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2018年03月01日  - No.8 - 2

凱旋門賞馬エリシオを手掛けたルルーシュ調教師が引退(フランス)[その他]


 このところフランスの大物調教師が相次いで引退しているが、エリー・ルルーシュ(Elie Lellouche)調教師はその最後に名を連ねた。これまでに、フランソワ・ドゥーマン(François Doumen)調教師とクリケット・ヘッド-マアレク(Criquette Head-Maarek)調教師が引退している。彼らの引退は、シャンティイの勢力図を大きく描きかえるだろう。

 ラモルレイ調教場を拠点とするルルーシュ調教師は、そこから数々のG1馬を送り出した。中でも1996年凱旋門賞(G1)で先行して衝撃的な勝利を挙げたエリシオ(Helissio)が一番記憶に残っているだろう。

 ルルーシュ調教師は2月14日、「これは、むずかしい決断ではありませんでした。数人のクライアントが離れたことで少し早まりましたが、ほかにも様々な理由があって、潮時だと感じました」と述べた。

 スペインの実業家で政治家のエンリケ・サラソラ(Enrique Sarasola)氏の黄色い勝負服を背負ったエリシオは、1番人気で1996年仏ダービー(G1 ジョッケークリュブ賞)に臨んだが5着に敗れた。これにより、ルルーシュ厩舎所属のドミニク・ブフ(Dominique Boeuf)騎手に替わって若きオリヴィエ・ペリエ騎手が、その年の秋からこの馬の主戦を務めることとなった。

 ルルーシュ調教師は1990年から2012年までの間、ダニエル・ウィルデンシュタイン(Daniel Wildenstein)氏とその家族の馬を手掛けて目覚ましい成功を果たした。この協力関係は、同家の馬を手掛けた他の調教師よりもずっと長く続いた。

 ルルーシュ調教師が管理したウィルデンシュタイン家の青い勝負服を背負った優良馬には、それぞれ2001年と2002年の仏オークス(G1 ディアヌ賞)を制したアクアレリスト(Aquarelliste)とブライトスカイ(Bright Sky)がいる。

 アクアレリストは、サキー(Sakhee)が圧倒的勝利を収めた2001年凱旋門賞で2着となった。またその4年後にも、ルルーシュ厩舎のウエスターナー(Westerner)が凱旋門賞で2着となった(優勝馬はハリケーンラン)。ウエスターナーはその年、1977年以来初めてゴールドカップ(G1 ロイヤルアスコット開催)を制したフランス調教馬となっていた。

 ルルーシュ調教師はこう語った。「エリシオは明らかな傑出馬でしたが、ウエスターナーも忘れないでください。ゴールドカップを連勝することはかなりの偉業ですし、彼は1600m以上の距離であれば活躍できる馬でした」。

 「英国にはあまり頻繁には遠征しなかったかもしれませんが、私の管理馬はいつも健闘しました。シェイクザヨーク(Shake The Yoke)はコロネーションS(G1)で優勝しました。また、ビッグストーン(Bigstone)は強豪馬が揃っていたサセックスS(G1)を制し、クイーンエリザベス2世S(G1)を2勝しました」。

 実際、単勝15倍のビッグストーンが1993年サセックスSで圧勝したことは目覚ましい快挙だった。なぜなら、その年の英1000ギニー優勝馬サイエダティ(Sayyedati)と英2000ギニー優勝馬ザフォニック(Zafonic)を下したからだ。

 ルルーシュ調教師は、ビューティパーラー(Beauty Parlour 父ディープインパクト)で2012年仏1000ギニー(G1)を制し、これがウィルデンシュタイン家の馬で挙げた最後のG1勝利となった。ビューティパーラーはこのレースで驚くべき末脚を見せたが、仏オークスではヴァリラ(Valyra)があまりにも強く、勝利を収めることができなかった。

 ビューティパーラーはその後、ウィルデンシュタイン家の資産問題のために、サー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)厩舎に転厩した。

 しかしルルーシュ調教師は、もう1頭の優良馬を手掛けることになる。それは2歳でクリテリウムアンテルナショナル(G1)を制したエクト(Ectot)である。3歳シーズンに怪我のためにしばらく戦線離脱したエクトは、有力馬の1頭として2014年凱旋門賞に挑んだ。グレゴリー・ブノワ騎手は、無敗牝馬アヴニールセルタン(Avenir Certain)ではなくエクトをパートナーに選んでいた(訳注:優勝馬トレヴ、アヴニールセルタン11着、エクト17)。

 エクトは当初、ジェラール・オーギュスタン-ノルマン(Gerard Augustin-Normand)氏に所有されていたが、後にカタールのアルシャカブレーシング社(Al Shaqab Racing)との共同所有になった。しかしルルーシュ調教師は、有力なオーナーブリーダーたちから馬を預かることが少なくなってきていた。

 ルルーシュ調教師はこう語った。「以前ほど多くのオーナーブリーダーたちから馬を預からなくなったことを少し残念に思います」。

 「調教は難しい仕事ではありますが、どちらかと言えば、以前より現在のほうが難しくなっているようです。馬を手掛けることができず寂しくなると思います。けれども、きっと慣れるでしょう。競走馬の生産は続けます。馬主になるかどうかについては、様子を見てみます」。

 ルルーシュ調教師が障害競走に抱く情熱を思えば、これからもロンシャン競馬場だけでなくオートゥイユ競馬場でもその姿が見られることだろう。



ルルーシュ調教師が手掛けた優良馬

エリシオ

 凱旋門賞はいつも、偉業を成し遂げようとする馬にとって鬼門となってきた。しかし、エリシオ(父フェアリーキング)はピルサドスキー(Pilsudski)に5馬身の大差をつけて勝利を挙げた。これでG1・3勝を達成したエリシオは、4歳シーズンではさらにガネー賞(G1)とサンクルー大賞(G1)で優勝する(サンクルー大賞は2勝目)。

ヴァレアンシャンテ(Vallee Enchantee)

 牝馬ヴァレアンシャンテ(父パントルセレブル)が2003年香港ヴァーズ(G1)において、ブフ騎手を背に最終コーナーを回ったときは、最後から2頭目だった。ウィルデンシュタイン家の自家生産馬である同馬は、最後の直線でスパートをかけ、馬群の中に割って入り、最後の半ハロン(約100m)でポリッシュサマー(Polish Summer)を差し切った。

ウエスターナー

 ウエスターナー(父デインヒル)は、3シーズンにわたって欧州の支配的なステイヤーだった。2003年にカドラン賞(G1)とロワイヤルオーク賞(G1)を制した後、2004年にゴールドカップでパピノー(Papineau)を1½馬身差で下して優勝した。

 ウエスターナーは翌年、ロイヤルアスコット開催がヨーク競馬場に移されて実施されたときに、ディスティンクション(Distinction)を首差で下してゴールドカップを連勝した。関係者はその後、ウエスターナーを凱旋門賞に向かわせることにし、カドラン賞の三連覇は諦めた。この賭けは報われるはずだったが、あと一歩のところでハリケーンランに敗れた。

By Scott Burton

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