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2026年10月15日  - No.37 - 1

南アフリカ初の黒人チャンピオン騎手、今や最も悪名高い八百長騎手に(南アフリカ)【開催・運営】


 スマンガ・クマロ騎手は、南アフリカ競馬史上、最も名の知られた人物の一人である。

 彼はダーバンで最も危険なタウンシップ(黒人居住区)の一つで育ち、10代の頃に才能ある新人を探していた騎手のスカウトに通っていた学校から見出されるまで、馬に関わった経験もなく、家族に競馬関係者もいなかった。

 こうした数々の困難や、南アフリカ競馬界で黒人騎手が長年直面してきた障壁があったにもかかわらず、クマロ騎手は国内屈指の称賛を集める騎手へと上り詰めた。

 2013年、彼はダーバンジュライ(G1)を制した史上初の黒人騎手となり、歴史に名を刻んだ。その後、同シーズンに、南アフリカ初の黒人チャンピオンジョッキーとなり、再び新たな歴史を切り開いた。

 生まれ持った才能と明るく華やかな人柄によって、彼は北部のターフフォンテンから南部のケニルワースに至るまで、各地の競馬場で称賛を浴びた。脱色した髪、ダイヤモンドのピアス、そして手に彫られた蹄鉄のタトゥーがトレードマークとなり、ほどなくして「ブリング(Bling)」というニックネームで呼ばれるようになった。

 この究極の「貧困から富や成功を収めた」物語は、衝撃的な幕切れを迎えた。今年3月、クマロ騎手が南アフリカ競馬界でここ数十年に起きた最大級の八百長スキャンダルの中心人物であることが明らかになったのである。

 これは、無名の少年がいかにして見出され、南半球屈指の名騎手へと成長しながら、最後には名誉を失い、自らの居場所を築き上げた競馬界から締め出されるに至ったかを描く物語である。

 「彼には何の後ろ盾もなかった」

 家政婦として働く母親の5人の子どもの1人だったクマロ騎手は、周囲との衝突を避けるために何度も転校を繰り返した。そして14歳のとき、クワマシュにあるムズヴェレ高校で、人生を大きく変える転機を迎えた。

 彼に声をかけたのは、南アフリカジョッキーアカデミーのポール・シビシ氏だった。シビシ氏は、近隣の騎手養成学校の指導者たちのもとで訓練を積めば、騎手として成功できると考えるのに必要な体格を備えていると見ていたのだ。

 他の騎手志望者たちと同様、クマロ騎手もウェストダーバンのサマーヴェルド・トレーニングセンターで適性を試された。そこで彼は、初めて馬と間近で向き合った時、怖気づいたと打ち明けている。

 「彼はジョッキーアカデミーで私より1年先輩で、一緒に騎乗することもよくありました」と、チャンピオンジョッキーに2度輝いたギャビン・レレナ騎手は語る。「彼は常に競争心旺盛で、常に良い成績を残そうと努力していたし、人としても本当に素晴らしい人物でした」

 「彼の馬上でのバランス感覚は天性のものでしたし、非常に力強い騎乗をする騎手で、ゴール前の競り合いでも簡単に抜かれるような相手ではありませんでした。常に相手を打ち負かそうとする意志を持っていました。彼は何もないところから這い上がり、まさに自力で成功を掴んだ人物です」。

 競馬場で実力を発揮し始めると、クマロ騎手はすぐに周囲の注目を集めた。騎手免許を取得して迎えた2011/12年シーズンには、早くも52勝を挙げた。調教師たちが彼の才能に目を留めるまで、そう時間はかからなかった。

 『彼には才能がありました」と語るのは、クマロ騎手がブレイクを果たしたダーバンジュライの勝馬ヘビーメタルの調教師であり、後に彼を厩舎の所属騎手として雇うことになったショーン・タリー調教師である。

 「彼は私のところで調教に騎乗し、何頭かの馬で勝利も挙げました。騎乗バランスが非常によく、手綱さばきも優れていて、力強い騎乗をする騎手でした。ですから、早い段階から、彼には成功する十分な可能性があると感じていました。彼はエネルギッシュで、優しく、謙虚な青年でした」。

 この時点ではまだタリー厩舎の正式な所属騎手ではなかったものの、翌年までにクマロ騎手はいくつかの大レースを制し、ダーバンジュライで騎乗するチャンスを得られるだけの実績を積み上げていた。

 トップジョッキーのピエール・ ストライダム騎手には、厩舎のエース、ポモドーロへの騎乗が約束されていたため、クマロ騎手はヘビーメタルに騎乗することになった。クマロ騎手は4月のG1競走プレジデンツチャンピオンズチャレンジで、単勝41倍という低評価を覆し、同馬を勝利へと導いていた。

