海外競馬ニュース 2021年01月14日 - No.1 - 1
偉大なオーナーブリーダー、カリド・アブドゥラ殿下が死去(国際)[生産]

 オーナーブリーダーのカリド・アブドゥラ殿下は83歳で死去した。フランケル、ダンシングブレーヴ、エネイブルなどの名馬は、殿下のグリーン・ホワイト・ピンクの勝負服を背に走った。

 過去40年間にわたり競馬の国際舞台において重鎮であり続けたアブドゥラ殿下は、G1馬118頭を含む500頭以上のステークス勝馬を所有した。

 殿下は1978年に英国で初めて馬を出走させたわずか1年後に、1979年ミドルパークS(G1 ニューマーケット)をノウンファクトで制し、G1初優勝を達成した。

 ノウンファクトは1980年に英2000ギニー(G1)を制して殿下にとって初めてのクラシック勝馬となった。殿下は数多くのスーパースターを送り出すことになるが、ノウンファクトは初めの一頭だった。

 ジャドモントファームのCEOダグラス・アースキン-クラム氏はこう語った。「ジャドモントファーム全体が深い喪失感に包まれています。物静かで、威厳があり、愛情深くファミリーを大切にする人として、殿下はずっと思い出されることでしょう。殿下の馬がそれを物語っています」。

 「殿下は時を経ても忘れられないレガシーを残します。サラブレッド競馬の発展への殿下の貢献は長きにわたって影響をもたらすでしょう」。

 21世紀にアブドゥラ殿下のサラブレッド事業は2つの絶頂を経験した。それは凱旋門賞(G1)を連覇したエネイブルと比類なきフランケルの活躍である。フランケルは、70代になっていた殿下の人生だけでなく、病気療養中のサー・ヘンリー・セシル調教師の人生も明るくした。

 故セシル調教師のウォレンプレイスでの調教師免許を引き継いだセシル夫人は、亡き夫の人生においてアブドゥラ殿下とフランケルがどのような意味を持っていたかについて語り、熱烈な賛辞を送った。

 「殿下は紳士であり、ヘンリーに対してとても義理堅い方でした。最期の数年間にフランケルを預けてくださったことで、ヘンリーは頑張り続けることができました。殿下はヘンリーの良き友人であり、キャリアのある時点において殿下のサポートがなければ、ヘンリーは調教活動を続行できなかったでしょう。殿下は彼を信じてくださいました」。

 「ヘンリーの死後、殿下は親切にも、私にノーブルミッション(フランケルの全弟)の調教を続けさせてくださいました。『ノーブルミッションが英チャンピオンS(G1 アスコット)で優勝するのを家族と一緒に自宅で見ました』とおっしゃってくださったのを覚えています」。

 「殿下はヘンリーにとりわけ優秀な馬を預けてくださいました。ミッデイ、トワイスオーバー、パッセージオブタイム、そしてフランケルです。フランケルを預けてくださったのは明らかに殿下自身の要望であり、それがヘンリーに毎朝起きる喜びをもたらしたのです」。

 エネイブルを手掛けたジョン・ゴスデン調教師はこう語った。「アブドゥラ殿下は1950年代の若き日にパリで初めて競馬を楽しまれました。これが、1970年代後半に国際的なサラブレッド生産事業を確立するという大胆で徹底した計画の引き金となり、殿下の才気を実証することとなったのです。殿下は20年間で、欧州と米国のトップブリーダーとしての地位を確立しました。

 「殿下は魅力的で洗練されユーモラスな振舞いをされる一方で、ビジネスおよび競馬・生産事業では見事な戦略的アプローチをとられました。控えめで高貴な紳士である殿下はたいへんファミリーを大切にする方であり、38年間も殿下のために調教できたことはとても光栄であり大きな名誉でした」 。

 1980年代に殿下が所有した中で最も優れた馬はダンシングブレーヴに違いない。同馬は1986年に、英2000ギニー、エクリプスS(G1)、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)、凱旋門賞を制覇するという信じられないほど素晴らしいシーズンを送った。

