パット・スマレン騎手、膵臓がんで死去(アイルランド)[その他]
世界中の競馬界は9月15日、パット・スマレン騎手(43歳)がダブリンのセントヴィンセント病院で膵臓がんにより息を引き取ったことを聞き、動揺している。
アイルランドのリーディングジョッキーに9回輝き、欧州のクラシック競走を12勝したスマレン騎手は2018年3月に膵臓がんと診断されていた。
スマレン騎手は初期治療により、健康になりつつあった。同騎手のキャンサー・トライアルズ・アイルランド(Cancer Trials Ireland)の募金活動への取り組み方は、多くの人々に感銘を与えていた。その活動の一環として、愛チャンピオンズウィークエンドにレジェンドレース(2019年9月15日)が開催され、最終的に250万ユーロ(約3億1,250万円)が集まった。
その最も印象的な活動の1年後に同騎手の訃報が伝えられていることに、悲しみのあまり胸が張り裂けそうになる。
スマレン騎手はこの数ヵ月間、がんが再発しており、先週病状は悪化していたようだ。家族は9月15日(火)の夜に、スマレン騎手が亡くなったことを認めた。
1995年と1996年に最優秀見習騎手となり、スマレン騎手の輝かしいキャリアは2016年に英ダービー(G1)でハーザンド(Harzand)を勝利に導いたときに栄光の頂点を極めた。
アガ・カーン殿下の自家生産馬で挙げた、この記憶に残る勝利は、偉大な協力者ダーモット・ウェルド調教師と組んで達成された。スマレン騎手は1999年に、ウェルド厩舎の騎手としての座をマイケル・キネーン騎手から受け継いでいた。
同世代においてビッグレースで最も頼りになる安定した騎手の1人として認められたスマレン騎手は、タラスコン(Tarasconトミー・スタック厩舎)で1997年のモイグレアスタッドS(G1)を制してG1初優勝を果たした。
ローズウェルハウス調教場を拠点とするウェルド調教師のために騎乗した華々しい期間において、スマレン騎手はアイルランドのリーディングジョッキーに9回輝いた。このタイトル獲得回数を超えるジョッキーはキネーン騎手だけである。
ハーザンドに騎乗して英国とアイルランドのダービーを制したことは、スマレン騎手のキャリアのハイライトに違いないが、他にもアイルランドで以下の快挙を果たしている。
-グレイスワロー(Grey Swallow)での愛ダービー優勝
-ナイタイム(Nightime)およびベスラー(Bethrah)での愛1000ギニー優勝
-ヴィニーロー(Vinnie Roe)での愛セントレジャー4連覇
また、ウェルド調教師とのコンビで達成した英国でのG1勝利は次のとおりである。
-リフューズトゥベンド(Refuse To Bend)での英2000ギニー優勝
-ライトオブパッセージ(Rite Of Passage)でのゴールドカップ優勝
-ファシネイティングロック(Fascinating Rock)での英チャンピオンS優勝
-フリーイーグル(Free Eagle)でのプリンスオブウェールズS優勝
-ドレストゥスリル(Dress To Thrill)でのサンチャリオットS優勝
ドレストゥスリルでは米国のメートリアークS(G1)も制している。
スマレン騎手は1993年6月11日、ダンドーク競馬場においてヴィコサ(Vicosa トム・レイシー厩舎)で初勝利を挙げた。そして2018年3月16日、現代的に改装された同競馬場においてトゴヴィル(Togoville アンソニー・マキャン厩舎)で最後の勝利を挙げた。アイルランドと英国で通算1,892勝を果たし、世界中でG1・25勝を達成した。
同騎手はフランセス夫人と3人の子供ハンナ、パディ、サラを残して亡くなった。フランセス夫人はクラシック優勝トレーナーであり、エイダン・オブライエン調教師の妻アンヌマリーの姉妹である。
ホース・レーシング・アイルランド(HRI)のCEOブライアン・カヴァナー氏はこう語った。「パット・スマレン氏はアイルランド競馬界でも最も輝かしいスターの1人であり、リーディングジョッキーに9回輝きました。しかしそのような功績は同騎手の騎乗の質と比べれば色あせます。スマレン騎手は私たち全員に感銘を与え、大きなレガシーを残しました。今夜は、フランセス夫人、ハンナ、パディ、サラにお悔やみを申し上げます」。
By Richard Forristal
(1ユーロ=約125円)
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