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2023年11月20日  - No.11 - 4

コディーズウィッシュとともに歩んだ青年が17歳で死去(アメリカ)【その他】


 ケンタッキー州のコディー・ドーマンさん(17歳)は、今年のブリーダーズカップ開催(11月3日・4日)の最も心に訴えるストーリーの主人公である。家族によると、コディーさんは自らにちなんだ名をもつコディーズウィッシュがBCダートマイル(G1)連覇を果たすのを観戦したあと、11月5日に帰路の途中で息を引き取ったという。
 家族が出した声明にはこう記されている。「胸が張り裂けるような思いで悲報をお伝えします。昨日最愛のコディーがケンタッキーへの帰路で発作を起こし他界しました。コディーは11月4日(土)、親友のコディーズウィッシュがいつもの粘り強さとタフさでBCダートマイルの連覇を果たすのを見守りました。粘り強さとタフさこそ、ともに過ごすことのできた18年間にコディーが何度も示してきた気質なのです。この素晴らしい競走馬が私たち全員をいざなってくれた旅をつうじ、コディーが多くの人々に影響を与えていることを知り、まさに驚きの連続でした。チャーチルダウンズからキーンランド、サラトガ、そして今週末のサンタアニタまで、誰もが立ち止まってそのことを伝えてくれるので、私たちは20フィート(6m)も進めなかったほどです」。
 12月に18歳の誕生日を迎えるはずだったコディーさんは、ウォルフ・ヒルシュホーン症候群という体のあちこちに症状を引き起こす珍しい遺伝性疾患をもって生まれた。コディーさんは頻繁に発作を起こし、歩行も会話もできず、タブレットを使ってコミュニケーションを取っていた。父親のケリーさんによると、コディーさんは心臓切開手術など40~50回もの手術を受けたという。
 「コディーは出生時にこの病の診断を受けたので、私たちはこの日が来るのを覚悟していました。しかし寿命の長さがどれくらいであろうとも、コディーに最高の人生を送らせることを固く決心していました。競馬場において、またとりわけコディーズウィッシュのそばにいる彼を見かけた誰もが理解されたかと思います。彼はいろんな方法で、私たち全員にどのように生きるのかについて教えてくれていたのです。それはつねに前向きな姿勢を保ち、自分よりも周りの人々に気を配るような生き方です」と家族は述べる。
 コディーさんが初めてコディーズウィッシュと出会ったのは2018年10月である。キーンランドがメイク・ア・ウィッシュ財団(Make-A-Wish Foundation)とともにゴドルフィンのゲインズボロー牧場への訪問を企画した際に、家族とともに参加したのだ。この訪問の際に、ダニー・マルヴィヒル場長はコディーさんを仔馬に会わせたいと思ったが、車椅子が仔馬を怖がらせてしまうのではないかと心配した。そこでまだ名づけられていなかった自家生産馬のカーリン牡駒に会わせることにした。
 マルヴィヒル場長は当時を振り返り、アメリカズベストレーシングのトム・ペドゥラ氏に対してこう語った。「おとなしくのんびりした良い仔馬でした。私に言わせれば、車椅子に乗っているコディーさんに仔馬を近づけることができるかどうかがとても重要なことだったのです」。
 仔馬はコディーさんと車椅子の匂いを嗅いだあと、コディーさんの膝に頭を乗せ絆を深めた。ゴドルフィンはコディーさんにちなんでこの牡駒の馬名をコ―ディーズウィッシュとした。
 マルヴィヒル場長は、「この仔馬はほぼ本能的に私たちが何をさせたいのかに気づいていたのです」と述べた。
 家族は声明にこう記している。「私たちは信仰をもつ者として、コディーが天に召されたことに安らぎを感じています。彼が私たち全員、とりわけ最愛の妹であるカイリーを見守ってくれていることを祈ります。コディー、そして私たち家族とともにこの旅をしてくれたすべての人々に心から感謝しています。この5年間にコディーズウィッシュとの交流がコディーにもたらした喜びは筆舌に尽くしがたいものでした。私たちはその思い出をたよりに、想像を絶するようなつらい時を乗り越えたいと思います」。
