ランフランコ・デットーリ騎手、輝かしい騎手のキャリアをブラジルで終える(国際)【その他】
騎手としての最後の日を迎えるにあたり、ランフランコ・デットーリ騎手は自分が喜びに満ちているのか、それとも涙に暮れるのか確信が持てなかった。結局のところ――彼はその両方を味わうことになった。そして、それはなんとも劇的な結末となった。
ガベア競馬場で彼を讃えるブラジルの競馬ファンの前に立った時、―コルコバードの丘にあるキリストの像に見下ろされながら―デットーリ騎手はこみ上げる感情を抑えられなくなっていた。すさまじい暑さが感情を昂らせていたのかもしれない。彼が泣きそうになった最初のきっかけは、妻のキャサリンが表彰台に現れたことだった。二人で多くの時間を過ごした40年のデットーリ騎手の騎手生活には辛く苦しい部分もあったが、ほとんどは素晴らしいものだった。この日も、これまでと同じように、決して忘れられない一幕となった。
全てを終わらせるには異例の方法、そして異例の場所であったが、55歳のデットーリ騎手は慣習に囚われることのない人間だった。日曜日の夕方まで世界で最も有名な騎手だったこの競馬の天才は、常に自分のやり方で物事をこなしてきた。引退の方法として、彼は観光で一度訪れただけの南アメリカの競馬場で2カ月間の騎乗を選んだ。チャンピオンSで勝利を収め英国に別れを告げたあの素晴らしいアスコット競馬場の午後からは疑いようもなくかけ離れたものだった。しかしデットーリ騎手にとっては、今回もその意味は全く変わらなかった。
波乱万丈な騎手生活の終盤は、非常に難しい時間が続いた。とりわけ昨年3月には自身が破産したことを認める事態となったからだ。このような財政状況の変化から、彼のブラジルでの引退を高額な騎乗報酬のためだと誤解する者もいたが、彼らの想像とは違った。ブラジルのジョッキークラブが渡航費と宿泊費を負担したことを除けば、デットーリ騎手は賞金以外の報酬を受け取らなかったのだ。そして、その全額は地元の騎手養成学校に寄付される予定だ。
デットーリ騎手がリオで引退したのは彼がそうしたかったからであり、何年も前に友人とリオで騎乗することを約束していたからである。彼は友人たちを待たせ続けていたが、94年前の開場時とほとんど変わらぬ姿を残す、非常に魅力的な競馬場をついに訪れたのだった。大理石の階段に、水晶のシャンデリア、装飾された観覧席。そして、優美なメインエントランスでは猫が眠っており、ホールでは穏やかなボサノヴァが流れている。ガベア競馬場は素晴らしい、かつての姿を今に伝える生きた証であり、ありがたいことにそれは今も変わらずそこにあるのだ。
ガベア競馬場のゴール板からそう遠くないところには、騎手としての世界最多勝利記録を有するホルヘ・リカルド騎手の像が立っている。彼は64歳になった今でも騎乗を続けており、このひどく蒸し暑い日にブラジル三冠の初戦に挑んだ。彼は勝てなかった。運命が勝者を決めたのだ。
「フランキーは怪物です。史上最も優れた騎手の一人です」と述べたリカルド騎手はデットーリ騎手よりも9歳年上だが、まだ引退するつもりはない。
リカルド騎手は通訳を通して、「私はもはや若者ではないし、20代、30代の頃とも違うが、それでもまだ元気です」と述べた。「すべてはプロ意識の問題です。私は酒を飲まず、煙草を吸わず、沢山運動をします。騎手でいることに対してまだ沢山の情熱を持っています。ええ、私は引退について考えていますが、何年も考え続けています。自分を止めることはできません」。
デットーリ騎手は異なる選択をした。
ガベア競馬場の検量室で過ごす最初で最後の日、「この2カ月間、騎手としての仕事を徐々に減らしてきました」と彼は述べた。また、何故長く過ごした土地から遠く離れた場所で引退することを決めたのかについても語った。
「時々、人々は私に過度な期待を寄せます」とデットーリ騎手は述べた。「アメリカでの騎乗はブリーダーズカップが最後でしたが、何も残せませんでした。アスコット競馬場で3万人の観衆の前で引退するのとはまた違うと分かっていますが、ガベア競馬場では息が詰まるような感覚がないんです。引退するには良い場所だと思います。運命だったのでしょう」。
彼の言葉は、急遽騎乗が決まり最初の騎乗馬スピークアルファで勝利したとき、まるで天啓であるかのように感じられた。騎乗技術に優れたデットーリ騎手は、ベットユーキャンに騎乗した際にも、その馬名にたがわぬパフォーマンスを引き出した。ベテラン騎手の卓越した技量に支えられたこの馬は、不利を克服してリオデジャネイロ州大賞(G1)を勝利し、デットーリ騎手にクラシック競走、G1競走、そして最後の勝利をもたらした。
「気が変わりました―私は引退しません!」彼はそう叫んだ後、ただちに「冗談ですよ」と続けた。こう述べた時点で、既に彼は馬上から完璧なフライング・ディスマウントを決めていた。完璧な一日のもう一つの完璧な締めくくりはラッキータイムという名の馬に乗っての6位入賞で頂点を迎えた。
「私はこれを40年間続けてきましたが、これが最後です」。結果的には他の騎手が着ることになった勝負服を着たまま、彼はジョッキールームでそう言った。騎乗予定だったニダヴェリルがゲートに向かう途中で暴れだし、他の騎手に騎乗を代わってもらうことを提案されたデットーリ騎手は、その場で引退することを選んだのだった。その後ガベア競馬場が激しい雷雨に襲われたことを考えると、賢明な判断だった。
「キリスト像を見上げた時、彼が私に何かを伝えようとしているのではないかと思いました」とデットーリ騎手は述べた。その助言に従って乾いた陸地に降りた彼は、"マジックマン"ことジョアン・モレイラ騎手と、デットーリ騎手を慕うその他の騎手たちからシャンパンを浴びせられた。彼らは互いを称えあい、両腕を高く掲げた。
「最高でした―加えて、三冠の第一戦も勝つことができるとは出来すぎです」。デットーリ騎手は続けて、「今は少し疲れていますが、何かを食べて、カイピリーニャを2杯飲めば元気が戻るでしょう」と述べた。
デットーリ騎手がそのカクテルを口にしたのは、サンバドローモヘ向かう道中だった。彼は、リオのカーニバルパレードの壮大なリハーサルに特別ゲストとして招かれていたのだ。数千人のダンサーやミュージシャンとともに、彼は腰を揺らし、くるくると回し、くねらせながら踊り、まさに将来の『Strictly Come Dancing(イギリスの人気ダンス番組)』のスターのような風格を漂わせていた。
彼ならスターになりかねない。この一日、そしてこれまでの40年間が、デットーリ騎手に出来ないことなどほぼないということを教えてくれたのだから。
By Lee Mottershead
[Racing Post2026年2月2日「'I looked up at Christ and thought he was trying to tell me something' - Frankie Dettori retires as a racing god after a dazzling last day in Brazil」]

























