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2020年12月10日  - No.48 - 1

マラドーナと競馬の関係(アルゼンチン)[その他]


 11月下旬に死去した伝説的なサッカー選手、ディエゴ・マラドーナは熱狂的な競馬ファンとしても有名で、アルゼンチンで勝馬18頭を所有し、その中にはG1馬もいた。

 多くの人々に欠点のある天才と思われていた史上最高のサッカー選手、マラドーナは11月25日に心不全のために60歳で死去した。彼の故郷アルゼンチンは3日間の服喪を宣言した。

 世界各地で追悼の意を表した数千もの人々の中には、現役の世界最多勝ジョッキーであるブラジル人のホルヘ・リカルド騎手もいた。20年近くブエノスアイレスを拠点とする"リカルジーニョ"ことリカルド騎手は、「本日、熟達した技術で任務を遂行した偉大なアスリートが旅立ちました。神と共に歩んでください。ディエゴ・マラドーナ」とツイートした。

 栄光のキャリアが終盤に入っていた1990年代に、マラドーナは故郷アルゼンチンに帰った。そして、最愛のFCボカジュニアーズ(ブエノスアイレス)の有名なホームグラウンドにちなんで名付けた"ラ・ボンボネーラ・スタッド"の旗の下で一連の馬を出走させ、子供の頃から抱いていた馬への情熱を満たしていた。

 マラドーナは友人でアルゼンチンの一流オーナーブリーダーのエクトル・デル・ピアノ(Hector Del Piano)氏により誘われて、馬主になった。そのブルーとイエローの勝負服もまた、ボカジュニアーズのチームカラーにちなんだものだ。

 マラドーナが所有した中で最も優秀な馬は、そのニックネームが名付けられた牡馬ディエゴルで、6勝を果たしている。パレルモ競馬場で5勝し、1997年11月にラプラータ競馬場のホアキンVゴンザレス大賞(G1)で優勝した。ディエゴルを管理したのは、ホルヘ・マジャンスキー・ネール(Jorge Mayansky Neer)調教師。同馬の母ダルマネレア(Dalma Nerea)は、マラドーナがデル・ピアノ氏と共同で所有していた。

 マラドーナは、個人的に思い入れのあるサッカーつながりの名前を馬に付けて楽しんでいた。「カニ(Cani)」は、アルゼンチンでの派手なチームメイト、クラウディオ・カニーヒアにちなんで名付けられた(二人は親友同士で、一度ゴールを決めたときに唇にキスをして祝ったことがある)。「ノブ(Nob)」は、ロザリオを拠点とするニューウェルズ・オールドボーイズ(Newell's Old Boys)でプレーした時期にちなんで名付けられ、この馬も活躍した。「ギヨット(Guillote)」は自らのエージェントであるギレルモ・コッポラ(Guillermo Coppola)氏にちなんで名付けられた。

 もう1頭の優秀な所有馬はサンイシドロ競馬場で3勝し、4歳のときに売却されてドバイで競走したG3優勝馬ペルスアシボフィッツ(Persuasivo Fitz)である。

 後年、マラドーナは一時期ドバイに住み、アル・ワスルFCの監督をしばらく務めたときに、その姿がメイダン競馬場で見られていた。

 マラドーナが競馬場に現れるのは時々にすぎなかったが、1996年に3歳牡馬レフィナドトム(Refinado Tom)がパレルモ競馬場のGPナシオナル(ダート競走 アルゼンチンダービー)で優勝してアルゼンチン三冠を達成した時に、プレゼンター役としてトロフィーを授与した。

 この馬にはホルヘ・バルディビエソ騎手が騎乗していた。同騎手はマラドーナの馬に騎乗することもあり、マラドーナは一度「私の馬だったとしても私は騎乗できません。バルディに任せます」と述べていた。

 マラドーナがアルゼンチンで最初に所有馬を預けた調教師はイグナシオ・コレアス(Ignacio Correas)氏である。同調教師は元アルゼンチン調教馬ブループライズで2019年BCディスタフ(G1)を優勝するなど、米国で成功を収め続けている。

 ブループライズはアルゼンチンにおいてマジャンスキー・ネール調教師によって管理されていた。同調教師は馬を預かることでマラドーナと親しい関係になったが、2000年以降にマラドーナは競馬への関心を失っていった。

 マジャンスキー・ネール調教師はこう語った。「私は末っ子にマラドーナと同じく"ディエゴ"と名付けました。ミドルネームも一緒にして"ディエゴ・アルマンド"と名付けようとさえしていました。マラドーナはとても熱心で、彼がレースを見に来なかったときに彼の所有馬が勝つと、急いで電話したものです」。

 「ディエゴルがG1で勝った翌日に、彼は牧場でバーベキューをし、いつもように皆と大いにふざけ合っていました」。

By Nicholas Godfrey

[Thoroughbred Racing Commentary 2020年11月28日「The horseracing world of Diego Maradona」]

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