海外競馬情報 2009年04月03日 - No.7 - 3
2歳馬調教セリにおけるタイム志向への警告(アメリカ)【生産】

 ホームストレッチの端から聞こえてくる音が、小銃弾のように競馬場のグランドスタントに反響する。それは馬体を鞭で打つ音である。ビシッ!ビシッ!ビシッ!

 乗り役は、残り2ハロンのあたりからゴールまで、ダッシュをしかけようとして、体を後ろに反らし2歳馬の左脇腹に鞭を入れる。内馬場のタイム測定器が時 を刻む一方で、2歳馬の蹄によってダート馬場には飛行機雲のような砂煙が残され、2歳馬はゴールラインまで懸命のダッシュに疲れ果て、その下腹部は地面に 触れてしまいそうだ。

 今日のアメリカの2歳馬調教セリでは、まさにタイムイズマネーであり、速いタイムの走行がしばしば最高購買額につながる。鞭で馬を走らせる走行が間違った宣伝であると言うべきだが…

 アメリカではサラブレッド業界はもっと馬を大事にすべきだという声が強まっており、2歳馬セリ前の調教方法は業界の汚点とされている。確かに、セリ業界 は改善策を講じており、それにはゴール前1ハロンおよびゴール後における鞭の使用禁止も含まれる。しかし、大概、鞭を激しく入れるのはゴール前の1ハロン 棒よりかなり手前である。現実には、なんとかして若くて有望な競走馬予備軍を走らせようとホームストレッチで激しく追う乗り役を規制するものは何も無い。

 純粋にビジネスの面から見て、調教セリの展示走行に参加している人はすべて、合理的に行動している。上場馬の所有者は利益を上げて販売したいし、高額で 取引できれば、採算割れした馬やセリ上場できなかった馬の損失分を埋めることもできる。コンサイナー(上場人)は所有者のためにできる限り高値で売って、 上場馬の所有者を顧客に繋ぎとめるために、馬に速い走行を期待する。

 乗り役は、馬の調子に自信があれば、コンサイナーと上場馬の所有者を喜ばせ、引き続き雇ってもらえるよう、馬を最速で走らせようとする。売る側では誰しも馬の能力を超える無理な走行をさせることはない筈だが、とりわけ今日のような市況低迷時には経済的な圧力も大きい。

 結局のところアメリカ競馬においては、スピードがものを言い、購買希望者のエージェントは速い馬を求めている。購買者は主要競走を勝ち、繁殖入りしてもそのキャリアを積めるくらいの十分なスピードを兼ね備えた最高の競走馬候補を探しているのだ。

 しかし、深刻な世界同時不況を起こしたサブプライム危機のように、人間は理性的に行動しているように見えても不合理な結果を生み出すこともある。そし て、サブプライムの場合と同様で、何かがおかしいと指摘している著名人もいる。ペンシルヴァニアのハーシー(Hershey)で開催された全米ホースマン 共済協会(National Horsemen’s Benevolent and Protective Association)の夏季セミナーにおいて、アメリカ馬臨床獣医師協会(Association of American Equine Practitioners)の元理事長であるスコット・E・パーマー(Scott E. Palmer)獣医師は、2歳馬調教セリにおいてスピードが重要視され過ぎていることを非難した。

 獣医学的な観点から馬の福祉に関する問題について、パーマー氏は、「2歳馬のなかには、セリで6ハロンを1分10秒で走行できるようにするために、生後 わずか18ヵ月でスピードを伴う調教を始めるものもいます。若馬を競走馬として調教する際に、ある程度の調教は重要で適切であることは分かっています。し かし、セリの準備のために発達が未熟な馬に能力を超える要求をすることは、筋骨格に深刻な、時として取り返しのつかない変化をもたらし、その後の競走能力 を危うくします」と述べた。

 同氏は、「セリで素晴らしい走行を見せたものの、結局その走りが当該馬の競走馬としてのキャリアの中で達成できる最高の走りとなるかもしれません。セリ までの準備過程において生じた肉体的ストレスから回復までに、セリ後数ヵ月の間調教できない馬もいるのです」と補足した。

 ニュージャージー馬診療所(New Jersey Equine Clinic)の院長で外科スタッフであるパーマー氏は、重要な疑問を投げかけた。これらの高額取引馬の将来は、2歳馬の調教セリのためのスピードの速い調教によって実際に危うくされているのではないか?

 この疑問にはケースバイケースでしか返答することができないが、セリ準備のプロセスを乗り越え、セリで相応の走行を見せ最も高額で取引された馬は、平均 的に購買者に利益をもたらしていない。2002〜2007年の6年間に全米で高額で取引された25頭の2歳馬(2000〜2005年産駒)を分析した結 果、この結論を得た。

 購買価格と戦績との相関性を調べるために、153頭のセリおよび競走における成績が比較された。もちろん、2歳セリにおける高額取引馬は競走でも生産で も良い成績を収めているものもいるが、一般的にいって投資に対する見返りは乏しい。下表は、2歳馬セリ高額取引馬グループ153頭と全競走馬の成績を示し ている。更に詳しい表はサラブレッドタイムズ誌のウェブサイトで入手できる(http://www.thoroughbredtimes.com/)。

 153頭のうちセリにおける購買額以上の賞金を収得したのはたった4頭で、その内の3頭は日本で出走している。残りの1頭は3歳時にG2競走で優勝した ヴィクトリーユーエスエー(Victory USA)で、同馬は2歳時にG1競走で入着している。2003年に525,000ドル(約5250万円)で購買された同馬は、競走において615,829 ドル(約6158万円)を獲得した。

