海外競馬ニュース 2015年07月09日 - No.27 - 2
ハンガリーの伝説のスプリンター、オーバードーズが疝痛で死亡(ハンガリー)[その他]

 ハンガリーで最も有名な競走馬であり、その驚異的なスピード故に“ブダペストの弾丸”との異名をとったオーバードーズ(Overdose 10歳)が、疝痛のために死亡した。

 オーバードーズは、タタソールズ社(Tattersalls)のセリにおいて、馬主ゾルタン・ミコツィ(Zoltan Mikoczy)氏に、僅か2000ギニー(約40万円)で購買された。2000年代後半に驚くべきスプリンターとして、ロンシャン競馬場、バーデンバーデン競馬場、ヘイドック競馬場、ロイヤルアスコット開催に遠征し、競馬地図にハンガリーを登場させた。

 オーバードーズの競走生活は、格調高いものであると同時に論議に満ちていた。ハンガリーで無敗を誇り、真っ向勝負の破壊的な勝利を見せるインターネット上のビデオが、その伝説を作り上げていった。

 大差の勝利はすべて少頭数が相手だったことから、“東欧からの野獣”は神話上の馬でしかないように思われていた。しかし、2008年アベイドロンシャン賞(G1・1000m ロンシャン競馬場)において、独走状態でゴール板を駆け抜けたとき、欧州最強スプリンターと主張するに相応しい証拠を示したのである。

 ところが、この“G1初制覇”はフリーティングスピリット(Fleeting Spirit)のゲートが開かず、競走が無効となって幻となった。オーバードーズの走破タイムが、再施行された同レースで優勝したマルシャンドール(Marchand D’Or)のそれを上回っていた事実は、オーバードーズが不当に扱われた印象を際立たせた。なお、オーバードーズは疲労が著しく、再施行のレースには出走しなかった。

 2009年の英国遠征は台無しとなった。最初は肢の問題のために遠征を遅らせ、その後、計画自体が取り止めとなった。馬主の逮捕、サンダー・リバルスキ(Sandor Ribarszki)調教師の国外移住、そしてさらなる故障が、あの猛烈なスピードを二度と見られないものにするのではないかとの懸念を生んだ。

  しかし、戦線離脱から15ヵ月後の2010年7月、オーバードーズはジョゼフ・ロスジヴァル(Jozef Roszival)調教師の管理のもと、ブラチスラヴァ競馬場で優勝し、その後ハンガリーで再び優勝した。この2戦で騎乗したゲイリー・ハインド(Gary Hind)騎手は、このスピード馬を哀悼して、次のように語った。

「オーバードーズに騎乗できたことは、騎手人生において忘れがたいことです。彼は、私に素晴らしい2日間をプレゼントしてくれました。2010年8月、ハンガリーのキンチェムパーク競馬場で再びオーバードーズに騎乗し、10馬身差で優勝したことは、騎手人生の後半のクライマックスでした。その頃、私は、すでに英国での騎乗を辞めていました」。

 「スタンドは満員で、ハンガリーの有力政治家も臨席していました。競馬ファンのみならず、国全体の重大事であり、オーバードーズは驚異的な勝ち方をみせました。私は強い高揚感にとらわれました。表彰式では国歌が演奏され、圧倒されました。その後、落ち着いて、その日の出来事を思い出し、幸福な気持ちになったのです」。

 「私は、オーバードーズの競走生活において、ジョン・ゴスデン(John Gosden)厩舎で担ったのと同じ役割を果たしたと考えています。ゴスデン厩舎ではデビューする2歳馬を担当し、ハンガリーでは深刻な故障歴をもつオーバードーズの競走復帰を手伝いました。彼の訃報を聞き、大変悲しく思います」。

 オーバードーズは、この2勝の後、クリストフ・スミヨン(Christophe Soumillon)騎手を背にバーデンバーデン競馬場のゴルデネパイチュ(G2)に参戦したが、同レースで初の敗北を喫した。

 2011年シーズンは、ホッペガルデン競馬場での勝利から始まり、カパネッレ競馬場でのG3優勝で終わった。この年、“ブダペストの弾丸”はついに英国に遠征したが、テンプルS(G2)とキングズスタンドS(G1)で敗れた。

 2012年シーズンは、ドバイワールドカップナイトから参戦する予定であったが、オーバードーズは再び故障し、引退を余儀なくされた。

 しかし、オーバードーズの遺伝子は受け継がれるだろう。今年、最初のオーバードーズ産駒が、ノルマンディーのオモヌリー牧場(Haras de l'Aumonerie)で誕生した。

By Stuart Riley
(1ポンド=約190円)

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[Racing Post 2015年7月2日「Budapest Bullet Overdose dies of colic」]