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海外競馬情報
2009年11月27日  - No.23 - 4

海外遠征馬が高額賞金の国際レースを席捲(トルコ)【その他】


 おそらく後になって考えてみると、イスラム教国において、1ヵ月のラマダン開始時の9月2日(水)と3日(木)のウィークデイの2晩に、総賞金数百万ドル(約数億円)の競馬開催を行うことは決して賢い考えでは無かったということになるだろう。

 確かにトルコ国家の父として崇められているムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Ataturk)はこの共和国を政教分離国として建国し、月並みな表現だが、現代のトルコ、特にボスフォラス海峡を越えてアジアとヨーロッパの2大陸にま たがるイスタンブールは、自由が認められており、西欧に近いようである。

 しかしながら、トルコに住む7000万人のうち95%以上がイスラム教に忠実であり、イスラム教では、トルコ人がラマダンと呼ぶ聖なる月の間は夜明けから日没まではいかなる飲食物も口にしてはいけないと定められている。

 イスラム教徒のその敬虔な務めを見れば、イスタンブール近郊(市中心から南西へ10 km)のヴェリエフェンディ競馬場で、サッカー競技場の様な巨大な投光照明の下、2日間にわたって開催された6レースからなる総賞金300万ドル(約3億 円)のトルコ国際競走フェスティバル(Turkish International Racing Festival)の1日目になぜ観客が少ないのかがわかるだろう。

 とはいえ、イギリスからの遠征馬関係者の多くが、国際カタロギングスタンダードにおいて“パートII”に格付けされているトルコ競馬に対して不満を抱いて いるわけではない。4頭のイギリス調教馬が、フェスティバル開催の目玉となる以下のサラブレッド競走4レースを全て優勝したからだ(残る2レ−スは純血ア ラブ競走)。

 2009年においては、まず賞金102万ドル(約1億200万円)の (1) トプカピトロフィー競走(Topkapi Trophy:国際G2)にプレッシング(Pressing)が2年連続で優勝した。なお、同競走が初めて行われた1991年にはジョン・ダンロップ (John Dunlop)調教師のラッキーゲスト(Lucky Guest)がレスター・ピゴット(Lester Piggott)騎手を背に優勝している。

 また、(2) イスタンブールトロフィー(Istanbul Trophy:トルコG2)では、エヴァズリクエスト(Eva's Request)が優勝、(3) ボスフォラスカップ(Bosphorus Cup:国際G2)では、ハリカナサス(Halicarnassus)が優勝と、ミック・シャノン(Mick Channon)調教師が、戦列に復帰したアラン・ムンロ(Alan Munro)騎手とのコンビでフェスティバル2勝を達成した。

 さらに、フランキー・ディットーリ(Frankie Dettori)騎手鞍上のバリウス(Balius)が (4) アナトリアT(Anatolia Trophy:トルコG2)で優勝し、ゴドルフィン(Godolphin)にトルコにおける初勝利をもたらした。この成績から考えれば、海外からの侵略者 にとって、この高額賞金のシリーズ競走は、勝利を手に入れることも挑戦することもさほど難しいことではないようだ。

 トルコは自国の競馬と馬産の繁栄を誇ることができるが、2009年の国際競走フェスティバルの第一印象は決して幸先の良いものではなかった。イギリスの クレア・アレン(Claire Allen)騎手とアイルランドのクレア・マクマホン(Claire McMahon)騎手を含む女性アマチュア騎手たちが、午後7時半発走の第1レース[欧州規模のフェジェントリーシリーズ(Fegentri series)の一戦]のために夕暮れに競馬場へ出向いたところ、なんと、誰にも出迎えられなかった。

 いくつかの国旗とアタテュルクの肖像画で飾られている3階建ての質素なスタンドは、トルコの高官や海外からの招待客のために設けられている洒落た施設か らは離れた場所にある。2009年、国内第一級レースで“勇士(Gazi)”のアタテュルクにちなんで名づけられたガジ・ダービー(Gazi Derby)の際には3万人も集まった競馬場には、(国際競走フェスティバル初日には)多分100人の来場者もいなかった。