 セリで取引された馬のなかには購買額に比べて収得賞金は少ないが、素晴らしい成績を残したものもいる。2003年において2番目に高額の140万ドル (約1億4000万円)で購買されたライオンハート(Lion Heart)は2歳時と3歳時にG1競走で優勝しており、現在は種牡馬として好調なスタートを切っている。また、その年の3番目に高額の価格120万ドル (約1億2000万円)で購買されたチャペルロイヤル(Chapel Royal)は、重賞競走で2勝を挙げている。

 また、2001年の産駒で期待以上の成績を収めた、収得賞金40万ドル(約4000万円)のG1優勝馬フォレストデンジャー(Forest Danger)は、現在ケンタッキーの有望な若い種牡馬である。2002年の2歳の最高取引馬であるアトランティックオーシャン(Atlantic Ocean)は、G3競走で2勝しており、収得賞金額は678,210ドル(約6782万円)である。

 その他の高額馬の2頭、2003年取引のダイアモンドフュアリー(Diamond Fury)と2007年のザレパード(The Leopard)も、収得賞金が100,000ドル(約1000万円)を超えている。しかしながら、セリにおける史上最高額1600万ドル(約16億円) で購買されたザグリーンモンキー(The Green Monkey)は2006年に10,440ドル(約104万円)しか獲得していないし、2005年の最高額520万ドル(約5億2000万円)で購買され たエヴァーシフティング(Ever Shifting)は507ドル(約5万円)しか稼いでいない。

 この153頭の競走キャリアを見る場合、出走回数の中央値が最も有効であろう。出走回数がもっとも良いのは2002年と2003年取引のグループである が、それでも出走回数の中央値はわずか11である。2006年と2007年取引のグループの中央値は、それぞれ5.5と5である。2006年と2007年 取引のグループの中にはまだ現役馬がいるとの反論もあるだろうが、この数字はザグリーンモンキーを含む多くの馬が3歳以降出走していないことを意味してい る。

 153頭の平均収得賞金は149,595ドル(約1495万円)である一方、セリにおける平均購買価格は1,130,361ドル(約1億1303万円) である。つまり、これらの馬は競馬場で稼いだ額の約8倍の価格で購買されている。お買い得だったなどとは到底言えない。かつて2歳馬の購入は、投資をすみ やかに回収するもっとも確実な方法とされていたのだが、これまで2歳馬を購入してきた人々が購買を続けてくれるか危ぶまれる状況である。

 もしセリにおける速い走行が、必ずしも多額の賞金を稼ぎ長いキャリアを維持する競走馬を生み出さないのだとすれば、これは変革すべきであろう。パーマー氏が指摘しているように、速い走行タイムを追い求めるあまり危険にさらされる有能な若馬がたくさんいるのだ。

 2歳馬調教セリで売買された2歳馬は1997年の2,657頭から2007年の3,123頭へと増加したのに、競馬場での出走回数は増加しなかった。す なわち1995年の産駒において2歳時に出走したのは31.2%であったのに対し、2007年に出走した2005年産駒は30.5%であった。

 2歳馬調教セリの馬が長期的に利益を生む競走馬としてキャリアを送れる方法を考えるべき時がきている。この目標を達成する最善の方法はセリ前の展示走行においてタイム測定器のスイッチを切ることである。ホースマン精神を取り戻すべきだ。

 乗り役は馬および自身の安全のために鞭を持つことは許されるべきだが、緊急の場合を除いて鞭を使用することを禁じるべきである。もしコンサイナーが力 いっぱい馬を走らせたいと望むなら、鞭の使用せずに乗り役が穏やかに促す方法で走らせるべきである。真のホースマンは馬の動きを見るだけでその才能を見抜 くことができ、ストップウォッチを必要としない。

 このような変革は可能だろうか?それは何とも言えないが、試してみる価値はある。少なくとも、動物愛護主義者がセリ場にきて抗議活動をすることはないだ ろう。若馬が自然に自身のペースでスピードが出せるような調教をすることで、望ましい成績がもたらされることを裏付けるちょっとした証拠がある。フラン ク・ストロナーク(Frank Stronach)氏所有のアデナスプリングス牧場(Adena Springs Farm)においては、2歳馬調教セリ以前は、自家生産馬に軽いギャロップしかさせない。2008年同牧場は5年連続で最優秀生産者として北米においてエ クリプス賞を受賞した。

 アデナスプリングス牧場は正しいことをやっているに相違ない。そして同牧場のモデルは業界全体が採用すべきである。馬、そして競走馬としてのキャリアを守るために、タイム測定器を止めよう。時計を取らないことにしよう。

 

北米の2歳馬調教セリにおけるトップ高額馬の競走成績

生 年 2000 2001 2002 2003 2004 2005
平均
出走回数
15.7 13.5 15.5 10.5 6.0 5.2
出走回数
の中央値
11.0 11.0 9.0 10.0 5.5 5.0
平均
収得賞金
$284,111
(約2841万円)
$217,958
(約2180万円)
$94,738
(約947万円)
$151,597
(約1516万円)
$104,570
(約1046万円)
$48,514
(約458万円)
収得賞金
の中央値
$182,020
(約1820万円)
$74,930
(約749万円)
$48,345
(約483万円)
$84,600
(約846万円)
$71,017
(約710万円)
$24,340
(約243万円)

2005年から2007年までの全競走馬

合計収得賞金額 $22,888,102(約22億8881万円)
平均収得賞金 $149,595(約1495万円)
収得賞金の中央値 $66,527(約665万円)
平均購買額 $1,130,361(約1億1304万円)
購買額の中央値 $800,000(約8000万円)
購買額に対する収得賞金の比率 7.56

By Don Clippinger
(1ドル=約100円)


[Thoroughbred Times 2009年2月28日「Turn off the timer at juvenile sales」]