60競馬場を徒歩で巡る募金活動がゴールに到達(イギリス)[その他]
まるで歩行者が競う"ロシア皇太子ハンデキャップ"のようであった。極端にゆっくり歩く者もいたが、13ヵ月をかけて人生に永遠に刻み込まれる偉業を達成したリチャード・ファークアー(Richard Farquhar)氏を称えるために、300人を超える人々がニューマーケット競馬場のコースを練り歩いた。
出発点も到着点もニューマーケット競馬場であったが、そうしなければならない理由があった。ファークアー氏とその父ピーターは、同競馬場で毎年4月に行われるクレイヴン開催を26回観戦した。2012年に父ピーターが亡くなった時、ファークアー氏はクレイヴン開催の長年の同伴者を奪った膵臓癌で他の人々が命を落とさないよう大規模な募金活動を実施する構想を抱いた。
慈善活動"競馬場間を歩こう(Walking The Courses)"を実施したファークアー氏は4月14日、娘ミンティとロウリーマイルコースの決勝線を通り過ぎた。その時点で、英国膵臓癌研究所(Pancreatic Cancer UK)および競馬福祉協会(Racing Welfare)への寄付金として集まった額は37万ポンド(約5,920万円)となっていた。同氏は今後数週間・数ヵ月内に両団体への寄付額が大幅に増加することを期待している。そうなってもおかしくないだろう。
間違って群衆をジュライコースに導きかけたファークアー氏は、「驚くほどワクワクする朝でした」と述べた。同氏はその前にニューマーケットのベリーロードとハイストリートを歩いていたが、馬に乗った調教師とファハド殿下がこれに加わった。彼らは徒歩で2,910マイル(約4,683 km)もの距離を歩き、英国の60競馬場を巡った男に敬意を表しに来ていたのだ。
同氏は歩きながらこう語った。「気の遠くなるほどに長い距離だということ以外、何が起こるのか想像できませんでした」。
「途方もない数の友人ができ、英国中の友人と旧交を温めることができました。行ったことのないいくつかの競馬場にも足を踏み入れ、そこで素晴らしい歓待を受けました」。
「肉体的に最悪の時期は、フォスラス競馬場とチェプストウ競馬場の間で足を傷めてしまった時です。チェプストウ競馬場に到着する頃には大変心配な状態でしたが、ありがたいことに、競馬場の医師がコルチゾンの注射を足に打ってくれました。結果的に、元気にここに辿り着くことができました。これから獣医師の診断を受けるかもしれません。ドーピング検査を通るかどうかは定かではありませんが」。
ニューマーケット競馬場でファークアー氏が率いる群衆の中には多くの調教師がおり、そのときは馬には乗っていなかった。大きく広がった群衆の中で唯一、元調教師のセシル夫人(Lady Cecil)が"乗客を乗せていた"。セシル夫人の腕の中で身を隠していたのは8ヵ月の孫ヘンリーだった。
セシル夫人の娘アンヌ-マリー・マキューン(Anne-Marie McKeown)氏は、息子に偉大な調教師の名前を付けてもよいか母に相談し、セシル夫人はこれに賛成した。
セシル夫人は「彼を"ヘンリー"と呼ぶのにしばらく時間がかかりました。最初は"ベイビーヘンリー"と言っていましたが、今では"ヘンリー"と呼んでいます」と述べた。
小さいヘンリーはこの慈善活動について何も知らないが、誰もがこの活動に感銘を受けている。膵臓癌を克服したカレン・ステッド(Karen Stead)氏はファークアー氏の大ファンであり、妹ベヴァリーとともに歩いていた。
そしてこう語った。「ファークアー氏は素晴らしい偉業を成し遂げました。私は最初から行程を見守って来ました。これは彼の人生で非常に大きな意味を持ちます。彼がどのように感じているか想像もつきません」。
ファークアー氏は実際、圧倒されていた。自身が成し遂げたことだけではなく、極めて長い道のりにおいて応援してくれた人々の多さに感動していた。
同氏は「本当にワクワクしました。私の人生において、最も楽しく、充実し、成果をもたらし、そして励みとなりました。毎週素晴らしい思いをし、終始喜びに溢れていました」と語った。
そして今、決勝線に到達した。娘ミンティとともにゴールを通り過ぎた後、ファークアー氏は両腕を宙に広げた。その後、この偉業を称える歓声が3回あがった。使命は達成されたのだ。
By Lee Mottershead
(1ポンド=約160円)
(関連記事)海外競馬ニュース 2015年No.14「英国中の60競馬場を徒歩で巡る募金活動(イギリス)」
[Racing Post 2016年4月15日「Farquhar passes the post in 2,910-mile course trek」]