 ゴドルフィンUSAのブラッドストック担当部長であるマイケル・バナハン氏は、興奮に満ちたブリーダーズカップ開催のあとのコディーさんの死は受け止めづらいと語った。
 「コディーさんとコディーズウィッシュの関係は初めて出会った日からまさに神聖なもののように思えました。最高の瞬間を味わったあとに奈落の底に突き落とされるのは、受け入れがたいものです。それは立ちはだかった壁のように私たち全員を打ちのめします。彼らが歩んできた旅から安らぎを見いだすことを望んでいます」。
 チーム"コディーズウィッシュ"にはドーマン家の人々、オーナーブリーダーのゴドルフィン、ビル・モット調教師とそのチーム、ジュニア・アルヴァラド騎手が含まれている。彼らは競馬の精神を示したことで、全米競馬記者協会によりミスター・フィッツ賞を贈られた。またアリゾナ大学"競馬およびゲーミングに関するシンポジウム"において、コディーさんは2022年ビッグ・スポート・オブ・ターフダム賞を受賞している。
 全米ホースメン共済協会(NHBPA)のCEOエリック・ハメルバック氏はこのシンポジウムのあいだに、コディー&ケリー・ドーマン親子に会う機会に恵まれたと語った。
 「私たちは皆、コディーさんの訃報に接して悲しみに打ちのめされています。コディーさんはすごくたくさんの人々に感動をもたらしました。そして私たちに大きな困難に耐え抜く真のチャンピオンの姿を見せてくれました。コディーさんとその馬への愛情がもたらした影響、そして馬からのこの驚くべき若者への愛情は、競馬史において最も感動的な物語のひとつとして生き続けることでしょう。ドーマン家の人々がそのことを知ってこのようなつらい時期でも慰めを見いだすことを望んでいます」。
 「コディーさんにちなんで名づけられるのにこれほど相応しい馬はいないでしょう。ゴドルフィンは10代の若者の最初の願いを叶え、それに続いてビル・モット調教師やそのチームが紡ぎだしたものを含め、数々の素晴らしい思い出をもたらしてくれたのです。競馬界全体がとても感謝していると思います。2027年にコディーズウィッシュの産駒がデビューして、コディー・ドーマンさんのレガシーが受け継がれることを楽しみにしています」。
 ブリーダーズカップ協会(BCL)は次のような声明を出した。「ブリーダーズカップのチームは全員、昨夜のコディーさんの訃報に接して打ちのめされています。彼のストーリーは私たちの心をとらえ、彼の強さ・精神・固い意思はコディーズウィッシュの圧倒的なパフォーマンスにより表現され、それは彼の栄誉を称えるにふさわしいものでした。ドーマン家の人々に心から哀悼の意を表します。私たちを家族の中に迎え入れてくださり、競馬というスポーツに多くのものをもたらしてくださいました」。
 HISA(競馬の公正確保と安全に関する統括機関)のCEOリサ・ラザルス氏はこう語った。「コディーさんは私たちに勇気を与えてくれました。競馬界と競馬に従事する人々は皆、ドーマン家のことを知って元気づけられ、その喜びと不屈の精神から多くのことを学びました。コディーさんのご家族やご友人、彼のストーリーに感動したすべての人々に心から哀悼の意を表します」。
 ドーマン家は献花の代わりにオハイオ州・ケンタッキー州・インディアナ州のメイク・ア・ウィッシュ財団への寄付をお願いしている。葬儀については未定である。
 筆者は昨年12月、アリゾナ大学"競馬およびゲーミングに関するシンポジウム"でコディー&ケリー・ドーマン親子に会う機会に恵まれた。コディーさんはそこで2022年ビッグ・スポート・オブ・ターフダム賞を受賞した。私と同様にコディーさんが父親ととも釣りに愛情と情熱を抱いていると聞き、嬉しく思った。筆者は携帯電話に「キャスティング・フォー・コディー(Casting For Cody)」のステッカーを貼っていることを誇りとしており、これからも大事にしていこうと思う。

By Eric Mitchell

[bloodhorse.com 2023年11月6日「Heart of the Breeders' Cup, Cody Dorman Dies at 17」]


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