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2022年11月02日  - No.41 - 4

ケヴィン・マニング騎手、40年間のキャリアに終止符(アイルランド)[その他]


 ジム・ボルジャー調教師は、30年近く厩舎所属騎手を務めダービーを制したケヴィン・マニング騎手(55歳)の忠誠心を称えた。マニング騎手は10月31日(月)、ゴールウェイ競馬場で単勝1倍台の大本命ヴォーカルスタディーズに騎乗して優勝したあと、引退を発表して観客たちに衝撃を与えたのだ。

 地味な祝日の午後にゴールウェイ競馬場で静かに引退するのは、検量室で最も控えめなメンバーの1人だったマニング騎手らしい選択だった。

 2008年英ダービー(G1)をニューアプローチで制した彼は、英国とアイルランドでクラシック8勝を達成している。ボルジャー厩舎の数々のスター馬とコンビを組んできた。

 ボルジャー調教師とマニング騎手のコンビは2006年から2012年までにデューハーストS(G1)を5勝し(テオフィロ・ニューアプローチ・インテンスフォーカス・パリッシュホール・ドーンアプローチ)、2013年と2021年に英2000ギニー(G1)を制した(ドーンアプローチ・ポエティックフレア)。また2007年には英国・アイルランド・フランスの1000ギニーの歴史的な完全制覇にあと一歩というところまでいった。英1000ギニー(G1)で優勝し、愛1000ギニー(G1)を制することになるフィンシャルベオは、そのあいだの仏1000ギニー(G1ロンシャン)でダージナに惜しくも頭差で敗れたのだ。

 生涯にわたり体重計との戦いに耐えぬいたマニング騎手は1993年、クリスティ・ロッシュ騎手の後を継いでボルジャー厩舎の主戦騎手となった。1,600勝を超える勝利を挙げたうち、大半はボルジャー厩舎の馬で達成したものであり、ボルジャー調教師の娘ウナと結婚している。彼らのあいだには、クレアとジェームズという2人の子どもがいる。

 調教師の妻ジャッキーの服色で出走したヴォーカルスタディーズは、ゴールウェイ競馬場で流れるようにゴールを駆け抜けた。その後、マニング騎手は引退を決断したことを発表し、騎手仲間やその場にいた全員により心温まる歓待を受けた。「ボスのために、そしてジャッキーの勝負服で優勝できて、最高の終わり方になりました」と彼はレーシングTVに語った。

 「キャリアを通じてボルジャー夫妻は私をずっと支えてくれました。ジムは私にとって信じられないような存在でした。彼とともに歩み、キャリアを終えるときも彼がいるのです。ジムのために、そしてジャッキーの勝負服で勝利を挙げることは、私にとってすごく大きな意味があったのです」。

 40年近い騎手生活の末の控えめな引退について彼はこう付け加えた。「静かな一日でしたが、みんな良い人でした。素晴らしいキャリアを過ごすことができ、ずっと楽しんできました。しかし、ジムとジャッキーが長年にわたって支えてくれたことに本当に感謝しなければなりません。もちろん、長いあいだ私に我慢してくれたウナにも感謝していますね」。

 ダブリン州キルサラガン出身のマニング騎手は、1983年4月23日にカラ競馬場でケインズ(Keynes)に騎乗し、ボルジャー調教師のために初めての勝利を挙げた。

 1984年と1987年には見習騎手のリーディングに輝いた。ロッシュ騎手がエイダン・オブライエン厩舎に移籍すると厩舎所属騎手に昇格し、アイルランドのリーディングで2回2位に入った。世界で最も長く1つの厩舎に所属したジョッキーの1人と言われている。米国の伝説的なジョッキー、マイク・スミス氏が同じぐらい長い在籍期間を誇っている数少ない現役騎手の1人である。

 ボルジャー調教師は31日(月)にこう語った。「ケヴィンは40年近くにわたってうちの素晴らしいジョッキーでいてくれました。彼がいなくなるのはすごく寂しいです。立派なキャリアを過ごしました。ある意味、マイケル・キネーン、ジョニー・ムルタ、ケヴィン・マニングの時代のページが閉じられることになります。彼は最後の1人だったので、一時代が終わったと言うのは真実なのです」。

 一緒に過ごした素晴らしい瞬間について尋ねられたボルジャー調教師は、そういった思い出には枚挙にいとまがないようで、こう振り返った。「少し自分本位な見方ですが、テオフィロでデューハーストSを制して、その後このレースをさらに4勝したことを思い出しますね」。

 「優勝馬のうちの3頭、テオフィロ、ニューアプローチ、ドーンアプローチは欧州最優秀2歳牡馬に選ばれました。だから大切な日になりましたね。そして最も重要なのは、トレーディングレザーが愛ダービー(G1 カラ)を制した日です。彼は自家生産馬だったので、私たちにとって格別の日になりました」。

 「英ダービー(エプソム)をニューアプローチで制したのも見事でした。この馬はラストランの英チャンピオンSにいたるまで決して乗りやすい馬ではなかったですね。ダービーでも気難しかったのですが、ケヴィンは仕事を成し遂げ、最高の馬でトップクラスの騎乗ができることを証明しましたね」。

 マニング騎手はG1・36勝を挙げたが、その1勝目は1994年にエヴァルナで成し遂げたフェニックスS(G1 レパーズタウン)優勝である。しかしその後の10年間でG1を制したのは一度だけだった。マルガルーラで達成した2002年愛オークス(G1)での勝利である。

 ボルジャー調教師のもとでの再ブレークはアレクサンダーゴールドランの登場によって始まった。G1・5勝を果たすことになるこの牝馬は2004年オペラ賞(G1)でその1勝目を達成した。

 マニング騎手が挙げた数々のG1優勝はすべて、ボルジャー厩舎の馬に騎乗して成し遂げたものだ。ボルジャー調教師は"この厩舎所属騎手が過小評価されているのではないか"と聞かれてこう答えた。「ケヴィンは自分からここを出ていくことはなかったのです。非常に忠実な所属騎手であり、おそらく騎手としてのキャリアにそれが影響をもたらしたのでしょう。ほかの厩舎に騎乗依頼をもらいに行くようなことはしませんでしたね」。

 「私にとって素晴らしいジョッキーでした。正直なところ、長年一緒に働いてきて口論したことは一度もないと神に誓って言えますね。彼がいなくなるのはとても寂しいし、彼の残りの人生がうまくいくことを祈っています」。

 ボルジャー調教師はマニング騎手が引退計画について相談してこなかったことを明らかにし、後を継ぐジョッキーについては「また別の機会に」と述べた。マニング騎手もまた、将来の計画について真剣に考えてはいないのだという。

 マニング騎手はゴールウェイで引退することを決めたことについてこう語った。「遅かれ早かれ絶対にやってくる日でした。こういうことになったのは、来年戻ってくるつもりがなくて、ネース競馬場でのシーズン最終日に騎乗停止処分を受けていたからです。だから、これが最後の芝競走開催日となったのです」。

 「今日騎乗しに来て、勝つことができたら終わりにしようと思っていたのです。だけど馬を止めて戻ってきても、そのあと3回良い騎乗ができたので、ウナに"どう思う?"と言ったのです。でも、とにかくやり遂げました。これでおしまいです。もう決めたのです」。

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By Richard Forristal

[Racing Post 2022年10月31日

「End of an era as 'loyal' Derby winner Manning hangs up boots after 40 years」]


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