海外競馬ニュース 2021年05月27日 - No.19 - 4
名種牡馬マリブムーン、心臓発作と思われる症状で死亡(アメリカ)[生産]

 B・ウェイン・ヒューズ氏のスペンドスリフトファーム(ケンタッキー州レキシントン)は、創設当初からいた種牡馬マリブムーンが5月18日に囲い放牧場で心臓発作と見られる症状を呈し急死したと発表した。この卓越したエーピーインディ産駒は24歳だった。

 現在のスペンドスリフトファームを確立したヒューズ氏は、「我々にとってマリブムーンはスペンドスリフトの始まりでした。彼がいなければ、現在の我々はなかったでしょう。牧場を成功させるには特別な馬が必要ですが、彼はまさにそのような馬でした。今日は悲しい日です」と語った。

 長年にわたって北米の一流種牡馬として活躍してきたマリブムーンは、今世紀の大部分においてサラブレッド産業の中心的存在であり、レースでも繁殖でもその牡駒と牝駒を通じて血統に大きな影響をもたらした。

 マリブムーンは現在までに、ブラックタイプ勝馬126頭と重賞勝馬51頭(うちG1馬17頭)を送り出している。優秀な産駒には、2013年ケンタッキーダービー(G1)優勝馬オーブ、2004年米国最優秀2歳牡馬デクランズムーン、過去12年で高額賞金を獲得したG1馬のゴームリー・マグナムムーン・ライフアットテン・カリーナミア・カムダンシングなどが含まれる。

 スペンドスリフトファームのオーナー兼会長であるエリック・グスタフソン氏はこう語った。「私たちにとってとても悲しい日です。このように偉大な存在を失ったのは初めてです。大変つらいです。これらの美しくて威厳のある動物を目の前にすると、本当に深い愛情が湧いてきます。イントゥミスチーフがトップスタリオンとしての重責を引き継いだ後も、マリブムーンは常に私たちの数々の種牡馬の中において "ボス"でした。彼がスペンドスリフトの発展にどれほど重要な役割を果たしてきたかは、いくら強調しても誇張にはなりえません。彼がいなくなると寂しくなると言うだけでは足りません。マリブムーンのいないスペンドスリフトなど想像できません」。

 マリブムーンが送り出したG1馬17頭はすべて、ダートでG1勝利を達成した。現代の種牡馬の中では、タピットに次ぐ2番目に多いダートのG1馬を送り出した。マリブムーンは、ケンタッキーダービーをはじめ、その重要なステップレースであるフロリダダービー(G1)・サンタアニタダービー(G1)・アーカンソーダービー(G1)などで勝馬を出してきたので、おそらく"ロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービー"において最も大きな影響を与えた種牡馬と言えるだろう。

 近年はブルードメアサイアー(母父)としても大きな影響をもたらしてきた。マリブムーンの牝駒は2015年最優秀3歳牝馬ステラーウィンドや、G1馬のガーヴィン、バイザムーン、ベラフィナ、そして先日のプリークネスS(G1)の2着馬ミッドナイトバーボンなどを送り出している。

 マリブムーンは、スペンドスリフト、キャッスルトンリオンズ(Castleton Lyons)、カントリーライフファームにより所有されていた。

 スペンドスリフトファームのネッド・トッフィー場長はこう語った。「マリブムーンは多くの人々に多くのことをもたらしました。私たちのパートナーであるキャッスルトンリオンズとポンス家は彼の種牡馬としてのキャリアを発展させることを助けるのにとても尽力してくれました。そしてマリブムーンは、その尽力に寛大に報いてくれ、彼らだけでなく私たちにも見返りを与えてくれました。彼はまさに一生に出会うか出会わないかの馬でした」。

 カントリーライフファームのジョシュ・ポンス氏はこう付け足した。「マリブムーンは友人でした。特別な存在感があり、人なつこい馬でした。スペンドスリフトにいる彼に会いに行くと、いつも私の姿と声を覚えていてくれました。マリブムーンは関わったすべての人々の生活を良いものにしました。彼はポンス家の次の世代の人々の授業料を支払い、5人の子どもを大学に通わせました。マリブムーンは関わったすべてのものを昇格させたのです」。

