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2021年02月25日  - No.7 - 4

ゴドルフィンにクラシック初優勝をもたらしたバランシーンが30歳で死亡(イギリス)[その他]


 バランシーンは30歳で死んだ。ゴドルフィンにとって最初のクラシック勝馬であり、現在のような競馬帝国を築くきっかけとなった同馬は、今後もゴドルフィンの歴史において特別な位置を占めるだろう。

 飛ぶように速いこの牝馬は、1994年英オークス(G1)でスタンド側のぬかるんだ馬場を荒々しく走って勝利をつかみ、フランキー・デットーリ騎手にとっても英国で最初のクラシック勝馬となった。

 1980年欧州最優秀2歳馬ストームバードの牝駒であるバランシーンは、ロバート・サングスター氏のスウェッテナムスタッドで生産された。2歳時に有名なサングスター氏の勝負服を背負って2戦し、いずれも印象的な勝利を収めた。その後、プライベート取引によりマクトゥーム殿下に購買された。

 バランシーンはゴドルフィンを象徴する馬であるだけではない。ドバイで越冬してから欧州のクラシックシーズンに臨むことが奏功するかどうかを示した草分け的存在でもあった。同馬の場合、それは成功した。

 ヒラール・イブラヒム調教師に管理されたバランシーンは、デットーリ騎手(当時23歳)を背に英1000ギニー(G1)に臨み、ラスメニナス(Las Meninas)の短首差の2着となった。しかしマクトゥーム殿下のロイヤルブルーに白のV字襷の勝負服に身を包んだデットーリ騎手が英オークスでしくじることはなく、ウインドインハーヘア(ディープインパクトの母)を2½馬身退けて優勝した。

 バランシーンはその後、牡馬との対戦となった愛ダービー(G1)でキングズシアターに4½馬身差をつけるという圧巻の勝利を収め、さらに素晴らしい活躍を見せた。そしてレーシングポストレーティング(RPR)を自己最高の129まで押し上げた。

 それから怪我により1年間の戦線離脱を余儀なくされたバランシーンは、サイード・ビン・スルール厩舎に転厩して4歳馬としてカムバックした。しかし復帰初戦のプリンスオブウェールズS(当時G2)では着外となった。

 その後に出走したフォワ賞(当時G3)ではカーネギーの短首差の2着となった。そして凱旋門賞(G1)では、台頭する競馬帝国ゴドルフィンの代表馬としてのバトンを引き継いでいた同厩舎馬ラムタラの10着となった(訳注:デットーリ騎手は凱旋門賞でラムタラを選び、バランシーンの鞍上はスウィンバーン騎手が務めた)。

 イブラヒム調教師の助手を務めていたジェレミー・ノセダ元調教師は後にこう回想している。「ゴドルフィンは当時、ニューマーケットで6頭しか所有しておらず、バランシーンはまさに希望の星でした」。

 「もしバランシーンがオークスで優勝していなかったら、おそらく現在のゴドルフィンは存在しなかったでしょう。だからあれは全員にとって決定的瞬間でした。ただ、私にとっては目標を達成してくれる馬がめぐってきたことにほかならず、彼女は見事にその仕事を成し遂げてくれました」。

 バランシーンは引退後、繁殖牝馬として4頭の勝馬を送り出した。その中にはニエル賞(G2)で2着となったガルフニュース(Gulf News アンドレ・ファーブル厩舎)や、有力3歳牡馬ウェスタンシンフォニー(Western Symphony 父シャマルダル チャーリー・アップルビー厩舎)の母バルサミン(Balsamine)がいる。

 バランシーンはモーニングディヴォーション(Morning Devotion 父アファームド)を母とし、半姉レッドスリッパーズはサンチャリオットS(当時G2)優勝馬であり、半弟ロマノフ(Romanov)はG2勝馬で愛2000ギニー(G1)と英ダービー(G1)で3着となっている。なお、レッドスリッパーズは繁殖牝馬として仏ダービー(G1)優勝馬ウエストウィンドを送り出している。

 バランシーンは繁殖牝馬を引退してから、ケンタッキー州のゲインズボローファームで長い引退生活を送っていた。メイダン競馬場は2月18日、バランシーンの追悼レースとしてG2競走を施行し、そのレースを制したのはゴドルフィンのサマーロマンス(Summer Romance)だった。

By Kitty Trice

[Racing Post 2021年2月19日「Godolphin and Dettori's first British Classic winner Balanchine dies aged 30」]


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