2001年凱旋門賞優勝馬サキーが24歳で死亡(イギリス)[生産]
2001年凱旋門賞(G1)の優勝馬であり、シャドウェルのナナリースタッドの中心的存在だったサキー(24歳)は老衰のために倒れ、安楽死措置が取られた。
サキーはシャドウェルの自家生産馬として、米国で生まれた。父はハムダン殿下が所有したG1・2勝馬バーリ。リブルスデールS(G2)優勝馬サワキブの第3仔であり、兄弟にはリステッド競走を制した半姉ナシード(Nasheed)をはじめ7頭の勝馬がいる。
ジョン・ダンロップ厩舎に送られたサキーはノッティンガムの未勝利戦とサンダウンの条件戦を制し、優れた2歳馬であることを証明した。大きく成長して3歳シーズンを開始したサキーは、サンダウンクラシックトライアル(G3)とダンテS(G2)で優勝し、英ダービー(G1)を目指すことになった。
サキーは単勝5倍でビートホロー(Beat Hollow)に次ぐ2番人気で英ダービーに出走したが、残り2ハロン(約400m)でスパートを掛けたものの、最終的にシンダーの終盤での追い上げに反撃することができず2着に終わった。次走のエクリプスS(G1)でその雪辱を果たすことが期待されたが、3歳最後の出走となったこのレースで、ジャイアンツコーズウェイの4着にとどまった。
馬主がゴドルフィンに変わりサイード・ビン・スルール厩舎に転厩したサキーは、4歳になって競走を再開し、リステッド競走を楽勝した後、G1連勝を果たした。その1つ目の英インターナショナルS(G1)では7馬身差の勝利を達成したことで、自己最高のレーシングポストレーティング(RPR)135を記録した。
続く凱旋門賞でも同様に、それまで無敗だったアクアレリストに6馬身差をつけて、サガシティ、ゴラン(Golan)、ミラン(Milan)などの後続馬を引き離して優勝した(訳注:このときにサガシティに騎乗していたのは武豊騎手)。
その後関係者はBCクラシック(G1)に狙いを定めた。サキーはBCクラシックの慣れないダート馬場で激しいレースを繰り広げたが、ティズナウとの猛烈な戦いの末、鼻差で敗れた。このとき6着に入ったのは、ほかならぬガリレオだった。
サキーは5歳も現役を続け、ナドアルシバ競馬場のダートコースでキャリア8勝目を挙げた。
2003年に現役を引退しシャドウェルの種牡馬群に入り、初年度種付料2万ポンド(約300万円)で供用された。競走馬として達成した最高レベルには及ばなかったものの、14年間の種牡馬生活で13頭のステークス勝馬を送り出した。
そのリストのトップにくるのは、ジュライカップ(G1)優勝馬で種牡馬としても初年度から活躍したサキーズシークレット、世界各地で活躍したプレスヴィス、仏2000ギニー(G1)優勝馬ティンホースという3頭のG1馬である。
サキーは数頭のステークス勝馬のブルードメアサイアー(母父)でもある。ブルードメアサイアーとして、イボアH(8月21日 ヨーク)に有力候補ハミッシュ(Hamish)を送り出す(訳注:ハミッシュは馬場状態を理由にイボアHを回避)。
2016年末に種牡馬生活を終えたサキーは、ナナリースタッドで引退生活を送っていた。
By James Thomas
(1ポンド=約150円)