S.ナレドゥ騎手のインドでの成功からイギリスでの騎乗まで(イギリス) 【その他】
シャーガーカップでファイアブレード号からフライングディスマウントで馬の背から飛び降りた時、足が地面に着くまで想像以上に時間がかかったとスラジ・ナレドゥ騎手は振り返った。
ナレドゥ騎手は、毎年恒例の国際騎手招待イベントにおける快挙を完全に理解できるまでに1週間以上を要した。アジア選抜の総合優勝の一翼を担っただけでなく、アスコット競馬場でインド人騎手が史上初となる勝利を収めた歴史的瞬間でもあった。
ナレドゥ騎手はインドを代表する騎手の一人だが、今月アスコット競馬場で挙げた勝利には格別な味わいがあった。40歳の英国挑戦は16年越しの計画で、その夢は2009年に今回彼自身が制した同じ騎手招待競走に叔父マレシュが参加するのを観戦した際にアスコット競馬場訪問で抱いたものだった。
「あの日からずっとシャーガーカップに出走したいと思っていました」とナレドゥ騎手は語る。「1、2年後にはこの舞台に来られると思っていましたが、現実は違いました。実に長い年月、ほぼ16年かかりましたが、その経験があったからこそ成功することができたと思います。遅きに失するよりはましでしょう」。
ナレドゥ騎手は2回のアスコット競馬場訪問の間の年月を無駄にせず、インドを代表する騎手へと成長した。通算2,400勝以上を挙げ、3度チャンピオンジョッキーに輝き、4度のインドダービー制覇を含む110のクラシック競走タイトルを獲得している。
しかし、バンガロールを拠点に輝かしい戦績を築き上げる中で、ナレドゥ騎手はアスコット競馬場での騎乗への野望をずっと抱き続けていた。その夢は現実となるまで15年以上を要したが、いざ乗ることが決まるとあっという間に時間は過ぎていった。ヒースロー空港に着陸するやいなや、シャーガーカップのメディア対応に追われ、アスコットデビューを待ちながら眠れない夜を過ごしたのだ。
「シャーガーカップ前夜の睡眠時間は合計1時間9分でした。心の中では『なんてことでしょう、5レース連続で騎乗しなければならないのに、どうやって乗り切れば良いのでしょう』と思っていました。しかし、時には、ただやるしかありません」とナレドゥ騎手は語った。
「おそらく前日にインタビューで『勝ったらフライングディスマウントをする』と発言したことが裏目に出たのでしょう。実際は馬から飛び降りた経験など一度もなく、枕にすら飛び乗ったこともありません。転んで恥をかく可能性は十分にありましたが、勝利の喜びを抑えることができず、どうしても飛び降りてみたいと思いました。ランフランコ・デットーリ騎手は私のヒーローなので、アスコット競馬場で彼の代名詞的な演出を真似できたのは特別な瞬間でした」。
ケンプトン競馬場の暑い夕べ、検量室前の日陰でインタビューに応じたナレドゥ騎手はスマホを素早く取り出し、インドで叔父と共にデットーリ騎手と撮った写真を見せてくれた。ナレドゥ騎手が英雄と同じレースで騎乗した二度の機会の1つだったと言う。
「彼こそが私が見た中で最高の騎手です。馬の能力を最大限引き出すその技には、ただただ驚嘆するしかありません」とナレドゥ騎手は話した。
デットーリ騎手はもはや英国を拠点としていないが、ナレドゥ騎手は短期滞在ビザが許す限り滞在を延長することを決め、ニューマーケットで出会うべき他の競馬界の肖像的人物たちを見つけた。
彼はマルコ・ボッティ厩舎に身を寄せており、ボッティ厩舎の馬に騎乗するためにケンプトン競馬場まで足を運んだ。乗鞍は最終レースのみだが、ジョン・イーガン騎手の車に乗せてもらい第1レース前に競馬場に到着したため、ポリトラックコースをじっくり観察する時間ができた。英国到着当初の数日間が嵐のように過ぎたのとは対照的な時間の流れ方であった。
「最初の1週間はあっという間に過ぎて、何が起きているのか実感することができませんでした。腰を据えてくつろぎ、これが過去3ヶ月間目指してきたことだと噛みしめる機会すらありませんでした」
「ようやくスーツケース生活から抜け出すことができて、落ち着いてきた気がします。数日かかりましたが、マルコのところで調教に乗らせてもらい始めました。彼は本当に紳士的な人です。私の友人で馬の購買エージェントのアジェイ・アン氏が大きな助けとなってくれました。長期滞在のための人脈が必要だと言うと、マルコのことを紹介してくれました」
「これまで数多くの国で騎乗してきましたが、英国だけは未体験でした。ですが、もっと早く実現させるべきだったと思います。シャーガ―カップの参加が決まった時から、もう少し長く滞在しようと考えていました」
