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2023年02月16日  - No.6 - 4

作曲家で熱心なオーナーブリーダーのバート・バカラック氏が94歳で死去(アメリカ)[その他]


 伝説の作曲家バート・バカラック氏は長年にわたりサラブレッドのオーナーブリーダーでもあった。1994年ケンタッキーダービー(G1)ではソウルオブザマターが"ウォークオーバー(楽勝)"してくれることを熱望していた。この馬は彼にとって初めての米国クラシック出走馬だったのだ。

 13万人の熱狂的な観衆を前に厩舎エリアから馬場を回って装鞍所まで行くまでの道のりがどれほどエキサイティングか、彼はいつも聞かされてきた。

 ソウルオブザマターを管理したリチャード・マンデラ調教師はこう回想した。「だいたい半分くらいまで来たところで、観衆が熱狂して"バカラック、バカラック!"と叫びだしたのです。馬が怖がっていたので、バカラック氏には100フィート(約30 m)ほど後ろを歩いてもらいました」。

 バカラック氏のそのような人をひきつける力と音楽ファンとのつながりが、インスピレーションやエネルギーを彼にもたらした。また1960年代半ばにサラブレッド競馬界に入り込んで以来、彼はそこで築いた人脈も同様に楽しんでいた。

 作曲家・作詞家・レコードプロデューサー・ピアニストとして活躍したバカラック氏は2月8日にロサンゼルスの自宅で亡くなった。94歳だった。音楽界も競馬界も彼の死を心から悲しんでいる。

 音楽における数多くの功績の中で、彼は1969年の『雨にぬれても』(B・J・トーマスが歌い大ヒット)、1981年の『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』(映画「ミスター・アーサー」の主題歌)でアカデミー歌曲賞を受賞している。またバカラック氏が書いた『雨にぬれても』を含む1969年の映画「明日に向って撃て!」の楽曲は、アカデミー作曲賞(劇・喜劇映画音楽賞)を受賞した。

 バカラック氏と長年の相棒ハル・デヴィッド氏(2012年に死去)はブロードウェイミュージカル「プロミセス、プロミセス」の音楽も担当し、トニー賞7部門にノミネートされた。

 一方、彼はサラブレッドのオーナーブリーダーとしても成功した。少なくとも15頭のステークス勝馬を所有および/あるいは生産し、そのうち6頭が重賞勝馬、1頭がエクリプス賞受賞馬となった。

 バカラック氏は1994年にロサンゼルスタイムズ紙でこう述べている。「なぜ馬を走らせるのかと言うと、私たちのほとんどは思いどおりにできる世界にいるからだと思うのです。しかし大好きなのに思いどおりにできないものもあります。馬はその意欲以上に速く走ってくれません。そこに苦痛を感じます。しかし他の点で人生を思いどおりにできている人にとって、それは気分がうきうきするようなことなのです」。

 「そのうえ競馬の観客は音楽ファンとは違いますね。もっと控えめで穏やかで一緒にいて落ち着きます。私たちは2ドルの馬券を買い続ける競馬ファンのようなものです。失望を受け入れ、負けても一笑に付し、振りだしに戻って競走成績を見る。私たちはそういうものですよね。いつも明日があると考えるのです」。

 ケンタッキーダービーは、マンデラ調教師がバカラック氏と分かち合った多くの大切な思い出の1つである。バカラック氏はG1を制した自家生産馬のうち2頭、ソウルオブザマターとアフタヌーンディーライツをこの調教師に預けていた。

 「あれ以上のものはなかったでしょう。バカラック氏は最高のオーナーでしたね。厩舎にやって来て馬と親しんでいましたが、こちらのやることを尊重してくれました。それで、私たちは大きな成功を収めたのです」。

 バカラック氏は最初、馬を購買してチャーリー・ウィッティンガム調教師のもとに預託していた。初めて走らせた馬はバトルロイヤルという名前で、1968年に勝利を挙げ、譲渡要求を受けた。バカラック氏はロサンゼルスタイムズ紙に対し、この馬を譲渡してしまったことに憤慨し調教師に買い戻させたと語っている。作曲家はまた、ブルーシーズミュージックという名義で早くから生産に携わるようになり、メリーランド州で牧場を運営していた。ステークス競走を制した最初の自家生産馬はクラムス(Crumbs 父バグダッド)という牡駒だった。この馬は1975年にエルカホンS(デルマー)で優勝した。

