芦毛馬に発症しやすい皮膚がんの画期的な治療(アメリカ)【獣医・診療】
引退馬施設オールドフレンズ(Old Friends)の創立者マイケル・ブローウェン(Michael Blowen)氏は、アルファベットスープ(Alphabet Soup 25歳)の頭と首を軽くたたき、やさしく声を掛けながら愛撫して元気づけた。1996年BCクラシック(G1)を制した同馬は、命が助かるかもしれない画期的ながん治療を受け始めている。
オールドフレンズのブローウェン氏やスタッフ、それに施設を訪れる人々は、引退馬に惜しみない愛情を注いでいる。ここの繋養馬は、故ダグ・バイアーズ(Doug Byars)博士の跡を継ぐブライアン・ウォルドリッジ(Bryan Waldridge)博士などの獣医師から、最先端治療をはじめ最高レベルの獣医療を受けている。
尻尾近くに皮膚がんを発症したアルファベットスープ(父コジーン)もその一頭で、体の免疫系(訳注:生体内で対象物が異物かどうかを判別し、排除ないし許容する生体防御機構)にがんと闘わせるためのワクチンが接種されている。IFx-VETがんワクチン(IFx-VET multi-indication cancer vaccine)はアルファベットスープの免疫系に、がん細胞を標的として駆除させる。以前同馬を供用していたアデナスプリングス社(Adena Springs フランク・ストロナック氏所有)が、この治療に資金提供している。
このがん治療を始めてわずか数週間で、ブローウェン氏と獣医師たちは皮膚がんの大幅な縮小に気が付いた。この治療とオールドフレンズの惜しみない愛情が、効果を発揮したようだ。
この獣医学の進歩は、これまでも高齢の芦毛馬が皮膚がんに罹る症例を多く目の当たりにしてきたブローウェン氏を驚嘆させた。皮膚がんは、1991年BCクラシック優勝馬ブラックタイアフェアー(Black Tie Affair)の命を奪っている。同馬は皮膚がん闘病中に蹄葉炎を悪化させ、2010年に24歳で死んだのだ。
ブローウェン氏は「ブラックタイアフェアーがここにいたときに、この治療方法があれば、彼は今でも生きていたでしょう」と語った。
現在アルファベットスープに施されている治療方法を見れば、がん治療への驚くべき取組みが分かる。この治療方法は、動物と人間の多くの種類のがんに適用されようとしている。ニューヨークタイムズ紙(New York Times)は8月後半、がん免疫療法の進歩を一面記事で3回にわたり取り上げた。
アルファベットスープの症例に関しては、ウォルドリッジ博士は治療が成功しているという前向きな報告を受けていた。同馬の皮膚がんは早期のものであり、この治療方法を試すのにちょうど良い症例であるということだ。
7月中旬、ウォルドリッジ博士は、すべての痛みを取り除く硬膜外麻酔によって意識ある状態でアルファベットスープからがん組織を取り出した。同博士は、がん細胞保存液が入った容器にそのがん組織を収め、獣医腫瘍学サービス・モルフォジェネシス社(Veterinary Oncology Services- Morphogenesis フロリダ州タンパ)に送った。
ウォルドリッジ博士は、このような皮膚がんは年齢を重ねる芦毛馬に比較的多く発症すると指摘した。また、皮膚がんは日光への露出に関係すると多くの人々は考えているが、科学的調査によれば、老化に伴い芦毛馬がさらに白くなるような際に生じる色素沈着の変化が、皮膚がんに何らかの関係があるようだと語った。
ウォルドリッジ博士は、がんとの闘いが困難である理由の1つは、体ががん細胞を敵と認識しないことにあると述べた。白血球はウィルスあるいは細菌を攻撃するが、がん細胞は人間・動物の体内において突然変異した細胞なので、体の免疫系はそれらを攻撃しない。
IFx-VETがんワクチンなどは、体の免疫系にがんは敵であることを知らせるために、がん細胞に標識を付ける。モルフォジェネシス社はアルファベットスープから採取したがん組織を受け取り、その腫瘍細胞に連鎖球菌(咽喉炎の原因となりうる細菌)を加えた。
その後、細胞内機構はがん細胞の表面に抗原を発現する。それらの細胞には放射線が当てられているので、罹患馬に戻されたときに分裂(増殖)しない。表面に細菌を持つこれらの細胞は液体溶媒に移され、罹患馬すなわちアルファベットスープの体内に注射で戻される。
