海外競馬ニュース 2023年05月25日 - No.19 - 1
最高価格のケンタッキーダービー馬、フサイチペガサスが26歳で死亡(アメリカ)[生産]

 1歳のときに400万ドル(約5億6,000万円)で落札され、大きな期待に応えて2000年ケンタッキーダービー(G1 チャーチルダウンズ)を制したフサイチペガサス(26歳)が5月23日(火)に死んだ。

 クールモアは、フサイチペガサス(父ミスタープロスペクター)は老衰のために5月23日(火)に安楽死措置が取られたと発表した。フサイチペガサスは2001年からアシュフォードスタッド(クールモアの米国の拠点)で供用され、2020年に種牡馬を引退していた。

 ケンタッキーダービー優勝馬の1歳や2歳の落札額で400万ドルは最高価格であり、実際のところ100万ドルを超えた馬は他にいない。さらにケンタッキーダービーの出走馬の中でさえも、フサイチペガサスは最高価格馬なのだ。

  "フーペグ"という愛称で広く親しまれるようになるフサイチペガサスは、ストーンファーム(代表:アーサー・ハンコック3世)とストーナーサイドファーム(代表:ボブ&ジャニス・マクナイア夫妻)により生産された。そしてストーンファームにより1998年キーンランド7月1歳セレクトセールに上場され、関口房朗氏により400万ドルで購買された。ニール・ドライスデール調教師のもとでサンフェリペS(G2)とウッドメモリアルS(G2)を制し、1番人気で臨んだ2000年ケンタッキーダービーで優勝し、2週間後のプリークネスS(G1)で2着に入った。

 ドライスデール調教師は、自らが殿堂入りした年にダービーを制覇したフサイチペガサスのことを、調教での反復練習を嫌がる一種独特な牡馬として記憶にとどめている。

 ドライスデール調教師はフサイチペガサスの悲報に接し、本誌(ブラッドホース誌)に対してこう語った。「実際のところ調教するのが難しい馬でしたね。暴れん坊でエネルギーが有り余っていました。毎日なにか違うことをしなければなりませんでした。ほとんどの馬はルーティンを好むものですが、彼はそうではなかったですね」。

 フサイチペガサスはドライスデール調教師に唯一のケンタッキーダービーの勝利をもたらした馬である。最終的にドライスデール調教師がダービーに管理馬を出走させたのはこの年だけであり、フサイチペガサスと同時に9着となるウォーチャントも出走させていた。1番人気に支持されたフサイチペガサスの鞍上は、2年前にこのレースをリアルクワイエットで制していたケント・デザーモ騎手が務めた。

 ドライスデール調教師は「レースに向けて調教でよく走ってくれました。19頭立てという多頭数のレースになりましたが、競馬の神様が彼に味方してくれたのです。勇気をもって走り、馬群から抜け出すことができました」と語った。

 アーサー・ハンコック3世にとって、フサイチペガサスの記憶は今も心に深く刻まれている。

 ハンコック3世は5月24日、本誌に対してこう語った。「それまで見た中で一番見栄えの良い仔馬でしたね。彼が生まれたとき5人が立ち会いました。まるで犬が探りを入れるように、彼は私たち一人ひとりを観察しだしたのです。こっちを見ているときに首を回すようなしぐさをしたのですよ。利口な馬でしたね。そして彼は立ち上がり、翌朝彼を見に行って、外に出してみました。そのとき私は"小さなスーパーマンみたいだ"と言いましたね。だから"スーパーマン"というあだ名をつけました。素晴らしい見栄えでしたね」。

 ハンコック3世は1歳のフサイチペガサスがキーンランドのセリに上場されようとしているとき、少し神経質になっていたことを認めている。

 「彼のことをとても気に入っていたのです。記憶がたしかなら、最低指定価格を140万ドル(約1億9,600万円)としていたと思います。クールモアと(有名馬主の)サティッシュ・サナン氏が興味を持っていることは知っていました。セリの直前、緊張して座っていました。ジョン・アジャー(マクナイア夫妻の生産アドバイザー)がボブ・マクナイアと一緒にやってきて、ジョンが『だめだ、だめだ』と言うので、私は『何があったんだい?』と聞いたのです。ちょうど馬がリングに登場するところでした」。

 そのときアジャー氏はハンコック3世に、クールモアとサナン氏がこの牡馬を落札するために組んでいると告げた。その時点で、ハンコック3世は"要するに入札者は1名しかいないのだな"と考えた。

 「ところが入札が始まると、関口氏が彼らを負かしてこの牡馬を落札したのです。サナン氏とクールモアが組んだことでより良い結果となったといえるでしょう。なにしろ彼らが380万~390万ドル(約5億3,200万~5億4,600万円)にまで競り上げ、400万ドルで落札されたのですから」。

 ハンコック3世にはもう1つ懐かしい思い出がある。それは1994年キーンランド11月繁殖セールでマクナイア夫妻がフサイチペガサスの母エンジェルフィーバー(Angel Fever 父ダンジグ)を52万5,000ドル(約7,350万円)で落札したことだ。この牝馬はフォーティナイナーの仔を身ごもっていた。1992年に現役を引退するまでの通算成績が2戦1勝だったこの牝馬はロングフィールドファームにより上場された。フサイチペガサスはこの牝馬の第4仔にあたる。

 「この牝馬を購買したとき、私は入札に参加していてボブ・マクナイアとジョン・アジャーがそばに座っていました。47万5,000ドル(約6,650万円)で手を挙げると、誰かが50万ドル(約7,000万円)で手を挙げました。大金でしたね。もう一度手を挙げるのを遠慮しようとしました。50万ドルなんて死ぬほど怖かったですから。そこでとても頭がいいボブが、『彼女に50万ドル相当の価値があっても、それに2万5,000ドルをプラスする価値はないのかい?』と言ったのです。私は『そうか、ボブ、それは大いに納得がいくね』と答えました。そして入札して彼女を手に入れたのです」。

 「ボブがそばにいてそう言ってくれなければ、私はそこでやめていたかもしれません。その2万5,000ドルあまりがケンタッキーダービー馬を生産する決め手となったのです」。

 伝説的な父ミスタープロスペクターの死から1年後、レキシントンの大半の牧場が参加したフサイチペガサスをめぐる獲得合戦は白熱した。そして彼は2000年末に現役を引退し、当時の史上最高額で購買されてアシュフォードスタッドで種牡馬入りした。複数のメディアがその価格を6,000万ドル(約84億円)以上と報じた。初年度の種付料は15万ドル(約2,100万円)とされた。

 フサイチペガサスは世界中で6頭のチャンピオン馬、そしてローマンルーラー、チャンプペガサス、ハラダサン、バンディニなどのG1馬を送り出した。南半球のドンアルベルト牧場とフィリップソン牧場で供用された時期にはチリ年度代表馬ブロンゾ(Bronzo)と最優秀マイラーのテラモン(Telamon)を送り出した。また、彼は2023年のチリの三冠馬フォルティーノ(Fortino)の母父でもある。

 フサイチペガサスは種牡馬を引退したあともアシュフォードスタッドで暮らしていた。

 アシュフォードスタッドのダーモット・ライアン場長は、「フーペグは素晴らしい競走馬で面白い性格をしていました。彼がアシュフォードにいたあいだ、最高レベルの世話をしてくれた(種牡馬マネージャーの)リチャード・バリーとそのチーム全員に感謝したいと思います」と語った。

By Karen M. Johnson
(1ドル=約140円)

[bloodhorse.com 2023年5月24日「Highest-Priced Derby Winner Fusaichi Pegasus Dies」]