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2021年06月03日  - No.20 - 2

スノーフェアリーの仔ジョンリーパーはダービーで健闘できるか?(イギリス)[その他]


 ダービーを初制覇できるかもしれないということは52歳のエド・ダンロップ調教師にとってたまらなく魅力的なものであるが、その夢の雄大さを隠すために、通常それは控えめな口調で語られる。世界最高峰のクラシックレースの制覇に、人生を変えて停滞していたキャリアを復活させるほどのパワーがあるとは言え、あまり夢中にならないほうがいい。

 一方で9歳の小学生は、慎重さや自制について考えても精神を煩わせることはほとんどない。人生はもっとシンプルなものであり、1970年代後半に成功した調教師の息子にとってダービー制覇は慎重な展望というよりも子どもの頃の何にもとらわれない喜びだった。

 たしかにエド・ダンロップにとって、シャーリーハイツが1978年英ダービーで内埒沿いを滑り込んできて最後の数完歩でハワイアンサウンドを差し切り父ジョンのために勝利を決めた光景は、種牡馬としての評価や血統の将来性といった理由はともかく、大きな喜びの源となった。

 その喜ばしい記憶は今でも薄れておらず、エド・ダンロップは当時をこう説明した。「ヴィンセントの息子であるチャールズ・オブライエンと一緒にサニングデールスクールに通っていたのですが、彼らはいつもダービーで勝つように思えました。幸運なことに、オブライエン家がダービーを制覇すると学校中にケーキとアイスクリームが振る舞われるという伝統がありました。だからもちろんシャーリーハイツが優勝したときは、校長室のテレビでそれを見ていたのですが、私は興奮と期待を胸に抱いてすぐに電話しました。すると気さくなママとパパのおかげで、学校中にケーキとアイスクリームが振る舞われました。初めて競馬の栄光の瞬間を手にすることができたというわけです」。

 「グレヴィル・スターキーはなんて見事な騎乗をしたことでしょう。競馬場へ向かう途中に渋滞がひどくて、最後のほうは車を降りて走らなければならなかったと父が話していたのを覚えています。大観衆が詰めかけ携帯電話がなかった時代の話です」。

 もちろん父親がダービーを2勝していれば、それは重宝するだろう。「1994年のエルハーブの優勝は現地で見ました。ウィリー・カーソンはなんと素晴らしい騎乗をしたのでしょう。信じられないような日でした」。しかし往年のこのレースはラグランジュステーブルの名伯楽に、選択肢がありすぎる人々や今時の調教師でさえもあまり抱いたことのない感情を、明らかに呼び起こしている。

 「ダービーを勝つことはいつも素晴らしいものだったのですが、若い調教師たちがダービー制覇をキャリアの頂点として語らなくなったことにショックを受けています」と彼は語り、古き良き体制を代表して傷ついているように見えた。

 「おそらく今では人々の見方が変わってきているのでしょうが、英国の平地競走の調教師にとって最も素晴らしいことはダービー制覇だといつも信じてきました。これまで5着に入ることができたのが3回だけですが、それでもダービーは多くの調教師にとって勝ちたいレースなのです。他にどのような変化があっても、ダービーは象徴的なレースであり、世界中が注目する数少ないレースの1つであり続けています」。

 「最近では困ったことにダービーにも出走できるように生産された馬を厩舎に持つ人がかなり少なくなっているのではないでしょうか。だからこそ世間の関心は薄れ、人々はジョンリーパーについて話したがっているのではないでしょうか」。

 これまでの経緯を見逃した人もいるかもしれないが、ジョンリーパーとは学生時代の情熱がまったく薄れていないイートン校出身のエド・ダンロップが現在ダービーに出走させようとしている、光り輝く濃い鹿毛の印象的な牡馬のことである。クールモアがダービー9勝目を目指していつものように出走馬をふるいにかけて選別しているあいだ、ダンロップは近年の傾向や血統のトレンドに逆らおうと、ニューマーケットのフォーダムロードでたった1頭の希望の星を静かに仕上げているのだ。

 ジョンリーパーの遺伝的な卓越性は完璧ではないということは決してない。彼が"王者らしく生産された"と言うことは、その血統をかなり過小評価していることになるだろう。調教師が指摘するように、ジョンリーパーの父はフランケル、母はスノーフェアリーである。「母スノーフェアリーは私たちのもとで英オークス(G1)を制した2010年最優秀3歳牝馬で、世界中でG1・6勝を達成しました。父フランケルは10ハロン(約2000m)までの距離で活躍してワールドサラブレッドランキングで首位に立ちました。ですから、ガリレオ産駒でなくてもダービーに十分向いています」。そして、ロマンチックな競馬ファンの心を揺さぶるようなストーリーもある。

 ジョンリーパーは、50年以上にわたるキャリアで英国のクラシック競走を10勝し、後進としてエドとその弟のハリーを育てた、前述のウェストサセックスの偉大な調教師、故ジョン-リーパー・ダンロップにちなんで名付けられた。"リーパー"は古くから家族に伝わる呼称で、グーグル検索したところ "かご職人"を意味する職業由来のミドルネームである。しかし、ジョン-リーパー・ダンロップが収入を補うためにアランデルのキャッスルステーブルでかごを作っていたかどうかという記録は残されていない。

 「ハリーはリーパーと呼ばれ、私もリーパーと呼ばれ(正確にはエドワード・アレクサンダー・リーパー)、亡くなった兄のティムもリーパーと呼ばれていました」とエドは時の流れの中で失われた風変りな習慣を説明するのに困り肩をすくめた。「子どもたちにはこの名前をつけていません(彼には3人の娘がいる)。おしとやかだとは思えませんでしたから。私は学校ではいつも"リーパー"と呼ばれていて、明らかにマイナス面はあったのですが、人々はこの名前に魅了されていてこの馬にも心を奪われているのです」。

 それではラグランジュとダンロップのかつての拠点であるゲインズボローステーブルで管理された多数の馬の中で、2018年4月28日にアイリッシュナショナルスタッドで誕生したこの大きくて脚の長い若馬に"ジョンリーパー"の名前が与えられたのはなぜだろうか?