 バカラック氏が所有したG1馬はすべて自家生産馬だった。

 ハートライトナンバーワン(父ロックトーク)はハリウッドオークス(G1)を制してバカラック氏にとって初めてのG1馬になった。さらにラフィアンH(G1)とデルマーオークス(芝G2)でも優勝し、1983年の最優秀3歳牝馬に選ばれた。この馬は、バカラック氏がシンガーソングライターのニール・ダイヤモンド氏と共作した曲『ハートライト』にちなんで名づけられた。ダイヤモンド氏はウィナーズサークルでこの馬主にトロフィーを贈呈した。

 レース後、バカラック氏の3人目の妻キャロル・ベイヤー・セイガー氏は本誌(ブラッドホース誌)に対して「所有馬のうちの1頭がナンバーワンになれるように、歌にちなんだ名前を付けた(実際は改名した)のです」と語った。

 ハートライトナンバーワンはペドロ・マルティ調教師により管理され、ラフィット・ピンカイJr. 騎手が鞍上を務めた。この騎手は作曲家の最初の勝馬にも騎乗した。

 ピンカイJr. 氏はこう語った。「バートはまさに良い友人でした。いつも感謝してきました。私が最初の妻を亡くしたときに、よく面倒を見てくれたのです。子どもたちはまだ小さかったのですが、ほぼ毎週末、私たちを夕食に招いてくれましたね。そのことを心から感謝しつづけるでしょうし、決して忘れることはありません。本当に良い友人でした。彼が亡くなったと聞いてとても悲しくなりました」。

 ソウルオブザマターはケンタッキーダービーでまずまずの5着に終わったが、その後スーパーダービー(G1)を制した。そして第1回ドバイワールドカップではシガーの2着に入った。1995年にバカラック氏はアフタヌーンディーライツ(父プライベートタームズ)でケンタッキーダービーに再挑戦することになる。この馬は2歳でハリウッドフューチュリティ(G1)を制し、3歳となってサンフェリペS(G2)で優勝し、サンタアニタダービー(G1)で2着に入ったが、その直後のケンタッキーダービーでは8着に終わっている。その後、マリブS(G1)でG1・2勝目を達成した。

 バカラック氏の競馬への情熱は薄れることはなかった。最近では、リチャード・シャッツ氏と共同で走らせていたステークス勝馬デュベイデイ(Duvet Day)が1月21日に芝のアストラS(サンタアニタパーク)を制している。

 デュベイデイを管理するマイケル・マッカーシー調教師はこう語った。

 「彼は競馬に夢中で、所有馬がどうしているかいつも聞きたがっていましたね。真のレジェンドであり、確固たるレガシーを持つ紳士の馬を預かることができたのは私たちにとって本当に光栄なことでした」。

 マッカーシー調教師は、バカラック氏が必要なときにいつも快く助けてくれたことに感銘を受けたと付け加えた。具体的に触れたのは、2017年にサンルイスレイダウンズ調教センターを襲った火災の被害者を支援するために、歌手であり友人のエルビス・コステロ氏とともに開催した募金イベントについてである。

 バカラック氏は競馬のために熱心な勧誘も行った。A&Mレコードの共同創設者ジェリー・モス氏やメディア界の大物マーブ・グリフィン氏らを競馬ビジネスに引き込んだのだ。ジェリー・モス氏が所有したトップクラスの競走馬の中には、複数のエクリプス賞を受賞し、2010年の年度代表馬になったゼニヤッタがいる。また、グリフィン氏はBCジュベナイル(G1)優勝馬であり2005年最優秀2歳牡馬のスティーヴィーワンダーボーイを所有していた。

By Eric Mitchell

[bloodhorse.com 2023年2月9日「Music Icon, Avid Owner/Breeder Bacharach Dies at 94」]


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