ケンタッキーダービーVのヘルナンデスJr.騎手、心境を語る(アメリカ)【その他】
ブライアン・ヘルナンデスJr.騎手(38歳)は、多くのジョッキーが夢見るような週末を過ごした。ケンタッキーオークス(G1 5月3日)とケンタッキーダービー(G1 5月4日)をそれぞれソーピードアンナとミスティクダンで制したのだ。
ルイジアナ州ラフィエット出身のヘルナンデスJr.騎手はついに夢をかなえた。子どもの頃は誰に聞かれても、「いつかケンタッキーダービーを勝つ」と話していた。内ラチすれすれで力強くレースを進め、最後の直線でミスティクダンを先頭に立たせ、シエラレオーネとフォーエバーヤングの猛追を抑えて、彼はその約束を果たしたのだ。
彼は本誌(ブラッドホース誌)に対し、ケンタッキーダービーでの勝利について、またどのようなキャリアを送ってきたかについて話した。
本誌(以下Q): ケンタッキーダービーでミスティックダンと先頭でゴールを駆け抜けたとき、どのように感じましたか?
ヘルナンデスJr.騎手(以下A): ヒーローになるかゼロになるかという感じでしたね。ケンタッキーダービーをかろうじて勝つか、鼻差で負けるか、紙一重だったのです。勝ったかどうか分からなかったので、誘導馬に乗っていたグレッグ・ブラジのほうに駆け寄りました。後ろにいたジョッキーたちは祝福し続けてくれたのですが、「勝ったの?」と見渡してしまいましたね。「グレッグ、グレッグ、本当に勝ったの?」と問いかけました。すると30秒か40秒して、グレッグは「裁決は君が勝ったと言っているけど、掲示板にはまだ表示されてないね」と答えました。それから2分ほど表示されるのを待つしかありませんでした。ようやく掲示板に馬番があがったとき、喜びで胸がいっぱいになりました。
Q: 直線のどのあたりでシエラレオーネとフォーエバーヤングに迫られていたのに気づきましたか?
A: 直線を向いてゴールを目指しているとき、合図を送ったらミスティックダンは素早く疾走しました。「すごい、ケンタッキーダービーを勝とうしている」といった感じでした。熱心に走っていたから、追い抜かれるなんてまったく心配していませんでした。ただゴールに到達しようとする瞬間、2頭が強襲してきたのです。そのときだけは、もしかしたら負けてしまうのでないかと不安になりました。でも、それ以外はずっと勝つだろうと思っていました。
Q: 勝利が正式に発表された瞬間、どのような興奮に襲われたのか説明してください。
A: まったく現実離れした瞬間でしたね。以前、ケンタッキーダービーを勝つ瞬間にキャリア全体が走馬灯のように目に浮かぶと言っているのを聞いたことがあります。それはありませんでしたね。むしろ「こんなことが起こるなんて信じられない」という感じだったと思います。何よりも馬のことを誇りに思いました。嬉しかったですね。世界最大のレースに出走できて、しかも勝ったなんて、最高の瞬間でした。
Q: 薔薇のレイが運ばれてくるのを見て、その瞬間どう感じましたか?
A: じわじわと実感が湧いてきましたね。ウィナーズサークルでダービーの階段をあがっていくときが最高でした。20年にわたってチャーチルダウンズで騎乗してきましたが、「ケンタッキーダービーの覇者として行けるようになるまでは、ダービーのウィナーズサークルには入らないぞ」といつも自分に言い聞かせてきました。ダービーの階段をのぼっているとき、一瞬立ち止まらなければなりませんでした。妻のジェイミーがやって来て「大丈夫?気を失ってるの?」と言いました。「ちょっと待ってくれ。実感するのに時間が必要なんだ」というふうに答えました。現実離れしていましたね。「ケンタッキーダービーの階段をのぼっているんだぞ」と言うために、頬っぺたをつねらなければなりませんでした。
Q: どうして馬に情熱を抱きはじめたのですか?
A: 父ですね。父(ブライアンSr.)は20年にわたって騎乗していました。朝の調教で騎乗する際に、弟のコルビーもよく手伝ってくれました。私たちと一緒に2頭(ソーピードアンナとミスティクダン)のレース前の追い切りも行ったのです。だから、大いに感謝しなければなりませんね。
馬に囲まれて育ったのです。ルイジアナ州南部の小さな牧場で育ち、裏庭にはいつも馬がいて、早くから馬を走らせていました。大人になってまさにそれをやっているのです。
Q: その頃、ここに到達するなんて想像していましたか?
A: いいえ。でも子どもだった頃はいつも自転車で走り回り、父と母に「ケンタッキーダービーで勝つんだ」と言っていました。ついにそれを実現したわけです。今朝起きて、妻に「ケンタッキーダービーは勝っていない。そんなことは起こるはずないじゃないか」と言ってしまいました。まったく信じられないのです。
Q: 自転車を乗り回しながら、ケンタッキーダービーのゴール板を駆け抜けることを想像していたのですか?
A: そうです!父の乗馬ズボンをはいて、大きすぎるのでその上に白いシャツを着て、勝負服を着たつもりになって、あちこち走り回って誰彼かまわず「ケンタッキーダービーで勝つんだ」と言っていました。それが実現したのです。
Q: チャーチルダウンズで定期的に乗るようになったきっかけは何だったのですか?なぜ20年もそこで騎乗しているのですか?