 グレイヴィル競馬場で行われたダーバンジュライでも、このコンビは再び低評価に甘んじていた。しかし、クマロ騎手はそのチャンスを前にひるむことなく、単勝17倍のヘビーメタルを最後方近くまで下げてから絶妙なタイミングで追い出すと、ゴール直前で差し切り、見事な勝利を手にした。

 馬群がゴールラインを駆け抜ける中、実況のクレイグ・ピーターズ氏は、締めくくりに「またしても、スマンガ・クマロ!大舞台で実力を発揮した!」と叫んだ。

 クマロ騎手はその後も、幾度となく大舞台で期待に応え続けた。騎手としてデビューしてわずか3シーズン目で、彼は南アフリカのチャンピオンジョッキーの座に輝いた。その後まもなく、タリー調教師は彼を厩舎の所属騎手に起用した。

 「実に見事な騎乗でした」とタリー調教師は振り返る。「スマンガはあの馬と呼吸がぴったり合っていました。同馬には高い能力がありましたが、引っ掛かってしまう傾向があったため、力を発揮できずにいました。この馬を制御できる騎手は多くありませんでしたが、スマンガはそれを実に見事にやってのけました」。

 「いつもショーを繰り広げていた」

 クマロ騎手の成功は、やがて南アフリカ国内にとどまらなくなった。2014年には、イギリスのシャーガーカップや香港のインターナショナルジョッキーズチャレンジに出場。香港からは後に、香港を拠点に通年騎乗するよう打診を受けた。

 「私たちは一緒に素晴らしい成績を収めました」とタリー調教師は語る。「彼は将来有望な騎手であることを示していましたし、その成長曲線は順調で、短期間のうちに南アフリカを代表するトップジョッキーの一人になりました」。

 クマロ騎手の名声が高まるにつれ、彼は「ブリング」としての個性をますます前面に押し出すようになった。大レースの前には美容師の予約を入れて髪をブリーチし、勝利を収めると、派手で華やかなパフォーマンスを披露してファンを楽しませた。

 「彼はカリスマ性があり、いつもショーを繰り広げていました」とレレナ騎手は語る。「未勝利戦であろうとダーバンジュライであろうと、勝てば十中八九、ちょっと生意気でおどけた勝利のポーズを見せていました」。

 クマロ騎手には、勝利を祝う機会が数多く訪れた。2015/16年シーズンには、2度目のチャンピオンジョッキーのタイトルを獲得。ジョン&ジル・ワーナー夫妻が所有するキャリーオンアリスは、彼がトップレベルで活躍を続けるうえで重要な存在となった。このコンビは2014年から2017年にかけて、5つのG1競走を制した。

 「彼は素晴らしい騎手でした。彼が『アリス』に騎乗する時はいつも、彼女を深く理解している一流の騎手が乗っているという実感がしました」とジル・ワーナー氏は語る。「(キャリーオンアリスは)彼が大好きでした。彼が鞍に跨るたびに、耳を前に立てて『さあ、行くよ』と言っているようでした。彼は彼女に見事な騎乗を見せ、すべての勝利をもたらしてくれました」

 「競馬場で彼に会うと、私たちはとても親しく接していました。ハグをして、また会えて本当にうれしい、と言い合ったものです。私たちの素晴らしい馬を彼に任せることに、私は全面的な信頼を寄せていました。彼女はあまりにもスピードが速かったので、彼がすべきことは彼女をゲートからスムーズに出するだけでした」。

 特に扱いの難しい馬を乗りこなすクマロ騎手の技量は、ジョッキールームにいる他の騎手たちとは一線を画していた。その最たる例が、2016年ターフフォンテン競馬場で行われたSAナーサリー(G1)で見せた騎乗で、彼はクロスオブクラウドという牝馬を巧みになだめすかし、勝利へと導いた。

 「彼女は手に負えない馬でした」とワーナー氏は言う。「彼女は全力で走るのに、他馬より鼻先を前に出した瞬間、ピタリと止まってしまう馬でした。仕掛けのタイミングを見極め、彼女を勝利させることができたのは彼(クマロ騎手)だけでした」

 「彼は、他の騎手が乗りたがらない馬でも乗りこなすことができました。数々の成功を収めましたし、素晴らしい騎手でありホースマンでした」。

 「彼は気後れしていたのだと思う」

 競馬場では大舞台の期待に応え続けていたクマロ騎手。しかし、その一方で、表には出ないところで、彼の振る舞いをめぐる疑問が少しずつ浮上し始めていた。

 タリー調教師は次のように語る。「彼が私の厩舎で騎乗していた頃、香港からの仕事のオファーがあり、その件について私に相談してきました。しかし、私は彼のプロ意識が少し未熟で、香港のような環境ではうまくやっていけないのではないかと感じていました」

