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2022年03月17日  - No.10 - 3

1994年ケンタッキーダービー優勝馬ゴーフォージンが31歳で死亡(アメリカ)[生産]


 ゴーフォージン(31歳)は3月8日、ケンタッキーホースパークで心不全により死んだ。2011年6月の種牡馬引退後に同パークで殿堂入りチャンピオンとして繋養されていたゴーフォージンは、存命する中で最高齢のケンタッキーダービー(G1)優勝馬だった。

 ケンタッキーホースパークのリー・カーター専務理事はこう語った。「ゴーフォージンが12年近くケンタッキーホースパークのアンバサダーとして活躍してくれたことを光栄に思います。来場者たちのあいだで人気があり、世界中から多くの人々をケンタッキー州に迎え、サラブレッド競走というスポーツに新たなファンを呼び込みました。彼がいなくなってケンタッキーホースパークの全員がとても寂しい思いをするでしょう」。

 ゴーフォージン(父コーモラント)はパメラ・ダルムシュタット・デュポン氏(ケンタッキー州)により生産された。馬主はウィリアム・J・コンドレン氏とジョセフ・コルナッキア氏。ニック・ジトー調教師により管理された。2歳のときにレムゼンS(G2)で優勝した。そして3歳のときには殿堂入り騎手クリス・マッキャロンとのコンビで第120回ケンタッキーダービーを制し、強豪ホーリーブルを破った希少な競走馬の1頭となった。その後、プリークネスS(G1)とベルモントS(G1)でいずれもタバスコキャットの2着となった。2歳から4歳までの通算成績は19戦5勝(2着7回、3着2回)。獲得賞金は138万866ドル(約1億5,880万円)。

 現役引退後はクレイボーンファーム(ケンタッキー州)で種牡馬となり、その後ボニータファーム(メリーランド州)へ売却されて2004年からそこで供用された。ゴーフォージン産駒は合計1,950万ドル(約22億4,250万円)以上を稼ぎ、そのうちの1頭であるG1馬アルバートザグレートは300万ドル(約3億4,500万円)以上を獲得した。

 マッキャロン氏はこう語った。「ゴーフォージンの訃報に接して悲しんでいます。彼は私にケンタッキーダービー2勝目をもたらしてくれました。その思い出は、生きているかぎり心に刻まれ続けるでしょう。古い友よ、安らかに」。

 ゴーフォージンは、ケンタッキーホースパークの殿堂入りチャンピオンとして繋養されていた。ほかのチャンピオンには、ファニーサイド、ポイントギヴン、スタンダードブレッドのペーサー(側対歩)であるウェスタ―ドリーマーとウォンザウエスト、スタンダードブレッドのトロッター(斜対歩)であるミスターマッスルマンがいた。

 殿堂入りチャンピオンの管理者ロブ・ウィリス氏は、ゴーフォージンはアンバサダーとしての役割を自然にこなしていたと語った。

 「最高齢のダービー馬であることとその性格ゆえに、人々は彼に親しみを抱いていました。来場者の多くはここで見る馬のことをよく知らないのですが、ゴーフォージンの名前は覚えている人が多かったですね。そして彼に会ってその外見・魅力・カリスマ性に接して"これがゴーフォージンか"と思い出すのです。それでファンになってくれますね」。

 「ジンの素晴らしさは人と接するのが大好きなところです。人々にブラッシングもさせてあげられます。彼らがブラッシングをしているときに、『これまでダービー馬の手入れをしたことがありますか?』と尋ねると、彼らの顔がパッと明るくなるのが分かります。幸せな気分になるのですね」。

 ほかのケンタッキーホースパークの殿堂入りチャンピオンと同様に、ゴーフォージンは"メモリアルウォーク・オブ・チャンピオンズ"に埋葬される。過去の繋養馬フォアゴー、ボールドフォーブス、ジョンヘンリー、アリシーバ、ダホスもそこに眠る。

 後日、ゴーフォージンのお別れの会が一般の人々に向けて開催される予定。

By Blood-Horse Staff

[bloodhorse.com 2022年3月9日「1994 Kentucky Derby Winner Go for Gin Dies at 31」]


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