「限られた時間の中で、できるだけ多くのものを見ようと努めています。何よりも、私はいち競馬ファンだからです。ニューマーケットで家族とフランケルに会いに行くことが唯一決まっていた予定で、『感動』の瞬間でした。彼は競馬界の伝説的存在であり、その功績に深い敬意を抱いています。子供たちや家族にフランケルのような馬の存在を知って欲しいと思っていました。生涯忘れられない特別な瞬間の一つでした」とナレドゥ騎手は語った。
ナレドゥ騎手は、騎手としてのキャリアを通じて家族に数多くの忘れられない瞬間をもたらしてきたが、十代の頃の騎手としてのキャリアは順風満帆ではなかった。騎手から調教師に転身したサティッシュ・ナレドゥ氏の息子であることから、競馬の道に進むことが自然なように思われたが、初勝利どころか上位3着入線を果たすまで初騎乗から3ヶ月以上かかった。
「この世界から去るべきかと思いました」とナレドゥ騎手は打ち明ける。「叔父も父も名騎手だったので、自分は向いていないと感じました。若かったですし、インドの観客は負けると容赦なく罵声を浴びせてきます。思い返せば何度か泣いたこともありました。これが騎手という職業の宿命だと理解するまでには長い時間がかかりました」。
マイソール競馬場で達成した2連勝がナレドゥ騎手の運命を変えた。一度勝つことを経験すると勢いが増し、25歳までに通算1,000勝を達成した。
「私は、今は安定した立場にいます」と彼は語る。「家族が約150頭の馬を所有しており、私はそのオペレーションの中で中心的な存在であると自負しています。父、叔父、従兄弟、弟のラジェシュはみんな競走馬の調教に携わっていて、我々はチームとして働いています。彼らがシャーガーカップ出場を実現する上で大きな助けとなりました。これは長年思い描いてきた目標でした」
「アスコット競馬場での騎乗に向けて体調と自信を最高の状態に持っていきたかったし、それに加えてリスクを取り除こうとしていました。騎乗する馬にもいつもより慎重になり、ビッグレースだけに集中しました。騎乗回数が多い時は、兄や父がいつも私に、『お前の目標は8月6日の飛行機に乗ることだから、必要以上には乗るな』と言っていました」。
家族と共に働き勝利を分かち合う喜びが、ナレドゥ騎手の充実したキャリアの原動力となっている。しかし彼は、母国で競馬界が直面する課題も認識している。英国競馬の懸念と同様に、インドも税制問題に悩まされている。競馬への賭け金に課される28%の物品サービス税(GST)だけでも深刻だが、先週の報道によれば政府はこの税率を40%に引き上げる方針だという。
「現状は本当に深刻です」とナレドゥ騎手は語る。「税制問題が競馬というスポーツを枯らそうとしています。オンラインの賭事における税率が28%から40%に引き上げられる検討が進んでおり、そうなれば違法賭事に流れる顧客がさらに増えるでしょう」
「既に問題が顕在化している。過去7、8年で賞金は激減し、馬主が競馬に参入する妙味がなくなってきています。生活費は上昇する一方、賞金は減少していて、この状況でどうやってレースを存続できるでしょうか?」
「英国でも税金に関する同様の議論は行われていますが、良い点は皆が団結して来月ストライキを行うことです。インドに必要なのはそれなのに、実際には全てが密室で進められています。行政は仕事をしていますが、私たちが政府機関の前に立って、この税制によって人々の生活がどれほど影響を受けることになるかを示すまでは、その深刻さを理解しないでしょう」。
インド競馬は深刻な課題に直面しているが、関係者たちはこのスポーツへの情熱を貫いている。5,000マイル離れた地からでも、ナレドゥ騎手の母国では彼の直近の功績に歓喜した。
「ここでインドを代表できることは非常に意味があります」と彼は語る。「シャーガ―カップで勝利した翌日、プネー競馬場でレースがあり、場内のスクリーンにアスコット競馬場でのレースが映し出されました。ロイヤル・ウェスタン・インディア・ターフクラブ(ムンバイおよびプネーで競馬場を管轄)元会長のザヴァレイ・プーナワラ氏がマイクを持ってステージに上がり、観客に向かってこう言いました。『見てください。我々の若者が英国へ行き騎乗して勝利を掴みました。彼を誇りに思います。ですから、これから皆さんに全てのレースをお見せします』。プーナワラ氏は非常に興奮していて、この勝利がインド競馬にとってどれほど大きな出来事かを理解していたのです」
「彼らにとってこれはインド人としての誇りの問題であり、私が帰国して正式に祝うのを心待ちにしています」。
By Catherine Macrae
[Racing Post 2025年8月28日「'The Indian crowd is quite hard on you if you lose - I might have cried a few times'」]