意識せず、躊躇することなしに続けた。「ロイヤルアスコットで成功を収めることは、私のこれまでのキャリアにおいて最高の感動の1つとなるでしょう」。

 どの騎手にとっても大衆に知られるようになるためには1、2頭の優良馬が必要である。そしてバルザローナ騎手は馬主や調教師を気兼ねしてそうした馬の名前を指摘することを渋ったが、1頭の馬についてはためらうことなくその名前を挙げた。そして、「私にとって最も重要な馬はシモンドゥモンフォール(Simon De Montfort)だと思います。彼は私に初めての重賞勝利をもたらし、それはロンシャン競馬場での大きな勝利でした。本当に素晴らしい馬です」とフォルス賞(G3)の優勝馬について語った。

 2010年5月にファーブル調教師管理馬のシモンドゥモンフォールとリワイルディング(Rewilding)を含む4頭の有力馬がゴドルフィンのニューマーケットを拠点とする調教師のもとへ転厩したが、若きバルザローナにとってちょうど良い時期にふさわしい場所にいることになったのかもしれない。と言ってもチャンスをつかみ、若くしてこのような価値のあるチャンスを得るには才能が必要である。

 私たちがロンシャン競馬場でバルザローナ騎手と会った日は、6回騎乗したものの未勝利であったが、彼の本当の才能の手がかりは同じ競馬場で2日前に明らかになっていた。

 ファーブル調教師はその日、この神童をいずれも初出走の2頭の3歳馬に騎乗させただけだったが、えび茶色と白のダーレーの勝負服を着てアヴォングローヴ(Avongrove)を騎乗する姿は、なぜ調教師と馬主がそんなに高く彼を評価しているのかを示していた。

 バルザローナ騎手はずっと馬群後方に待機し、美しくスムーズな騎乗を見せた。アヴォングローヴは先行馬を捉えた直後、馬群からふくれる恐れもあったが、鞍上のバルザローナは完璧なバランスとリズムを維持し、まっすぐに進む姿勢を維持するとともに、一瞬のうちにかわし去った。そして、勝利するのに十分な速さで走り抜けた。

 一方、ギュイヨン騎手はその日重賞競走に2回騎乗し、どちらの騎乗においても上手い手綱さばきで馬をトップギアに入れていた。バルザローナはまだギュイヨン騎手の本当の強さに及ばないが、この年齢での騎乗技術は誰もが注目するものである。ファーブル調教師とゴドルフィンはそれを分かっており、英国競馬界もその騎乗を早く見たがっている。 

新星ミカエル・バルザローナ騎手のプロフィール

 > > 誕生日:1991年8月3日     > > 出生地:リヨン

 > > キャリア:16歳で見習い騎手としてアンドレ・ファーブル厩舎に入り、現在は所属騎手の1人。ヴェルテメール兄弟(Wertheimers)のオリヴィエ・ペリエ(Olivier Peslier)騎手に続く第2騎手。ゴドルフィンの常連騎手。

 > > 初騎乗:2007年10月16日サンクルー競馬場においてペントランドファース(Pentland Firth)に騎乗(当時16歳)

 > > 初勝利:2008年5月3日フォンテーヌブロー競馬場においてテキサンドリーム(Texan Dream)で優勝

 > > フランスにおける勝利数

2008年:8勝

2009年:72勝(70勝すれば見習い騎手ではなくなる)

2010年:51勝

2011年:13勝

 > > 重賞競走での快挙

2010年フォルス賞(G3)シモンドゥモンフォール

2011年ドバイシティーオブゴールド賞(G2)モンテロッソ(Monterosso)

2011年UAEダービー(G2)クワーラー

2011年グレフュル賞(G2)プールモワ(Pour Moi)

2011年英国ダービー(G1)プールモワ

 By Scott Burton

[Racing Post 2011年5月13日「Barzalona a young talent in different league」]