 これがラマダンである。現地を拠点としているオーナーブリーダーのアン・マリー・デスタンヴィル・ゲディク(Anne Marie d’Estainville Gedik)氏は、「これは日程設定のまずさの典型です。ラマダンの間、日の出から日没までずっと食べることが出来ないため、人々は日が沈んだら家に帰り 家族と過ごすのです」と述べた。

 トルコにとって一番重要な競馬開催がこのような不都合な時期に施行されるのには、それなりの理由がいくつかあった。競馬開催での来場者数を増やすために ラマダンの時期を変えることは不可能だし、週末に海外において開催される国際競走との衝突を避ける必要があった。そもそも、トルコには合法的なブックメー カーはいないものの、競馬ファンは自宅に近い場外発売所でトートによる賭けを行うため、もはや競馬場まで足を運ぶ必要がないのである。

 この初日の夜は嘆かわしいスタートから回復することは出来なかった。しかしアナトリアS(トルコG2)においてバリウスで楽勝したデットーリ騎手が同馬 から飛び降りるパフォーマンスをしたときには、来場者が集まり声援を送った。トルコを10代の頃から訪れているデットーリ騎手は、「私はここが大好きで す。ケンプトン競馬場よりも立派です」と叫んだ。

 確かに彼の言うことは的を射ているかもしれない。国際格付けのないG2競走なのに、バリウスが勝利したこのレースは総賞金が42万5000ドル(約 4250万円)である。サンベリーにあるケンプトン競馬場でこれに匹敵する賞金を提供するためにはかなり奮発しなければならないだろう。

 フェスティバルの翌日、同馬の関係者たちは既に英国に戻っていたにもかかわらず、デットーリ騎手をシェラトンホテルのプール付近で見かけたが、そのとき 彼は前日と同じくらい元気だった。同騎手は、「寒いソールズベリ競馬場にいるよりもこっちのほうがずっと良いですよ」と笑った。

 有り難いことに2日目の夜は、1日目の寂しい状況とは全く違う様子であった。欧州最高賞金マイルレースのトプカピトロフィー(国際G2)とボスフォラス カップ(国際G2)[両レースの平均賞金額はおおよそ170万ドル(約1億7000万円)。トルコはパートII の国だが、これらの2レースだけは“パートI 競走”として国際G2に格付けられている]のメインイベントに5000人の来場者が集まった。

 国際競走フェスティバルの賞金はこのように釣り上げられているが、トルコ競馬においてそれだけが価値のある要素ではない。トルコでは7競馬場で3500 を超える競走を施行している。これはイギリスの平地競走数をたった数千下回るだけで、アイルランドをおよそ2500以上上回る。

 さらに多くの競馬場を建設する計画はあるものの、現時点においてそれらの競馬場の中でヴェリエフェンディが一番好まれている競馬場である。その理由は簡単 だ。海外から訪れるホースマンたちがこの競馬場の施設に満足しているからだろうが、ほとんどの海外馬の関係者が高額な賞金小切手を手にして自国へ帰ったこ ともおそらく手伝っているだろう。

 それはともかく、ヴェリエフェンディ競馬場はまた、2つのよく管理されたコースを有しており、右回りの芝コースが外側に、その内側に新しいポリトラックコースがある。1〜2コーナー奥には魅力的な並木のあるピクニックスペースと優れた厩舎施設がある。

 トルコ・ジョッキークラブ(Turkish Jockey Club:TJC)は、レース発走の数分後に視聴者が全レースのリプレイを見ることができる競馬専門チャンネルにも資金を提供している。

 トルコ競馬界に組織上の問題がないわけでもないが、それでもトルコには素晴らしく一見の価値のある競馬の雰囲気が残っている。

 メインレースの頃には、刈り揃えられた生け垣とマリーゴールドで囲まれたパドックの周りに3〜4重もの観衆が集まった。巨大な投光照明に照らされて、馬を引いている厩舎スタッフはサッカー選手のように白い胸あてに出馬表の番号をつけている

 走路を行進する各国代表を飾るずらりと並んだ世界の国旗の後ろでブラスバンドが国際フェスティバルの雰囲気を盛り上げ、グランドスタンドの前では、テン トの杭抜きと馬上槍試合から構成された古代トルコの馬術競技の実演が行われる。衣装のことを忘れれば、それはまるでイギリスのエグリントン (Eglinton)のホース・オブ・ザ・イヤー・ショー(the Horse of the Year show)で行われる馬術クラブの供覧試合のようである。