 マリブムーンはヒューズ氏により生産されて所有された。2歳時に故メルヴィン・ステュート調教師により管理され、デビュー戦で2着となり、2戦目のハリウッドパーク競馬場のダートレース(約1000m)で初勝利を挙げた。しかし出走したのはこの2戦のみとなった。というのも、初勝利後に膝に深刻な怪我を負ったためにレースキャリアを終えざるを得なかったのである。

 マリブムーンは2000年、カントリーライフファーム(メリーランド州)で種牡馬入りし、手頃な初年度種付料3,000ドル(約33万円)で供用されたが、初年度産駒がデビューするとすぐに大成功を収めた。供用2年目の産駒であるデクランズムーンは、若きマリブムーンの種牡馬としてのキャリアを次のステージに引き上げるのに貢献した。マリブムーンは2004年にケンタッキー州に移り、ライアン家のキャッスルトンリオンズでの1年目は種付料1万ドル(約110万円)で供用された。この年、ヒューズ氏はスペンドスリフトファームを購入している。

 ヒューズ氏は再び種牡馬を供用できるように数年間で牧場を改修し、2007年末にマリブムーンをスペンドスリフトに迎え入れた。産駒が素晴らしい競走成績を挙げ続けていたので、スペンドスリフトでの1年目である2008年は種付料4万ドル(約440万円)で供用された。その後、マリブムーンはますます成功を収め、オーブが歴史的なダービー制覇を達成したことで、その翌年の2014年の種付料は9万5,000ドル(約1,045万円)にまで達した。

 2003年にケンタッキー州に到着して以来、マリブムーンは毎日ウェイン・ハワード氏により世話をされ見守られてきた。現在スペンドスリフトの種牡馬マネージャーを務める同氏は、マリブムーンとともにスペンドスリフトに移る前は、キャッスルトンリオンズで働いていた。

 ハワード氏は、「私が"ブーブー"と呼んできたマリブムーンがいなくなるのは、スペンドスリフトのスタッフ全員にとってひどく寂しいことです。個人的には、光栄にもマリブムーンの世話をして一緒に働くことができた18年間は、お互い心の底から楽しんだ旅だったと思います。彼は間違いなくボスであり、私は彼に従うだけでした」と語った。

 マリブムーンは王族の遺伝子を象徴するような存在である。血統を形成してきた種牡馬エーピーインディの産駒の中でも、最も多作な種牡馬だった。またエーピーインディも1977年米国三冠馬で伝説的な種牡馬シアトルスルーを父とする産駒の中で、種牡馬として最も多くの産駒を送り出した。マリブムーンはエーピーインディ産駒の中で唯一ケンタッキーダービー馬を送り出した種牡馬であり、同じくダービー馬を1頭出したシアトルスルーに匹敵する。

 いつもその強靭な馬体と美しさで知られてきた鹿毛のマリブムーンは、マクーンバ(父ミスタープロスペクター)を母とする。G1勝利のある華やかな競走生活を過ごしたマクーンバをヒューズ氏はフランスで購買して輸入した。マリブムーンは、半弟に種牡馬パーカーズストームキャット(父ストームキャット)、半妹にG3勝馬・種牡馬テンプルシティの母カリキュラム(父ダンジグ)がいる。

 マリブムーンは2021年に種牡馬生活22年目を迎え、最後のシーズンは種付料3万5,000ドル(約385万円)で供用されていた。

By Blood-Horse Staff

(1ドル=約110円)

 (関連記事)海外競馬ニュース 2017年No.25「マリブムーン、100頭目のブラックタイプ競走優勝産駒を送り出す(アメリカ)

[bloodhorse.com 2021年5月18日「Malibu Moon Dies from Apparent Heart Attack at 24」]