 その答えは、クリスティーナ・パティノ夫人として知られるドニャ・マリア・クリスティーナ・パティノ・イ・ボルボンにある。馬主として有名な彼女の一族は、ボリビアの錫で財をなしたことで大富豪となった。2010年英オークス優勝馬スノーフェアリーもパティノ夫人の黄色と赤の勝負服を背負いアナモイン社の名義で出走したが、彼女はそれよりもずっと昔、ダンロップ父がジョンリーパーの3代母のファンタジーガール(Fantasy Girl)や4代母のペルシアンファンタジー(Persian Fantasy)を管理した時代から馬を所有している。

 エドはこう説明した。「パティノ夫人は、いつも父に馬を預託していて家族ぐるみの大切な友人になりました。彼女は以前頻繁に訪れてきて、とても親切にしてくれ、クリスマスにはいつもプレゼントを贈ってくれました。彼女がラッキーゲスト(Lucky Guest)、ビッグバッドボブ(Big Bad Bob)、イルーシブピンパーネル(Elusive Pimpernel)などを所有していた頃、私たちはとても親しくしていました。そして彼女は今でもとても素晴らしいオーナーで、馬を愛し大成功を収めていますが、潔い負け方をする人でもあります」。

 「父が亡くなった後(2018年7月)、彼女はスノーフェアリーの仔に父の名前を付けることを母から認めてもらいました。これは私たち全員にとってとてもワクワクさせられると同時に感動的なことなのです」。

 「父はとても当惑していると思いますが、そのうちやってきてそのことを面白がり私にダービーの前には何をしてはいけないとか命令するかもしれません。これは素晴らしいストーリーですが、おとぎ話のような結末を迎えることはそんなにないですよね」。

 エド・ダンロップはこれまでの人生で、英国とアイルランドのオークスを制してBCフィリー&メアターフ(G1)を2勝した名牝ウィジャボードをはじめ、さまざまなおとぎ話を経験してきた。しかし彼は、ウィジャボード、スノーフェアリー、レッドカドーのどの馬にも永久保証がついていないことに気づいた。

 彼はまったく威張ることなくこう語った。「それ以来、私たちは荒野をさまよっていると言ってもいいでしょう。レッドヴァードンは私たちにとって世界中で活躍して賞金70万ポンド(約1億850万円)を獲得した超優良馬でしたが、今では8歳になります。他の調教師と同様に、私たちの名前を再び輝かせてくれる次の馬を探しています」。

 調教場ではフレッチャー・"フレッチ"・ヤーハムが、その光がどこからやって来るのかをほぼ確信している。彼は毎日ジョンリーパーに騎乗しており、2歳時の唯一の出走レース(ドンカスター 約1400m)で4着になったこの馬が、大きな殻から抜け出してクラシック世代の中でも何か特別な輝きを持ったより充実したメンバーへと成長していくのを感じてきた。

 23歳の彼は目を輝かせてこう語った。「今ではすっかり戦車のようになっています。2歳のときは、体高が少し高すぎて脚がひょろ長かったのですが、今は美しい馬でとても幸せそうですし、自分に合った良いルーティンをこなしています」。

 「大きな牡駒なので調教を緩めるとすぐに精彩を欠いて太ってしまうと思います。冬の間は手が掛かりますし少し子どもっぽいところもありますが、今では仕事に専念できていて、本当に紳士的になり、落ち着いていて、健全な心を持っています。ただ一生懸命に仕事に取り組んでいます」。

 「このリズムを保ったまま本番を迎えることができれば、彼にはチャンスがあるでしょう。彼の経験不足についてはあまり心配していませんし、それが決定的要因になるとは思いません」。

 この点について調教師はあまり自信がないようだ。ジョンリーパーはデビュー戦で4着となってからは2戦しかしておらず、4月に平凡なクラス5のノヴィス競走(ニューキャッスル)でホリー・ドイルを背に圧勝した後、フェアウェイS(L ニューマーケット)でウィリアム・ビュイックから次の段階の教育を受けるが、ジョンリーパーは優秀な成績で合格する前に練習帳を汚してしまう恐れがあったようだ。

 ヤーハムは「ともに鞭を入れられたのは初めてでしたが、すぐに走り出したのは良い兆しでした」と述べたが、調教師は注意を促した。「彼は未熟でまだ子どもっぽいところがあります。フランケル産駒に期待されるように急速に成長していますが、彼はまだこれからです」。

 「ニューマーケットのレースはちょっとした茶番で、とても遅いペースの中、ジョンリーパーは後方で激しくハミに逆らっていましたが、ウィリアムは彼と折り合うことで見事に何かを教え、残り3ハロンとディップをそのように進んで行きました。人々がちゃんと見ていなかったのは、その後もかなり逆らい続けていたことです」。

 「ごく率直に言うなら、彼はチャンスのある素晴らしい馬ですが、現時点ではそれ以上ではありません。問題は、彼がエプソムダービーのプレッシャーに対応できるだけの学習能力を、迅速に身につけられるかどうかです。それは時間が教えてくれるでしょう」。

By Peter Thomas

(1ポンド=約155円)

[Racing Post 2021年5月31日「'It's very exciting and poignant - but I think Dad would be quite embarrassed'」]

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