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2021年03月18日  - No.10 - 2

アーリントンミリオン、今年はレース名を変更して施行(アメリカ)[開催・運営]


 1981年に史上初の総賞金100万ドルのサラブレッド競走として開催されたアーリントンミリオン(芝G1)は今年の8月14日、総賞金を60万ドル(約6,600万円)に引き下げ、"ミスターDステークス"として施行される。イリノイ州の残り3つのG1競走に、アーリントンパーク競馬場の元オーナー、リチャード・L・ダチョソワ氏とその家族にちなんだレース名が付けられることになったのだ。

 賞金引下げは意外なことではない。シカゴ郊外にある豪華なアーリントン競馬場は、ダチョソワ氏が旧グランドスタンドの廃墟から新たに建設したものである。この競馬場の現在のオーナーであるチャーチルダウンズ社(CDI)は、再開発のためにその競馬施設を売却するつもりであると発表している。競馬場経営陣とホースマンの間に生じた対立と新型コロナウイルス感染拡大を経て短縮された2020年のアーリントンの競馬開催日程において、ステークス競走は1つも施行されなかった。

 ステークス競走の番組変更により、セクレタリアトS(芝G1 3歳限定)はダチョソワ氏の亡き息子ブルース氏にちなんで"ブルースDステークス"として、総賞金30万ドル(約3,300万円)で施行される。以前は、アーリントンミリオンの前座レースが"ブルースDメモリアルS"として施行され、ブルース氏に敬意が表されていた。一方、ダチョソワ氏の亡き夫人にちなんだレース名で長年親しまれてきたビヴァリーDステークス(芝G1 牝馬限定戦)は、総賞金40万ドル(約4,400万円)で施行される。

 ちなみに2019年には、セクレタリアトSは総賞金50万ドル(約5,500万円)、ビヴァリーDステークスは総賞金60万ドル(約6,600万円)で施行されていた。

 アーリントン競馬場のトニー・ペトリロ会長は、「これらのレース名変更は、ダチョソワ家に敬意を表するため、ダチョソワ氏が100歳の誕生日を迎える10月7日の少し前のタイミングを見計らって計画されました」と述べた。そして、「アーリントン競馬場がイリノイ州の競馬にとって重要であるように、ダチョソワ氏は同競馬場にとって重要な存在です。同氏のアーリントン競馬場への積極的関与と献身がなければ、イリノイ州に我々が今日親しんでいるような競馬は存在していなかったでしょう」と語った。

 ペトリロ会長はアーリントンの夏のステークス競走日程の残りは、3月中に発表されるだろうと述べた。アーリントン競馬場は4月30日にオープンするが、それは広く"最後のシーズンになる"と考えられている。

 旧アーリントンミリオンの賞金削減は、かの総賞金100万ドルを誇った歴史あるレースの終焉を意味する。それは、1981年の第1回目の開催で、ジョンヘンリーがザバートを最後の一完歩で凌ぎ、劇的な勝利を収めることで始まった。この有名な決勝線のシーンは、アーリントンの木陰のパドックに突然姿を現す等身大のブロンズ像に永遠にとどめられている。

 アーリントンの旧グランドスタンドは1985年のアーリントンミリオンのわずか3週間前に火災で崩壊した。その年のアーリントンミリオンはテントの仮設スタンドの下、農業見本市のような雰囲気の中でどうにか施行されたことで"ミラクルミリオン"と呼ばれ、英国のダービー卿の所有馬テレプロンプターが優勝した。

 アーリントン競馬場はそのときの努力により、競馬場として初めてエクリプス賞を受賞した。

 アーリントンミリオンは長年にわたりアメリカ大陸からもヨーロッパからも芝を得意とするトップホースを引き付けてきたことで、国際競走を発展させるのに大きな影響をもたらした。

 短い間だが、3つのG1競走はまとめて"国際競馬フェスティバル"と呼ばれ、これらのレースと凱旋門賞ウィークエンドで活躍した馬にボーナスを提供していた。

 アーリントンミリオンは、BCターフ(G1)の出走権獲得レースの役目も果たしてきた。また、同レースの優勝馬にはジャパンカップ(G1)出走でボーナスを受け取る資格が与えられる。

By Bob Kieckhefer

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