 「仕事への取り組み方が洗練されるまでには、少し時間がかかったように思います。電話への返答が遅くなることもありましたし、メールも確認していないようでした。彼は働き者でしたが、必要な時に必ずしも頼りにできるわけではありませんでした」

 「自分の知名度や存在感が高まるにつれて、それに見合うだけ自分自身のレベルも引き上げていかなければなりません。トップの座にとどまりたいのであれば、常に自分をさらに高め続ける必要があります」

 「騎乗していない時間の過ごし方については、彼にはもっとできることがあると感じていました。私たちはスポーツ心理学者や栄養士、バイオキネティシスト(運動機能の評価・改善を専門とする人材)の力を借りて彼をサポートしようとしました。また、3度のチャンピオンジョッキーに輝いたフェリックス・コーツィー騎手も彼の様子を見守り、助言を与えてくれました。つまり、彼は私たちのチームから十分なサポートを受けていたのです」

 「彼はそうした環境に気後れし、息苦しさを覚えていたと思います。もちろん、彼に窮屈な思いをさせる意図はなかったのですが」。

 タリー調教師とレレナ騎手は、クマロ騎手が成功によって慢心したという見方をすぐさま否定する。一方で、彼が朝の調教を休みがちだったことは、よく知られていた。

 「彼の生い立ちのせいにするつもりは全くないです」とレレナ騎手は語る。「ブリングはブリング、それが彼という人間でした。成功が彼を思い上がらせたことは、一度もありませんでした。彼は朝の調教では決して勤勉なタイプではありませんでしたが、それを補って余りある才能を持っていました。レース当日には必ず競馬場に来て、自分の仕事に臨んでいました。ただ、朝の調教では、いつも姿を見せていたわけではありません」

 「彼にはその必要がなかったのです。生まれつきの才能がありましたし、調教師たちも彼を起用してくれたからです。有力厩舎の調教師たちは、少なくとも週5日は調教を手伝ってほしかったでしょう。しかし、彼を週に1、2日見かければ、それでも多い方でした」。

 レレナ騎手は、クマロ騎手が表舞台の裏で抱えていた問題のいくつかを把握している。2017年から2020年にかけて彼の勝利数が落ち込んだ背景には、度重なる怪我も影響していた。クマロ騎手はその3シーズンで合計201勝を挙げたが、2015/16年の1シーズンだけでこの数字を大きく上回っていた。

 「競馬は浮き沈みの激しい世界ですし、スマンガは本当に不運でした」とレレナ騎手は語る。「彼は頻繁に怪我をしていて、それも大怪我ばかりでした―脚の骨折、半月板の断裂、膝の骨折、鎖骨の骨折など。他の騎手に比べて、彼は怪我の頻度が高かったのです」

 「南アフリカでは、怪我をした途端に忘れ去られてしまいます。代わりの騎手がすぐに現れるのです。復帰してから再び懸命に努力し、調子を取り戻して初めて、もう一度チャンスをつかむことができるのです」。

 「本当に愚かな行為」

 2022年、スパークリングウォーターに騎乗して2度目のダーバンジュライ制覇を果たしたものの、その勝利によってクマロ騎手が再びトップシーンへ返り咲くことはなかった。2024/25年シーズンには、勝利数はわずか70勝にとどまり、騎手としてはかつてよりも大幅に低迷していた。さらに2025/26年シーズンの58勝は、騎手免許を取得して以来、2番目に少ない勝利数となった。

 そして3月、競馬場の外で何が起きていたのかを浮き彫りにする衝撃的な発表があった。クマロ騎手が八百長への関与を疑われ、騎乗停止処分を受け、告発されたのだ。このニュースは、南アフリカの競馬界に大きな衝撃を与えた。

 南アフリカ競馬統括機構(NHA)の調査委員会は調査を実施し、6月10日、クマロ騎手に対して15年間の騎乗停止処分(うち5年間は執行猶予)を科した。なお、処分期間は当初の騎乗停止の開始日まで遡って適用された。

 クマロ騎手は、賭けの目的で利用され得る内部情報を、ヌール・イクバル氏という権限のない人物と共有したこと、さらに情報の提供や「賭けの目的で馬の走りやレースの結果に影響を与えることを意図した騎乗、またはそのように騎乗することに同意したこと」の見返りとして5,000ポンド(約105万円)を超える金銭を受け取ったとして、違反が認定された。

 また、2025年10月から2026年2月にかけて行われたレースに関連して、3つ目の違反が認定された。この違反では、彼は馬を抑えることによって、あるいは可能な限り上位の着順を目指さなかったり、指示された騎乗方法から逸脱したりすることによって、馬が本来の能力を発揮できるように騎乗する義務を、「不誠実かつ意図的に」怠ったとされた。

