レイチェル・ブラックモア騎手は、不可能な夢など存在しないことを証明(イギリス)【その他】
レイチェル・ブラックモア元騎手はすべてを変えた。彼女は先駆者であり、革新者であり、価値観を変えた人物だ。彼女の偉業を適切に文書化することはほぼ不可能だが、ブラックモア騎手は、よく出来過ぎの作り話とこれまで考えられていたものを、本当に実現したと表現するのが最も適切かもしれない。
1944年の映画『緑園の天使(National Velvet)』は、かつてテレビで定期的に放送されていた。視聴者は時代を越えて、エリザベス・テイラー演じる少女が少年を装い、グランドナショナルでパイという馬に乗る姿を見ていた。ハリウッド映画らしく、少女の乗った馬はゴールラインを先頭で駆け抜けたが、ゴール直後に落馬すると失格となる規程に違反したため勝利は取り消され、その後の医学的検査で騎手が女性であることが判明した。
「女性です、皆様!」とエイントリー競馬場のラジオ実況アナウンサーが叫んだ。「女の子が脚の曲がった人気薄の馬にしがみつき、芝で行われる最も偉大なレースを先頭でゴールを駆け抜けました。女の子がグランドナショナルを制しました!」
しかし、少女は勝ったわけではなかった。当時、現実の世界では、女性はレースに騎乗することが認められておらず、ましてや人々が最も畏敬の念を抱き、名高く、羨むほどの賞金額のこのレースではなおさらであった。女性が初めてグランドナショナルで騎乗したのは1977 年だった。しかし、1980 年代半ばの競馬番組で BBC の司会者ジュリアン・ウィルソン氏が述べた以下の言葉からも明らかなように、シャーロット・ブリュー騎手による騎乗は、単なる目新しさの要素にすぎなかった。
「グランドナショナルは、男女平等の争いの議論の的となりました」とウィルソン氏は述べた。「シャーロット・ブリューという女性が、このレースに騎乗したいと申し出ました。彼女を止めるものは、障害以外には何もありませんでした」
「結局、(1984年に)美しいジェラルディン・リース騎手が、女性騎手として初めてコースを完走したことで、それが可能であることを証明しました。まずまずの馬で成し遂げた素晴らしい成果ではありましたが、競馬は、馬のスポーツの中でも女性が突破することが依然として難しいスポーツです。少なくとも騎手という立場では」。
今考えてみるとこの言葉はひどく時代遅れに聞こえるが、それでも比較的近年に、競馬界の内外において女性騎手の見方を変えてきた人々のおかげなのだ。その中でもブラックモア騎手ほど世論の変化に貢献した者はおらず、競馬界における彼女の影響力は、彼女以前のどの優れた騎手たちに勝るとも劣ることはないと言える。
ブラックモア騎手が成し遂げたようなことを女性もできるのだと人々が本当に信じるようになったのは、それほど昔のことではない。確実に21 世紀に入ってからである。ジュリー・クローン氏(米国)、エマジェーン・ウィルソン氏(カナダ)、ヘイリー・ターナー氏(英国)といった騎手が平地競走でスターとして頭角を現しても、障害競走で女性が同じ成果を上げることについては懐疑的な見方が残っていた。その主な理由は、女性騎手にふさわしい機会が与えられる可能性はほとんどないと思われたからだ。2015年にミシェル・ペイン騎手が単勝101倍の馬でメルボルンカップ(G1)を優勝したときでさえ、女性騎手がチャンピオンハードル、チェルトナムゴールドカップ、グランドナショナルを優勝するとはほとんど見込まれていなかった。しかし、それはブラックモア騎手が競馬界をより良い方向へ大きく変える驚くべき存在になる前の話だ。
2014-15年のアイルランド障害競走シーズン終了時点で、彼女はそれまでの5シーズンでわずか6勝しか挙げられていなかった。翌シーズン終了時点では、170回の騎乗でキャリア通算勝利数を6勝しか増やせなかった。彼女は26歳で、一夜にしてスターになるのとは程遠い存在だった。しかし、マイケル・オリアリー氏のギギンズタウンハウススタッドが、所有馬の主戦にブラックモア騎手を起用し始めた。競馬界で最大の馬主の一人がブラックモア騎手の能力を認め、彼女は次第に結果を出し始め、ますます多くのレースを勝ち取り、大きなレースの日にトップ調教師たちから有力馬の騎乗依頼が来るようになった。
その一人、ヘンリー・ド・ブロムヘッド調教師はブラックモア騎手をナンバーワンジョッキーにした。馬券購入者や競馬評論家たちは、アイルランドの静かな平日午後のレースから最も華やかな舞台に至るまで、彼女の能力に驚嘆した。最初のG1レース優勝は、2019年のチェルトナムフェスティバルにおいてミネラインド(Minella Indo)に騎乗し達成した。その後の同フェスティバルでは、ハニーサックル(Honeysuckle)でチャンピオンハードル(G1)を連覇している。一度目の2021年は無観客であったが、二度目は2022年3月に大観衆の前で勝利した。さらにアプリュタール(A Plus Tard)で同年のゴールドカップ(G1)を優勝した瞬間には、歓喜の大歓声があがった。
その前年の4月には、ブラックモア騎手がミネラタイムズ(Minella Times)でグランドナショナルを制覇し、さらに多くの見出しを飾っていた。世界的なニュースとなり、ブラックモア騎手はBBCの年間最優秀スポーツ選手に選出された。この賞は過去にウサイン・ボルト氏、ロジャー・フェデラー氏、タイガー・ウッズ氏などが受賞している。ブラックモア騎手にとってだけでなく、競馬界にとって素晴らしい出来事となった。
この史上最高の女性障害騎手は、注目の的となることを望まない人物で、実際彼女はメディアのインタビュー依頼を繰り返し断ってきた。その点では、競馬界は彼女の知名度を十分に活かせなかったかもしれない。しかし、彼女の影響力の最も価値ある証しは、競馬場だった。子供たちがブラックモア騎手を探して、サインや写真を求めたときの様子にそれはよく表れている。子供たちは笑顔で家路についたものだ。
レイチェル・ブラックモア氏は自身の運命を全うしたが、より重要なのは、数多くの若い女性たちに自分と同じ方向へ進むよう鼓舞したことであろう。本当の意味ですべてを変えたこの女性のおかげで、不可能な夢など存在しないのだ。
チェルトナムフェスティバル通算勝利数歴代騎手トップ10

1990-91年以降のG1勝利数
By Lee Mottershead
[Racing Post 2025年5月12日
「Rachael Blackmore's career is evidence that there's no such thing as an impossible dream」]