アケダクト競馬場、132年の歴史に幕を閉じる(アメリカ)【開催・運営】
目を閉じれば、1970年だったと言われても信じたかもしれない。
ただし、規模はもっと小さかったが。
忘れられない日曜の午後、アケダクト競馬場の大半のエリアは収容人数いっぱいまで埋め尽くされていた。
馬たちがコースに姿を現すとファンは熱狂的な歓声を上げ、その歓声は先頭がゴール板を駆け抜けるとさらに大きくなった。
入場を待つ長い列。食べ物や飲み物を買うのにも長蛇の列。
競馬場の常連も初心者も、お祭り騒ぎのような高揚感に包まれていた。
6月28日(日)、132年にわたり競馬が行われてきた歴史ある「ビッグA」に立ち会った人たちは、まるでタイムマシンに押し込まれ、数十年前にタイムスリップしたかのようだった。
最後にもう一度だけ。
1894年以来、サラブレッド競馬の舞台であり続けたアケダクト競馬場は、馬たちがこの歴史のあるコースを最後に駆け抜け、ビッグAの輝かしい歴史における最終開催日の9レースが行われる中、ふさわしくも感動的な別れの日を迎えた。
この日は、長きにわたりアケダクト競馬場を偉大ならしめた人々、レース、そして馬たちの思い出を呼び起こす場面に満ちており、最後はケンドリック・カームーシュ騎手が数人の騎手たちを率いてスタンドへ駆け上がり、ファンとともに祝う高揚感に包まれて幕を閉じた。
この日の感慨を体現していたのが、DEAサラブレッドレーシングのダリル・アブラモウィッツ氏だった。同氏が所有するノットディスタイム産駒の6歳せん馬アスームナッシングが、ビッグAでの最後のレースとなる賞金10万ドル(約1,600万円)のスターターアローワンス競走を制した。
「本当に信じられません。私は1992年、まだ子供だった頃から、この競馬の世界に身を置いてきました」とアブラモウィッツ氏は感極まって声を詰まらせながら語った。「このレースに勝てるなんて夢がかなったようです。ここには父や母、祖父と一緒によく来ていました。みんなもう亡くなってしまい、もうそばにはいませんが、きっと今、この様子を見守っていて、私と同じように胸が詰まっていることでしょう」。
この日の入場者数は6,866人と発表されたが、これはこの競馬場の全盛期とは比べものにならない数字である。1963年から1968年にかけて、ベルモントパーク競馬場の改修工事中にアケダクト競馬場がニューヨーク市周辺で唯一の競馬場となり、ケルソ、バックパッサー、ドクターフェイガーといった名馬たちがここで走っていた頃、この競馬場は年間平均600万人もの観客を集めていた。
しかし、それはアケダクト競馬場にグランドスタンドがあった時代の話であり、その場所は現在カジノとなっている。そしてこの最終日、施設の規模はかつての1/4にまで縮小している。
それでも、60年前と変わらぬ興奮がそこにはあった。特に、この競馬場での最後のステークス競走となった、ニューヨーク州産馬限定芝レースのジョンヘッティンガーSをモータウン産駒の牝馬ハイウェイハーモニーで制したアメリア・グリーン調教師のような若手調教師にとってはなおさらだった。
ラッキーハットレーシング、ファゲットアバウトイット・レーシングステーブルズ、スポーツメンステーブルの共同所有馬であるハイウェイハーモニーは、2馬身半差で快勝し、6ハロンを1分6秒44のコースレコードで駆け抜けた。その記録はもう破られることはない。
「本当に夢のような気分で、現実味がありません。数年前までは自分が調教師になるなんて思ってもいませんでした。それが調教師として、アケダクト競馬場最後のステークス競走をこんな形で勝てたなんて、本当に最高なことです」とグリーン調教師は語った。
チャド・サマーズ調教師は、この日の第1レースをイリウムステーブルズ所有のティズナウママで勝利し、ここ1週間高まり続けていた別れの感情が頂点に達したのを感じた。
「感慨深いですね。ここは私のホーム競馬場でした。私はここで育ちました」とサマーズ調教師は語った。「私はここの6号棟厩舎で競馬を学びました。昨日そこを歩いたときは本当に胸に迫るものがありました。最終日にケンドリック・カームーシュ騎手とのコンビで勝てて、観客も熱狂してくれて、本当に最高です」。
観戦エリアを埋め尽くした観客を見渡し、彼はこの日曜日の熱気が続くことを願った。特に、9月18日にベルモントパーク競馬場が再開し、ニューヨーク競馬協会(NYRA)のニューヨーク市周辺で唯一の競馬場となる際にも、その熱気が引き継がれることを期待している。
「2004年に初めてここへ来た頃は、この場所はまだ活気に満ちていました。それが少しずつ衰退していくのを見るのは本当に残念でした。閉場の週末になってようやく人が戻ってくるというのは、本当に残念です」と、プリークネスS(G1)をナポレオンソロで制したサマーズ調教師は語った。「サラトガ競馬場、そして新しいベルモントパーク競馬場に舞台が移っても、この勢いが続いてほしいですね。今日、そして昨日も皆が素晴らしい時間を過ごし、テレビで観るだけでなく、生で競馬を観る楽しさを思い出してくれたらと思います」。
ファンの思いもさまざまだった。ニューヨーク州北部スケネクタディから訪れたトム・トレロ氏とその妻エレン氏のように、別れを惜しむ人もいた。
「アケダクト競馬場のように長い歴史を持つ施設が、明日にはもうなくなってしまうと思うと辛いですね」と、1980年代に初めて「ビッグA」を訪れたトレロ氏は語った。「来年はここでウッドメモリアルS(G2)を見ることはできません。想像もつきません。このような競馬場を失うことは、競馬というスポーツの一部を失うことと同じです」。
一方、ウィル・ロックリー氏のように、この日がアケダクト競馬場との素晴らしい出会い、そして別れ、となった人もいた。
サッカーのワールドカップ観戦のためにイギリスから米国を訪れていたロックリー氏は、母国ではロイヤルアスコットをはじめとする競馬開催にも足を運んでおり、ニューヨーク州オゾンパークで行われる最後の開催を彩る記念イベントにもぜひ参加したいと考えていた。
「ここは気に入りました」と彼は言った。「イギリスとはまた雰囲気が違います。競馬場の規模ははるかに大きいけれど、私は好きです。天気も良かったし、レースも素晴らしかった。すべてが最高でした」。
NYRAのCEO兼会長であるデイヴ・オールーク氏にとって、この最終日は、別れの悲しみと、3か月後に超近代的なベルモントパーク競馬場をお披露目できるという期待が入り混じるものとなった。
「この競馬場を送り出すには、とても良い一日になりました」とオールーク氏は語った。「皆さん本当に楽しそうですし、若い客層が多いようです。これだけ多くの人が集まってくれて本当にうれしいです。私はここで18年間働き、他のどこよりもこの場所で多くの時間を過ごしてきました。次へ進む時ではありますが、それでもやはり寂しいですね」。
By Bob Ehalt
(1ドル=160円)
[bloodhorse.com 2026年7月5日「After 132 Years, Racing at Aqueduct Comes to an End」]

