 ワーナー氏は次のように語った。「本当に残念でなりません。ひどい話ですし、そもそも、そんなことをする必要などなかったはずで、彼らしくない行為だったと思います。本当に愚かな行為でした。競馬界全体にとって、非常に残念な出来事です」。

 この時期に下された注目を集めた騎乗停止処分は、クマロ騎手の一件だけではなかった。ルヨロ・ムソトワ騎手にも別の事案で処分が科されており、その事案でもイクバル氏の名前が挙がっていた。ムソトワ騎手は5年間の騎乗停止処分を受け、そのうち3年間は執行猶予とされた。

 ムソトワ騎手は、競走に関連する通信や金銭取引、そして競馬の公正性や免許を持つ騎手としての義務に反する行為に関して違反が認定された。

 この2人の騎手に対する騎乗停止処分は、クマロ騎手の周囲にいた多くの人々に衝撃を与えた。その中には、彼の元雇用主も含まれていた。

 タリー調教師は次のように語った。「とても悲しく、失望しました。こんなことが起きたとは、信じたくありません。時々、自分は少しお人よしなのではないかと感じることもあります。というのも、調教師という仕事をしている以上、彼らを信頼せざるを得ないからです。そうでなければ、気が狂ってしまい、精神病院送りになりかねません。彼らには、もっとしっかりしてほしいと期待しています」。

 「彼がいなくなれば、寂しい競馬場になるだろう」

 レレナ騎手は、クマロ騎手の最後のシーズンをともに戦った騎手仲間だった。彼によれば、クマロ騎手は最後までいつもどおり活気に溢れており、後に明るみに出ることになる不祥事の兆候は全く見られなかったという。

 レレナ騎手は次のように語った。「彼は1鞍だけ騎乗する日でも競馬場にやって来て、楽しそうでした。彼は心配そうでも、プレッシャーを感じているようでもありませんでした。養わなければならない家族がいて、様々な負担もありましたが、それを心配しているようには見えませんでした」

 「彼はそれほど多くの騎乗依頼を受けていませんでした。朝の調教に出ていなかったことが、その理由の一つだったのかもしれません。それでも、彼の人柄は何も変わっていないように見えました。もし私が彼の立場だったら、落ち込んで、彼とは正反対の様子になっていたと思います」。

 更に、レレナ騎手は、騎乗機会が減るにつれて、南アフリカの騎手たちにとって経済的な問題がいっそう深刻化していると指摘する。医療保障や保険の費用負担の仕組みが大幅に変更され、かつての「収入に応じた拠出と不足分の補填」という仕組みが廃止されたためである。

 「他の騎手がいくら支払っているかは分かりませんが、私の場合、騎乗による収入を得る前から医療保障と保険のために毎月40,000ランド(約360,000円)を支払っています。これだけの金額を稼げる騎手はそう多くありません」とレレナ騎手は語る。「国内の上位10~15人に入る騎手でなければ、生計を立てるのは難しいです」

 「以前は、すべての騎手が収入の1%を医療保障と保険のために拠出する制度がありました。そのお金をひとつの大きな基金にまとめ、それで賄えない不足分はレーシングクラブが負担してくれていたのです」

 「騎手ランキングの上位にいて、好成績を挙げている人は、少し多めに拠出します。一方、ランキングの下位にいて、生活費を工面するのにも苦労している人は、きちんと支えてもらえます。そういう仕組みでした」

 「つまり、ブリングは生活に苦戦している騎手や騎乗機会の少ない騎手たちを大勢支えていたということです。彼は長年にわたり、本当に多くの人々を支えてきました。そして、やがて彼自身が苦境に立たされる側になってしまったのです」。

 クマロ騎手に対する騎乗停止処分が発表されてから数か月が経過したが、ジョッキールームの同僚たちは、いまだにこのニュースを受け入れがたい思いでいる。

 「この事件で彼の名前が挙がったことに、私は非常に驚きました」とレレナ騎手は言う。「ただただ悲しいです。彼はそんな印象を一度も与えたことがありませんでした。常に素晴らしい競争相手であり、私の見てきた限りでは、彼は常に勝利を目指していました」

 「誰もがブリングのことが大好きでした。彼がいなくなった競馬場は、きっと寂しい場所になるでしょう。彼はいつも周囲を笑わせてくれる存在でしたし、間違いなく多くの人から惜しまれるはずです。チャンピオンジョッキーに輝き、ダーバンジュライを2度制覇する―そんなことを成し遂げられる人は、そう多くありません」。

(1ポンド=210円)

(1ランド=9円)

By Maddy Playle

[Racing Post 2026年10月6日「The first ever black champion jockey in South Africa is now its most notorious race-fixer - this is his extraordinary story」]


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