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2026年03月05日  - No.7 - 1

元騎手の自伝的一人芝居が注目を集める(アメリカ)【その他】


 大衆向けのエンターテイメントは大小さまざまな形のアイデアから生まれる。大きなものもあれば、今回のように小さなものもある。

 コメディアンのジェリー・サインフェルド氏は何気ない日常を描いたテレビ番組で、数億円から場合によっては数千億円にも及ぶ大金を稼ぎだした。

 かつて騎手や調教助手として競馬界に身を置いたロベルト・モンタノ氏は、それとは全く毛色の違った非常に私的な作品で絶賛された。

 ニューヨークのクイーンズ生まれであるモンタノ氏は、この春、故郷に錦を飾る。タイムズスクエアから2ハロンほど先にあるシグネチャー・シアター(480 ウエスト42番通り)で、批評家から絶賛された自伝的一人芝居「スモール(Small)」を初めて商業公演として上演する。

 数十年の歳月をかけて創作された「スモール」では、現在65歳のモンタノ氏がロングアイランド島にあるベルモントパーク競馬場から、さほど遠くないクイーンズ区ベイサイドで過ごした過酷な幼少期が描かれている。小さな体を理由に執拗ないじめを受けていたのだ。

 10代のころ、モンタノ氏は競馬に夢中になっていた。しかし、何とも皮肉なことに、念願の騎手となったタイミングで急激な成長期を迎えたことから、小柄な体型を維持するために心身を削る虚しい闘いに挑まなくてはならなかった。騎手として活動した5ヵ月間で7戦しか騎乗できず、未勝利に終わった。その後はステージダンサーとして頭角を現す。

 「スモール」は5月28日から7月もしくは8月にかけて、シグネチャー・シアター内のアリス・グリフィン劇場で上演される。本作でモンタノ氏は、騎手になるという夢を実現させるために抱えていた葛藤や恩人の悲劇的な死など乗り越えなくてはならなかった試練について語る。夢の代償はとても大きなものだった。

 同氏は私たちを魔法にかけたかのように実在する約20数人を見事に演じわけている。人生の傷跡をさらけ出しつつ、たとえ一つの夢が終わりを迎えても、辛抱強く歩んでいけば、夢の燃え殻から新たな夢が生まれるのだということを描いている。

 そのストーリー性から競馬関係者に愛されてきた「スモール」は4年前に初演を迎えた。その後、競馬界を超えて一般の観客からも絶賛され続けている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「観客を捉えて離さない。躍動感あふれる素晴らしい一人芝居だ」と激賞した。

 サンディエゴ・ユニオン・トリビューン紙は「痛快でユーモアにあふれ、時にショッキング。見事な好演が光る作品」と評した。

 本作は非常に高い評価を受けており、ハリウッドでの映画化の話も進んでいる。4月に66歳になるモンタノ氏は、自身の父親役を演じることになっているようだ。

 現在はニューヨークでの凱旋興行に向けて、着々と準備を進めている。

 「この舞台は希望、夢と再起の物語です。競馬場へのオマージュであり、私なりのお返しでもあります。抗えないほどの魅力を競馬場に取り戻したいのです」とモンタノ氏は語った。「まだ幼かった自分が競馬場に初めて行った日に感じたことをみなさんにも味わって欲しいのです。自分の小さな成功や失敗を分かち合うことによって、みなさんが競馬場に足を運ぶきっかけになってくれたらと思います」。

 「スモール」の構想は1994年にはあったものの、モンタノ氏は自らの汚点もさらけ出し、その生き様を舞台で演じることに恐怖を感じ、2017年まで作品にすることができなかった。

 「ついに、これは自分だけの物語ではないはずだと気がついたのです。この話はみなさんにも共感してもらえるのだと。希望や夢を持っていた人が道を阻まれたときに、そこからどう歩んでいくのか。これは世界中の負け犬に捧げる物語なのです。『ロッキー』と『ドラッグストア・カウボーイ』と『リトル・ダンサー』(訳注:全て映画のタイトル)の要素を融合させたような物語です」とモンタノ氏は話した。「この舞台では、人はやり直すことができるということを描いています」。

 モンタノ氏が競馬の世界に足を踏み入れたのは、まだ10代だった1973年のことだった。教会に寄った後、台所の床タイルを買うからと母親に連れ出された。

 母親はベルモントパーク競馬場まで車を走らせたのだ。

 どうやら、母親の職場だった家具および宝石品の小売店フォーチュノフの宝飾品部門の顧客にロバート・ピネダ騎手がいたようだ。同騎手は母親に馬券のヒントを伝えており、それが台所の床タイルに化けたのだった。

 まだ10代だったモンタノ氏は、競馬場を目の当たりにして、驚異に満ちた世界を知ることになったのだ。

 「観客があんなに小さな男たちに注目し、敬意を払っていた。その後、その小さな男たちが1,200ポンド(約550kg)はあろうかという筋肉隆々の動物にまたがるのです。自分にとって、これほどに格好よく魅力的で危ういと思えるものはありませんでした」。

