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2021年08月05日  - No.29 - 5

バーナーディニ、蹄葉炎のために18歳で死亡(アメリカ)[生産]


 ダーレー・アメリカが所有するバーナーディニ(18歳)は7月30日、蹄葉炎の合併症により安楽死措置が取られた。これにより、米国クラシックを制して2006年最優秀3歳牡馬に輝いた同馬が種牡馬としての計り知れない可能性を存分に実現する道は、悲劇的に閉ざされた

 バーナーディニは、ダーレーがジョナベルファームを所有し始めた初期のころのモハメド殿下の自家生産馬である。2006年の目もくらむばかりの3歳シーズンに、プリークネスS(G1)優勝を含む6連勝を果たし、米国最優秀3歳牡馬に選出された。また、ワールドサラブレッドレースホースランキングで3歳馬の首位にも輝いた。

 トム・アルバートラニ調教師が管理したバーナーディニ(父エーピーインディ 母カララファエラ 母父クワイエットアメリカン)は、3歳の3月にデビュー2戦目のレース(ガルフストリーム)を約8馬身差で制して初勝利を挙げ、4月にはウィザーズS(G3 アケダクト)を制覇した。そしてその後、プリークネスSを制してモハメド殿下に米国三冠レースでの初勝利をもたらした。

 さらにその夏に、ジムダンディS(G2 サラトガ)とトラヴァーズS(G1 サラトガ)をそれぞれ9馬身差と7½馬身差で楽勝した。また、ジョッキークラブゴールドカップ(G1 ベルモントパーク)では古馬を相手に圧勝を果たす。そしてBCクラシック(G1 チャーチルダウンズ)でインヴァソールの2着となり競走生活を終えた。

 バーナーディニのステークス勝利はすべて、ハビエル・カスティリャーノ騎手とのコンビで達成された。

 バーナーディニは、最近の記憶では最も期待された種牡馬の1頭として、2007年種付シーズンにジョナベルファームで種牡馬入りした。2010年のフレッシュマンサイアーの中では、産駒獲得賞金で3位となったが、ブラックタイプ勝馬数では4頭でトップに立った。それらはエージーウォリアー(A Z Warrior)、ビオンデッティ(Biondetti)、トゥオナーアンドサーブ(To Honor and Serve)、ティスケンスセオリー(Theysken's Theory)で、すべて重賞勝馬だった。初年度産駒からは2歳G1馬のエージーウォリアー(フリゼットS優勝)とビオンデッティ(伊グランクリテリウム優勝)に加えて、2頭のG1馬が出てきた。それは、トラヴァーズSとシガーマイル(G1 2012年)を制したステイサースティと、ウッドワードS(G1)とシガーマイル(2011年)を制したトゥオナーアンドサーブである。

 ステイサースティの活躍がバーナーディニをセカンドクロップサイアーズランキング(産駒獲得賞金別)のトップに押し上げるのに寄与し、その後、ゴドルフィンの自家生産馬でトラヴァーズSとウッドワードSの優勝馬アルファの活躍により、バーナーディニはサードクロップサイアーズランキングでも首位に輝いた。またブラックタイプ勝馬数でも14頭でトップとなった。

 バーナーディニがその後送り出した北半球の産駒の中には、ボビー・フレイ氏所有のヒューマナディスタフS(G1)優勝馬デイムドロシー、シャドウェルの自家生産馬でボズバーグS(G1)優勝馬タカフル、ストーンストリート牧場のG1馬であるカヴォーティングと自家生産馬レイチェルズヴァレンティーナ[母は名牝レイチェルアレクサンドラ(父メダグリアドロ)]などが含まれる。

 バーナーディニは2008年~2015年の8シーズン、豪州にシャトルされ、ボバン、ルードアウェイクニング、ゴーインディゴーなどの勝馬を送り出した。ジョナベルファームのデータによると、世界全体ではブラックタイプ勝馬80頭、重賞馬48頭、G1馬15頭を送り出している。

 バーナーディニは近年、記録破りのブルードメアサイアー(母父)として名声を得ている。2021年5月には、ブルードメアサイアーとしてブラックタイプ勝馬を50頭送り出した史上最年少の種牡馬になった。現在、北米ブルードメアサイアーズランキングでトップ10に入っており、バーナーディニ牝馬の仔の獲得賞金は880万ドル(約9億6,800万円)以上で、アーニング・インデックスは1.58である。

 現在バーナーディニはブルードメアサイアーとして、ブラックタイプ勝馬54頭、重賞勝馬32頭、G1馬11頭(マックスフィールド、カトリックボーイ、セレンゲティエンプレス、ダンバーロード、カーネルリアム、パリスライツなど)を送り出している。

 バーナーディニはジョナベルファームに在籍した15年もの間、担当厩務員フィリップ・ハンプトン氏により世話されていた。

 ゴドルフィンUSAの牧場運営部長であるマイケル・バナハン氏はこう語った。「バーナーディニは類まれな存在でした。生まれたときから優秀であることが滲み出ていました。その年に生まれた仔馬の中で一番で、最高の1歳馬、そして最高の競走馬となりました。彼はすぐれた才能もさることながら、すてきな性格も持っていたのですよ。牧場のだれもが彼がいなくなって寂しく思うでしょうが、とりわけこの15年間彼を担当したフィリップ・ハンプトンは悲しみに暮れているでしょう。このクラシック競走を制した種牡馬をここで供用できて光栄に思います。彼は今後もブルードメアサイアーとしてレガシーを継続させるでしょう」。

 アルバートラニ調教師はこう語った。「バーナーディニはとても威厳のある馬でした。才能にあふれ、私がこれまで関わった中で最高の馬の1頭でした。彼を管理するチャンスが得られたことは、とても幸運だったと思います。彼はスターでした」。

 ゴドルフィンUSAのジミー・ベル会長は、「バーナーディニはモハメド殿下にとって初めての三冠競走の勝馬となりました。しかも自家生産馬です。さらにはリーディングサイアーにもなったのです。彼を迎えることができて光栄でした。美しい馬で、愛らしい性格の持ち主でした。私たちのもとに、彼のレガシーを継続させる多くのバーナーディニ牝馬がいることは大変幸運です」と語った。

By Blood-Horse Staff

(1ドル=約110円)

[bloodhorse.com 2021年7月30日「Bernardini Succumbs to Laminitis at Age 18」]


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