A: 地元のデルタダウンズで見習騎手だった頃、高校に通いながらナイターで騎乗していました。シェーン・セラーズ騎手はフェアグラウンズを騎乗拠点としていて、土曜日はステークス競走で乗るためにデルタダウンズに来ていました。彼は早くから私に「高校を卒業したら、ケンタッキーに君のためのエージェントがいる。君のために全部準備してあげるから」と言ってくれたのです。そして当時彼は私のために、ケンタッキーの伝説的なエージェント、フレッド・エイム氏をつけてくれました。シェーンは私とフレディの面倒を見てくれました。18歳のほんの駆け出しの若者でしたが、ルイジアナ州の高校を出て、ケンタッキーへ移り住んだのです。
Q: そんなに若くして騎乗のためにケンタッキーに移住して、どのように順応していったのですか?
A: 大変な時期もありました。やめたくなったり、ルイジアナに帰りたくなったりしたこともあります。2004年に最優秀見習騎手となったあと、減量がとれてから数年は苦労しましたね。なんとかやってきて、運が味方してくれました。12年前にエージェントとしてフランク・バーニスを迎えることになり、1年目から彼は幸運をもたらしてくれました。イアン・ウィルクス調教師と働くようになり、その年のBCクラシック(G1)をフォートラーンドで制しました。
Q: フォートラーンドがキャリアのターニングポイントになりましたか?
A: フォートラーンドは間違いなくターニングポイントでした。夏に妻と結婚して、そのあとすぐに彼の主戦ジョッキーになったからです。夏はケンタッキーであまり騎乗機会がないので、荷造りしてアーリントンパークに行くつもりでした。
ついていましたね。その前の年の秋に、フォートラーンドが出走したチャーチルダウンズの2つのアローワンス競走のうちの1つに騎乗させてもらっていました。そして翌年の夏に、イアンはこの馬をプレーリーメドウズコーンハスカーH(G3)に出走させようとしていて、ジョッキーを探していました。そこで幸運にも私に白羽の矢が立ち、見事に勝利を挙げたのです。ジャニス・ウィザム夫人には感謝しています。彼女がいなければ、ルイジアナ州に戻って厩務員になっていたかもしれません。月並みなジョッキーだった私に騎乗を託してくれて、サラトガのホイットニーS(G1)での鞍上も任せてくれたのです。フォートラーンドは私たちを新たな高みに引き上げてくれました。27歳にしてホイットニーSを制してからBCクラシックで優勝したのですから、魔法のような瞬間でした。そこから軌道に乗りました。ここ数年はケニー・マクピーク調教師と組んでいます。素晴らしく優秀な馬を任せてくれるのです。
Q: 同じ週末にオークスとダービーの両方を制した8人目のジョッキーとなりましたね。いずれのレースも今年で創設150周年ですが、喜びもひとしおではないでしょうか?
A: ええ、本当にそうですね。まったく信じられないような快挙です。かなり可能性があると考えながら週末を迎えていたのです。マクピーク厩舎の馬は信じられないほど好調でしたが、同時にどの厩舎の馬も良い状態でした。すべての馬がこの週末を目標にしているのです。ソーピードアンナは出走して実力を発揮しました。4馬身差で圧勝したのですから、信じられない気持ちでした。
ダービーに向かっているときにオークスを手中に収めました。プレッシャーがなかったのですから、いつもとは違いましたね。ケニーには夜になってから、ダービーについて話しました。ふたりとも何の重圧も感じていなかったですね。自分たちの馬が優秀だと分かっていたので、少しばかり自信をもってレースに挑みました。失敗さえしなければ良かったのです。それが最大のポイントでした。彼の邪魔をしたり、負ける言い訳を与えたりしないでおこうと肝に銘じていました。道中はいい感じで、イメージしたとおりの展開になりました。そこでミスティックダンに合図を送ったら、私たちの思い通りに動いてくれ、ケンタッキーダービーを勝ったのです。
Q: 内ラチすれすれを走る作戦は、ダービー3勝のカルヴィン・ボレル騎手からヒントを得たのですか? [訳注:ボレル騎手はインコースでのレース運びのうまさから、「ボ・内柵(レール)(Bo-rail)」というあだ名を付けられている]
A: ここケンタッキーでカルヴィンのダービーでの騎乗、そして長年にわたって彼のインコースでの駆け引きを見ながら育ってきました。今回のダービーの前に、カルヴィンがマインザットバードで優勝した2009年のダービーを見ましたが、信じられないものでした。かなり後方につけていて、「ミスティックダンにはこういう走り方はさせられないな」と思いました。それから、スーパーセイバーで勝った2010年のダービーも見たのですが、カルヴィンは信じられないことに4番枠から出てそのような走り方をしたのです。今回のダービーで道中同じような位置取りになったので、それを真似したくなりました。
Q: ダービーを勝った日の夜はどのように過ごしましたか?
A: 現実のこととは思えませんでしたね。メディアの取材に答え、ケンタッキーダービー博物館で乾杯して、上の階に行ってシャワーを浴びたのです。結局、夜中の12時30分までジェフ・ルビーの店にいました。3時にやっとベッドに入ることができたのですが、5時半には起きましたね。
Q: ケンタッキーダービー博物館の話が出ましたが、映画『ザ・グレイテスト・レース』の最後にご自分が映っているのを見るのはどういう気持ちですか?
A: ダービーの日の夜に博物館に行ったとき、それが上映されました。ケニーはざっと見て、「僕たちはまだ映っていないから出よう」と言って立ち去りました。だから少し早めに出たのです。だけど、彼には「私たちがこの映像に収められるようになったら、また来るよ」と言いました。レース前にそれを確かめるために毎日博物館に通うかもしれません。ケンタッキーダービーの歴史の一部になったと言えるようになるのは非現実的ですね。
By Sean Collins
[bloodhorse.com 2024年5月7日「BH Interview: Brian Hernandez Jr. Punches Through」]