 競馬界へのゲートは、新聞配達先であるボブ・ダンカン氏がニューヨーク競馬協会(NYRA)の競馬場でスターターを務めていることやダンカン氏の妻スーが調教師であることが分かった時に開かれた。父親からのサポート、ダンカン家とのつながり、ピネダ騎手の指導もあり、モンタノ氏は厩務員として働き始める。そこから調教助手となったのち、ついに騎手の道へと歩みを進める。

 モンタノ氏の騎手としてのキャリアは1977年3月2日、アケダクト競馬場で幕を開け、この日は2戦2敗だった。しかし、デビューと時を同じくして、成長期のピークに差し掛かり、約168cmだった身長が約178cmまで伸びてしまう。体重を47kgから49kgあたりに抑えるための壮絶な闘いが強いられた。

 「これが舞台のテーマです。小さいままでいたかったのです。神様に大きくしないでくださいと祈りました。ほとんどの男性は背が高くて黒髪の彫りの深いハンサムになりたいはずです。でも、自分は小さくて肉のない痩せっぽちのままでいたかったのです」とモンタノ氏は語った。

 体を絞るためにモンタノ氏がとった手段には、馬のラシックス剤を4つに割って服用し、利尿を促すというものまであった。

 「もう、いっぱいいっぱいでした。でも、乗せてもらえなくなるので、誰にもそれを悟られるわけにはいきませんでした」とモンタノ氏は話した。

 アトランティックシティ競馬場とデラウェアパーク競馬場でも騎乗を果たすが、7鞍目を終えた際に体への負担や脱水症状が一気に表面化してしまい、人生で最も愛した騎手という職業に別れを告げざるを得なかった。

 「最後のレース後に、鼻、口、耳から出血がありました。それで、この道を諦めるしかないと分かったのです」。

 その後、心の支えだったピネダ騎手が1978年にピムリコ競馬場での落馬事故で亡くなったことから、1年ほど重度のうつ状態に陥った。

 「ピネダ騎手は自分にとって、神様のような存在でした。競馬のことを全て教えてくれました。馬の乗り方や振る舞い方まで教えてくれたのです。この舞台の中でも大きな存在となります」とモンタノ氏は語った。

 ついに、サラトガのディスコで過ごした一晩が状況を好転させた。モンタノ氏の踊り手としての才能が初めて開花したのだ。それがアデルフィ大学でのダンスの奨学金と新たな人生の旅路へと導いてくれたのだ。大学生活も半ばを過ぎたころに調教助手かダンスかを選択しなくてはならない岐路に立たされ、ダンスを選んだのだった。

 「あれは人生で一番難しい決断でした」とモンタノ氏は振り返る。

 大学卒業後、ミュージカル「キャッツ」のカンパニーに所属し、4年半在籍した。それ以降、およそ20本の舞台に出演している。

 1994年に、ある演出家がモンタノ氏の競馬人生を耳にするまで、本人にとって競馬場で過ごした日々は過去のものとなっていた。

 「演出家が何鞍乗ったのかと聞いてきました。7鞍だと答えました。騎手は1日に何鞍まで騎乗できるのかと聞いてきたので、9鞍乗れる騎手もいますと答えました。レースの合間に何をしていたのかと聞かれたので、体が大きくならないように、体重が増えませんようにと神様に祈っていたと答えました。体重を落とすために、毎日走ったり、サウナに入ったりしていました。演出家は、それこそ立派な物語ではないかと言いました。その物語を文字にするべきだと。これは忍耐の物語なのだと。その演出家がアイデアをくれたのです」とモンタノ氏は語った。

 そこから数年後、演出家のジャクソン・ゲイ氏から熱心な後押しがあり、「スモール」が動き始めた。

 「ジャクソン氏は私が『Under the Wire』という脚本を書いたことを知っており、読ませてもらえないかと打診してきました。読み終わった後、一人芝居として書いてみたらと提案してくれました。『私が演出をして、あなたが主演よ』と。お断りしました。でも、その後、実際に書き始めるまで、2年半もかけて粘り強く説得してくれました。自分が執筆の何に不安を感じているのか、分かりませんでした。それは、自分の小さな勝利とともに人生の傷跡までも、さらけ出さなくてはならないことに対する恐怖だったのです」とモンタノ氏は話した。

 女優のチタ・リベラ氏(訳注:ブロードウェイで大活躍した舞台女優)から支援を受けて、同氏は「スモール」をニューヨーク、ペンシルベニア、オクラホマ、カリフォルニアで上演してきた。

 アンソニー・メルフィ氏が所有するサラトガの牧場では慈善興行を行い、競馬ファンを魅了した。

 現在は故郷のニューヨークに戻り、ブロードウェイの大きなステージのすぐ近くで希望、困難、失敗そして再起に関する魅力的な自身の物語を演じようとしているのだ。

 「競馬場は今でも自分の人生のなかで大きな部分を占めています。レースで勝ったことはなかったけれど、デルマー競馬場からはお誘いを受けたし、競馬専門チャンネルのファンデュエルTVからは『スモール』に関する取材を受けました」とモンタノ氏は話した。「競馬では勝てなかったけど、この舞台のおかげで、初めて勝者になったような気分を味わっています」。

By Bob Ehalt

[bloodhorse.com 2026年2月23日「One-Man Play 'Small' Brings Montano Back to Big Apple」]


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