 ダンシングブレーヴを手掛けたガイ・ハーウッド調教師はこう述べた。「とても悲しいです。殿下は輝かしい生涯を全うされ、巨大な競馬・生産事業体を後世に残した、とても立派な紳士でした」。

 「1980年代に殿下の最強馬を数頭管理して充実した日々を送ったことは、とても幸運でした。殿下が築いた競馬帝国は競馬への大きな愛の表れでした」。

 「ジャドモントファームはまさに殿下の創造物でした。殿下は好んで事業のあらゆる面に携わりました。優良馬を購買して、自らの牧場を運営し始めました。最高の牝馬と最高の種牡馬を交配して生産を行い、大きな成功を収めました」。

 ジャドモントファームの最初の活躍馬ノウンファクトは、ジェレミー・トゥリー調教師により管理された。殿下の初めての凱旋門賞優勝馬レインボークエストや、後にクールモアで血統に大きな影響をもたらす種牡馬となったデインヒルも、同調教師に手掛けられた。

 トゥリー調教師の後を引き継いでベックハンプトンで活動するロジャー・チャールトン調教師は、免許を取得して初めて迎えたフルシーズンにおいて、英ダービーをクエストフォーフェイム、その4日後の仏ダービー(G1 ジョッケークリュブ賞)をサングラモアで制した。その後もベイティッドブレス(Bated Breath)、シティスケープ、フランケルの母カインド(Kind)など、殿下の傑出馬を手掛けた。

 チャールトン調教師はこう語った。「40年前に殿下と知り合ったのは大変幸運でした。私たちは皆、殿下が行った多大な貢献とジャドモントファームが驚くべきプロ意識の高い競馬・生産事業体になったことを認識しています」。

 「殿下は話し合いに参加し、交配計画などの決定を下してきました。誰もが殿下が魅力的で謙虚な方だと考え、殿下のために働くことに喜びを感じていたと思います」。

 「良い時期もあれば悪い時期もありました。そのようなものです。殿下は誰もがやるようにうまく立ち直り、競馬というものを理解しました。そして、負けたときはそれを潔く認めることが、大きな勝利を収めたときに盛大に祝うのと同様に大事だということを心得ていました。そして殿下は実に多くの勝利を収めました」。

 ジャドモントファームの馬を手掛けた調教師たちは、まるで国際競馬の名士録のようだ。サー・マイケル・スタウト調教師とアンドレ・ファーブル調教師も弔辞を述べた。

 2010年にジャドモントファームの自家生産馬ワークフォースで英ダービーと凱旋門賞を制したスタウト調教師はこう語った。「殿下の馬を管理することは大きな喜びであり名誉でもありました。殿下はジャドモント帝国を築いて、それを世界で最も象徴的で成功した生産事業体に育てました。競馬界はとても大切な友人であり支援者である方を失いましたが、殿下の素晴らしいレガシーは生き続けるでしょう」。

 ファーブル調教師はフランスバージョンの殿下の勝負服[ピンクのエポレット(肩章)付]を背負った優良馬を管理してきたが、その中には英国やアイルランドでクラシック勝利を挙げたウィームズバイト、トゥーロン、ザフォニックも含まれる。また、ブリーダーズカップ開催で勝利を挙げた牝馬バンクスヒルや、2006年凱旋門賞を制したレイルリンクもいた。

 ただしファーブル調教師がもっとも懐かしく思い出すのは、人間としてのアブドゥラ殿下だ。

 「誰もが殿下のオーナーブリーダーとしての功績をよく知っています。史上最高のオーナーブリーダーと言えるでしょう。しかし何にもまして、殿下は真の貴族でした。階級という意味ではなく、何をやるにしても殿下としての気品がありました」。

 「周囲にいた誰もがプレッシャーを感じることなく、ただ殿下のために良い結果を出そうと夢中になっていたことと思います。殿下は素晴らしい人だったので、誰もが殿下のために何ごともうまく行くことを望んだのです」。

By Tom Ward and David Milnes

[Racing Post 2021年1月12日「Khalid Abdullah, legendary owner-breeder of Frankel, dies aged 83」]