海外競馬ニュース 2020年02月27日 - No.8 - 1
米国競馬界、エーピーインディという伝説を失う(アメリカ)[生産]

 1992年米国年度代表馬であり世界で最も偉大な種牡馬の1頭であるエーピーインディ(31歳)は2月21日(金)、長年暮らしていたレーンズエンド牧場(ケンタッキー州ヴァーサイルス近く)で永眠した。

 レーンズエンド牧場のビル・ファリッシュ(Bill Farish)氏は、牧場スタッフ全員が悲しい金曜日を迎えて互いに慰め合っていると述べた。そして、父ウィリアム・S・ファリッシュ(William S. Farish)氏にとってエーピーインディがどれほど重要な馬であったかに言及した。同氏はエーピーインディをウィリアム・キルロイ(William Kilroy)氏とともに生産し、後に同馬をシンジケートで所有していた。

 ビル・ファリッシュ氏は「父は我々の牧場に来るときはいつも、まずエーピーインディに会いに行きました。父はとてもつらい金曜日を過ごしているでしょう」と述べた。

 同氏は、エーピーインディには健康上の問題はなく、老衰による死だったと述べた。そして、同馬の死は長く厩務員を務めているアサ・ヘイリー(Asa Haley)氏にとって特につらいものとなるとし、こう語った。「エーピーインディが私の家族とレーンズエンドにとってどれほど大切な馬であったかはうまく言葉にできません」。

 競走生活においては、バートランド(Bartrando)を破ったサンタアニタダービー(G1)での優勝を含む5連勝を挙げた後に挑戦するはずだったケンタッキーダービー(G1)を、挫跖と裂蹄のために回避せざるを得なかった。ニール・ドライスデール(Neil Drysdale)調教師はプリークネスS(G1)までの時間は短すぎると判断し、エーピーインディをピーターパンS(G2 プリークネスSの8日後)に出走登録した。そして同馬はベルモントパーク競馬場で施行されたこのレースを、コロニーライト(Colony Light)に5½馬身差をつけて制した。

 満を持して挑んだベルモントS(G1 ダート約2400m)において、エーピーインディは4番手から先頭に立ち、2着のマイメモワーズ(My Memoirs)に¾馬身差をつけて優勝した。

 主戦のエディー・デラフーセイ(Eddie Delahoussaye)騎手を背に勝利を決めたこのレースで、同馬は父と母父が三冠馬である自らの実力をスタートからまざまざと見せつけた。同馬の父は三冠馬シアトルスルーで、母はウィークエンドサプライズ(Weekend Surprise 父は三冠馬セクレタリアト)である。エーピーインディはレーンズエンド・コンサインメント社により1990年キーンランド7月サマーセレクト1歳セールに上場され、BBAアイルランド社によりこのセリの最高価格290万ドル(約3億1,900万円)で購買された。

 D・ウェイン・ルーカス(D. Wayne Lukas)調教師に競り勝ってエーピーインディを落札したのは、BBAアイルランド社のノエル・オキャラハン(Noel O'Callaghan)氏である。同氏は鶴巻智徳氏の代理人を務めていた。エーピーインディの大半の競走生活において馬主を務めた鶴巻氏は日本でも20年間競走馬を所有しており、同馬のケンタッキーダービー前のタイミングの悪い故障に理解を示していた。なお、エーピーインディは引退レースの前にシンジケートによって所有されることとなった。

 同馬はベルモントSの後、モルソンエクスポートミリオンS(G2 ウッドバイン競馬場 現ウッドバインマイル)で5着、ジョッキークラブゴールドカップ(G1 ベルモントパーク競馬場)でプレザントタップ(Pleasant Tap)に6¾馬身も引き離され3着となり、物足りない結果を残した。しかしその3週間後、エーピーインディは形勢を逆転させ、BCクラシック(G1 ガルフストリームパーク競馬場)で2馬身差の勝利を収めた。そして1992年の最優秀3歳牡馬と年度代表馬に選出された。

 そのBCクラシックはエーピーインディの最後のレースとなった。その後、同馬は種牡馬入りし、種付料は1993年には5万ドル(約550万円)だったが、2002年には30万ドル(約3,300万円)に達し、種牡馬としてもさらに成功した。

 エーピーインディは2003年と2006年にはリーディングサイアー、2015年にはリーディングブルードメアサイアーとなり、長年にわたり両方のランキングで上位に入った。

 エーピーインディは、プリークネスS優勝馬バーナーディニ(Bernardini)、2003年米国年度代表馬マインシャフト(Mineshaft)、2015年最優秀ダート牡馬オナーコード(Honor Code)、牡馬を蹴散らし2007年ベルモントSを制した牝馬ラグズトゥリッチズ(Rags to Riches)、2007年&2008年米国年度代表馬カーリンを送り出した。また、2001年最優秀2歳牝馬テンペラ(Tempera)、2008年&2009年カナダ最優秀古馬マーチフィールド(Marchfield)、カナダでソブリン賞を受賞したアイオブザレオパード(Eye of the Leopard)、キャッチザスリル(Catch the Thrill)、セレナーディング(Serenading)、UAE年度代表馬フェスティバルオブライト(Festival of Light)などもエーピーインディ産駒である。

 ウィリアム・S・ファリッシュ氏は2006年、本誌(ブラッドホース誌)に対してこう語っていた。「エーピーインディは誰もが夢見るような種牡馬です。キルロイ氏と私は、彼を生産して売却しました。彼はセリの最高価格馬になり、その後、米国年度代表馬になりました。私たちは彼を再び所有するためのシンジケートを組み、彼はリーディングサイアーに2度輝いています。このようなドリームホースを手に入れるのは難しいものです」。

 種牡馬入りしているエーピーインディ産駒は29頭いる。

 エーピーインディは2011年に種牡馬生活から引退した。その後も、同馬はビル・ファリッシュ氏が述べたようにスターであり続け、牧場巡りツアーの目玉であった。

 長年エーピーインディの身近にいたヘイリー氏は2019年に本誌に対してこう語っている。「私にとって彼は馬ではなく人間です。牧場を訪ねてきた人々が見たがるのはエーピーインディです。人々は私を見つけるといつも、エーピーインディはどうしているか聞きます。彼は私にとってとても大切な馬です」。

 この記事の中で、ビル・ファリッシュ氏は、レーンズエンド牧場でのエーピーインディの影響力の大きさについてこう述べていた。「彼はレーンズエンドで全ての特権を持っています。レーンズエンドは彼が生まれる20年前からあるのですが、この30年間は彼が住んでいます。とても信じられないことです」。

By Frank Angst

(1ドル=約110円)

[bloodhorse.com 2020年2月21日「Racing Loses a Legend: A.P. Indy Dies at 31」]