そうすると、体の免疫系は風邪の原因になりうる細菌であると認識して攻撃するが、実際にはがん細胞を攻撃するのである。免疫系はこの段階で敵を見極めることができ、複数のがん細胞に対する攻撃を指示する。
がんと闘うためには、時折より侵襲的な治療方法(例えば外科手術など)が必要となるが、アルファベットスープの症例においては、それを用いることなく皮膚がんの大幅な縮小が見られた。
モルフォジェネシス社の事業開発部長であるスティーヴ・へーゼル(Steve Hazell)氏は、ネコ・イヌ・ウマその他動物の35種のがんに対してこの技術が用いられていると述べた。同氏は、細菌(実際には細菌から取り出された害のない遺伝子)が細胞に加えられると、がんはもはや逃避できないと述べた。
へーゼル氏はこう語った。「がん細胞はその表面にタンパク質を押し出します。まるで、ハロウィーンのマスクを被って"見て見て、細菌だよ"と言うようなものです。しかし、それは細菌ではなく、がん細胞なのです。この治療方法では、がん細胞から抗原が出て、その抗原が"連鎖球菌がある。追跡して殺してしまえ"と、体の免疫系に伝えます。細菌中の遺伝子は外部に発現します。ハロウィーンのマスクに例えるのであれば、それは免疫系に対して、追跡するように誘導するのです」。
「がん自体は、正常細胞と同様に免疫系からの保護を受けています。がんが有害であるにもかかわらず免疫系がそれを認識しない理由は、全てのがんが最初は正常細胞だったからです。正常細胞が突然変異し、がん細胞の原因となるのです」。
「それは自己抗原(self-antigen)と呼ばれます。免疫系からその細胞を守るので、免疫系はそれを見つけることができません。私たちが行っていることは、そのプロセスをがん細胞では機能させないようにすることです。この遺伝子をがん細胞の中に挿入することにより、いわゆる"細菌損傷(bacteria insult)"によく似た状態を作り出します。免疫系がそれを見つけると追跡するでしょう。もちろん、免疫系は細菌細胞を追い掛けているつもりなのです。しかし、それを破壊すると、がん細胞を作り出す様々ながんの抗原は100%免疫系全体に伝達されます。免疫系がそれを覚えると、がん細胞の外部に細菌プライマー(短い核酸の断片)を持つ必要がなくなります。そして、"抗原"と呼ばれる通常の化学組成を持つがん細胞は危険信号を有するようになり、免疫系はそれが体内にあるかどうか、鼻の先から尻尾の先まで確かめるので、がん細胞はもはや逃避できなくなります」。
へーゼル氏は、この治療の背景にあるアイディアは多くの種類のがんに適用できると考えている。
そして、「この科学技術は、私たちのもとに送られてくる腫瘍サンプルの全てのがんの種類に機能するはずです。私たちは実際、そのサンプルの中にあるがん細胞を変化させることができます。その細胞が罹患馬の体内に戻されれば、免疫系が直接がん細胞を攻撃するようになります」と語った。
ヘーゼル氏は、モルフォジェネシス社は間もなく、がん細胞採取を必要としない予防接種を発表するだろうと付言した。同社は人間の治療にもこの方法を拡げていくことを望んでいる。
獣医師であるマヤ・ジェラルド(Maya Jerald)博士は、今後がん細胞の採取を必要としないワクチンが発表されることも期待できると語り、こう述べた。
「このワクチンは今の治療方法で使うワクチンと同じ仕組みですが、外科生検や研究所での細胞操作、それに個別の馬ごとのワクチン管理など、悪夢のように煩雑な手順が必要なくなります。私たちは全く同じように機能するワクチンを手に入れることができるようになるでしょう。獣医師はこれを購入してすぐに使えるようになるでしょう」。
モルフォジェネシス社の治療開発担当CEOであるパトリシア・ロウマン(Patricia Lawman)氏は、同社はその治療の最前線に立っているが、依然として驚かされることが時々あると述べた。
そしてこう付言した。「多くの人々にとって、副作用がなく比較的少い予算でがんを治療出来ることが現実になるというのは出来過ぎた話でしょう。しかし、それこそがこの技術です。特定の腫瘍に限らず、どのような腫瘍にも注入できる細菌で、副作用もありません」。
By Frank Angst
[The Blood-Horse 2016年10月8日「PROMISING CANCER TREATMENT FOR AN OLD FRIEND」]