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2025年10月16日  - No.39 - 1

グラファール調教師が凱旋門賞を初制覇(フランス)【その他】


 凱旋門賞のゴール直前、ダリズとミニーホークの2頭が、かのロンシャン競馬場の直線で一完歩ごとに死力を尽くし、一進一退の攻防を繰り広げていた。新鋭フランシス・グラファール調教師と長年頂点に君臨するエイダン・オブライエン調教師の管理馬による手に汗を握るぶつかり合いとなった。

 グラファール師はライバルのオブライエン師と同じ高みに達するまでに、いくつもの壁を乗り越えなくてはならない。しかし、ヨーロッパの最高賞金を誇るレースでの初勝利は、それに向けての意義ある一歩となることに疑いの余地はない。同師はG1競走を11勝し、初のリーディングトレーナーのタイトルも視野に入る素晴らしいシーズンを送っている。

 レース前は穏やかに指示を出し、現場の雰囲気を楽しんでいた。ライトな競馬ファンですら、数ヵ月前から膨らませた期待に終わりを告げ、出走馬が不朽の栄光を求めてゲートから飛び出したその瞬間、雰囲気が微妙に変化したことを感じ取ったはずだ。

 一瞬の静寂ののち、観客は、故アガ・カーン殿下の勝負服を背負って、感動的な勝利を飾ったダリズに割れんばかりの歓声を上げた。グラファール師は熱を帯びた祝福の嵐に呑み込まれ、揉みくちゃにされながらウィナーズサークルに向かった。埒沿いの興奮を隠せないファンにサインをしたり、2言語でテレビ局のインタビューに矢継ぎ早に応じたりしていた同師は、この偉業の重みをまだ理解していないようであった。

 凱旋門賞の勝利は、あらゆる要素の集大成でもある。数年間にわたって数えきれないほどこなした早朝の調教、勝利と挫折、大小を問わない幾千もの決断といった数多のものを積み上げた結果なのである。だからこそ、多くの調教師はこのレースの勝利の重みを明確に表現するのが難しいと感じるのだろう。胸にこみ上げる感情を表現する言葉を見つけられない調教師もいたりする。しかし、グラファール師は自身の経験を簡潔で非の打ちどころのない表現にまとめた。

 「これまでも大きなレースを獲ってきましたが、今日、凱旋門賞は本当に別格なのだと実感しました」と語ったグラファール師は、2021年にアガ・カーン殿下の主要トレーナーとなり、ダラカニやザルカヴァといった凱旋門賞馬を輩出したアラン・ドゥロワイエデュプレ元調教師の後継者として重責を担ってきた。

 「観客や雰囲気、勝負服の持つ歴史が醸し出したものによって、感動もひとしおでした。ブルゴーニュで生まれ、祖父と一緒に競馬をみていた少年だった私は、まさにこういう馬や勝負服、こんなレースに憧れていました。夢でしかなかったものが、今、現実となったのです。本当に特別なことです」。

 雨に濡れた黄金のグランドスタンドの前を勝利陣営がパレードの馬車に乗って訪れるまでの間、ザラ王女は今年初めに88歳で亡くなった父アガ・カーン殿下を偲び、感動の涙を流していた。アガ・カーン家の緑と赤でおなじみの勝負服は、これからも凱旋門賞とともにあり続けるだろう。

 凱旋門賞は、国際都市パリにふさわしい国際レースだ。今年は、日本馬が初制覇を果たし、長年の悲願を達成するかどうかに注目が集まっていた。しかし、不運にも柔らかくなった馬場は日本馬3頭にとって足かせとなった。出走馬がゲート裏で輪乗りをしている最中、競馬場に虹をかけたあの土砂降りが、追い打ちをかけた。それでも、ビザンチンドリームは5着と健闘し、東京競馬場に集まった数千人におよぶファンの声援が送られていた。

 東京競馬場は凱旋門賞を観戦できるユニークな場所の一つではあるものの、ロンシャン競馬場の上空にクレーンで吊り上げられたテーブル席には及ばない。この席に座った勇気あるファンは、シャンパンやマカロンだけでなく、酷い目まいで大いにもてなされたことだろう。高さ35メートルからだと、最後は交わされてしまったミニーホークが力強く抜け出して、そのまま粘り勝つように見えたのではないだろうか。

 凱旋門賞では苦杯を喫したものの、オブライエン師やクリストフ・スミヨン騎手にとって、素晴らしい成績を残した1日となった。ダイヤモンドネックレスとプエルトリコがそれぞれ2歳牡・牝のG1競走で勝利を飾り、上々のスタートを切った。しかし、のちに同騎手は、当日、辛い朝を迎えていたことを明らかにした。「厳しかったです。当日の朝10時に娘の愛犬が家族の腕の中で亡くなったのです。きつかったのですが、競馬に集中しなくてはなりませんでした。競馬場には家族と一緒に入りました」。

 オブライエン厩舎は負傷したライアン・ムーア騎手に代わって、スミヨン騎手に騎乗を依頼することができた。スミヨン騎手が専属契約を結んでいなかったからである。しかし、日曜日の朝、ヘンリー・ドワイヤー調教師と高額な報酬の契約を結んだ人物がいた。もっともその人物は騎手ではない。同師は「いくつかの事情」により、アスフォーラはアベイドロンシャン賞(G1)で勝ち星を挙げるどころか、出走を回避することになるかもしれないと話していたが、これはかなり控えめな表現だったようだ。陣営はスタースプリンターである同馬のものではないパスポートを間違って持ってきてしまったのだ。シャンティイから同馬のパスポートを持ってきてもらうため、Uberのドライバーに数百ユーロを払ったのだった。

 結果としてこの投資は賢明なものとなった。ドライバーは英語がほとんど話せなかったが、レース後のパーティーに招待してもよいぐらいだねとドワイヤー師はおどけた。同師はシャンパンを開ける機会を待たずに、アスフォーラとともにヨーロッパを転戦した喜びについて熱く語った。

 「競馬と人生はどちらも経験が全てです」とドワイヤー師は述べた。「アスフォーラが与えてくれたのは人生で一度きりの喜びです。死の床についたとき、自分にできなかったことではなく、自分が成し遂げたことを思い出すのですよ」。グラファール師も飛躍を遂げた凱旋門賞での勝利や調教師としての地位を確立したあの日のことを思い出して、幸せな気分に浸ることができるに違いない。

By Jonathan Harding

[Racing Post 2025年10月5日
「The Boy from Burgundy fulfils his lifetime ambition and realises 'just how special the Arc truly is'」]


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