 トルコ政府が近頃ようやく控除率を50%以下に引き下げたのだがそれでもなお高く、これらのショーは、地元の人たちがトートボードに表示されているオッズの低さ(控除率の高さ)から気を紛らわせるのに一役買っているのかもしれない。

 第9レースのトプカピトロフィー(国際G2)直前の単勝では、出走馬の7頭が一桁台のオッズを示しており、プレッシングは1対3(約1.3倍)である。次に人気のオッズは4対11(約1.4倍)で、その他6対1(7倍)以下のオッズがさらに4頭いた。

 イスタンブールの観光ガイドブックは大げさにスリへの注意を呼びかけているが、50%もの控除率の高さはスリというよりもまるで公設の強盗のようであ る。それでも、同レースで、ニール・カラン(Neil Callan)騎手騎乗の、大本命プレッシングがドリームイーター(Dream Eater)に並びかけ、きわどい鼻差でマイケル・ジャービス(Michael Jarvis)調教師が長年計画していた優勝を達成した時、この高い控除率が人々の大興奮を冷ますことは無かった。そして、優勝したカラン騎手がスタンド の前をパレードした時、またもや場内全体に大歓声が鳴り響いた。

 海外からの遠征馬の中でこのプレッシングがただ1頭のG1勝馬であったが、国際競走フェスティバルに組まれたサラブレッド4競走のすべては国際競走であ ることから、この2日間に限れば地元馬は二流にすぎないと考えざるを得ない。イギリス調教馬は、イギリスではG3級の馬であっても、トルコでは情け容赦な いほど優勢であり、わずか9頭の遠征馬が優勝4回そして2着2回を記録した。プレッシングとバリウスの優勝のみならず、シャノン調教師の2頭の管理馬(エ ヴァズリクエストとハリカナサス)が2勝したことによって、なおさら海外遠征馬優勢という強烈な印象を残した。結局、イギリス勢は合計184万ドル(約1 億8400万円)を母国へ持ち帰ることとなった。

 2勝を達成したシャノン調教師の快挙は、同調教師とコンビを組んだムンロ騎手の功績によるとろが大きいとされている。いつもスタイル(流儀)を持ってい るムンロ騎手は、他の騎手がしばしば好む鞭の使用に頼ることなくエヴァズリクエストを横綱レースで勝利へと導いた。2日目はハリカナサスを巧みな手綱さば きで窮地から救い出し優勝させた。

 そのようなわけで、ムンロ騎手がサインをせがむ人に囲まれて心から喜んでいるように見えたのは決して驚きではなかった。ムンロ騎手は、「前回このように サインを求められたのは私のファンクラブがあった日本が最後でした。私は今年あまり調子が良くなかったので、この2勝は本当に嬉しいです」と述べた。

 しかし、この2日間における最大の歓声は、国際競走フェスティバルとして2レース組まれた純血アラブ競走の1つのマラズガード・トロ フィー[Malazgird Trophy:トルコG1賞金22万5000ドル(約2250万円)]のときだった。このレースは地元の伝説的騎手ハリス・カラタス(Halis Karatas)騎手が地元のヒーロー馬ターボ(Turbo)を優勝へと導き、6つの国際競走のうち少なくとも1競走だけはトルコの手に入ったことになっ た。これは2008年の地元馬5勝からすれば僅かな収穫だった。

 2008年の国際騎手招待競走シャーガーカップに招待された実績のあるカラタス騎手は地元ファンの熱烈な応援の的である。ヴェリエフェンディ競馬場におけ るこの2日間の開催で、イギリス遠征馬が4勝し、女性アマチュア騎手限定の2競走があった中で、カラタス騎手が合計5勝したことは驚くべきことである。

 地元の人々が彼を凱旋ヒーローのように扱ったのも無理からぬことである。そもそも彼以外には大声で叫ぶ対象がほとんどなかったのだから。

 

By Nicholas Godfrey
(1ドル=約100円)


[Racing Post 2009年9月13日「Rich pickings for visitors with feast after the fast」]


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