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2020年05月21日  - No.20 - 1

数々のG1馬を送り出したフォーティナイナーが35歳で死亡(アメリカ)[生産]


 日本軽種馬協会(JBBA)静内種馬場の遊佐繁基場長によれば、国際的な一流種牡馬フォーティナイナー(35歳)が5月18日に老衰で死んだ。同馬は競走馬時代、G1・4勝を果たし、1987年米国最優秀2歳牡馬に選出された。

 遊佐場長はツイッターで、フォーティナイナー(父ミスタープロスペクター)は5月11日に35歳の誕生日を迎え、ファンから多くの祝福メッセージが寄せられていたと述べた。そして「私たちは、彼を失いとても悲しんでいます。長年にわたるファンの皆様からの多大なサポートに感謝しています」と語った。

 フォーティナイナーはクレイボーンファーム(Claiborne Farm)の自家生産馬であり、ステークス勝馬ファイル(父トムロルフ)を母とする。2歳シーズンにサンフォードS(G2)、フューチュリティS(G1)、シャンペンS(G1)、ブリーダーズフューチュリティ(G2)を制して6戦5勝を達成し、米国最優秀2歳牡馬に選ばれた。

 続く3歳シーズンでも好調を保ち、ファウンテンオブユースS(G2)で優勝し、フロリダダービー(G1)でブライアンズタイムの首差の2着、ケンタッキーダービー(G1)でウィニングカラーズの2着となった。そして、モンマスパーク競馬場のハスケル招待S(G1 約1600m)でジュリー・クローン騎手を背に優勝し、コースレコード1分33秒8を打ち立てた。また、トラヴァースS(G1)とNYRAマイルH(現シガーマイルH)を制し、BCクラシック(G1)で4着となりその競走生活を終えた

 フォーティナイナーは1989年にクレイボーンスタッドで種牡馬入りした。そして1992年には、初年度産駒からタクティカルアドヴァンテージ(Tactical Advantage)やダルハート(Dalhart)などの重賞馬を送り出し、北米リーディングフレッシュマンサイアーとなった。また、1993年にはステークス勝馬4頭を送り出し、産駒獲得賞金が191万4,505ドル(約2億1,060万円)となり、セカンドクロップサイアーとしても優秀な成績を収めた。さらにサードクロップサイアーとしてはステークス勝馬7頭を送り出し、産駒は320万ドル(約3億5,200万円)を獲得した。

 1994年に産駒のナインキーズ(Nine Keys)がアップルブロッサムH(G1)を制してG1馬となった。しかしフォーティナイナーは、G1勝馬をそれほど多くは送り出せず、1995年に1,000万ドル(約11億円)で購買され、JBBA静内種馬場で供用された。輸出された種牡馬にありがちだが、フォーティナイナーが旅立った後の1996年に最高傑作とも言える産駒が登場した。それは、ベルモントS(G1)優勝馬エディターズノート(Editor's Note)とNYRAマイルH(G1)優勝馬ゴールドフィーバー(Gold Fever)である。

 フォーティナイナーは種牡馬生活において、ブラックタイプ勝馬を56頭(全産駒の6%)、ブラックタイプ3着内馬を50頭送り出した。また、北米G1馬エディターズノート、コロナドズクエスト、エクトンパーク(Ecton Park)、ナインキーズ、マーリーヴェイル(Marley Vale)、ゴールドフィーバーを含む重賞馬26頭の父でもある。日本で供用されてからは、日本・ドバイ・米国でステークス競走を制して500万ドル(約5億5,000万円)近くの賞金を獲得したユートピアを送り出した。

 フォーティナイナーの影響力は、優良種牡馬となった産駒ディストーテッドヒューマーやロアー(Roar)、そしてこれらの馬の産駒を通じて血統に受け継がれていくだろう。北米では今年、ディストーテッドヒューマー産駒24頭が種牡馬として活動している。その中には、アルターネーション(Alternation)、ブレスレン(Brethren)、ジミークリード(Jimmy Creed)、コーザン(Khozan)、マクリーンズミュージック(Maclean's Music)が含まれる。

 フォーティナイナーは、同じく日本で供用された米国重賞馬エンドスウィープの父でもある。また、2007年日本年度代表馬のアドマイヤムーンと最優秀4歳以上牝馬のスイープトウショウも送り出している。

By Eric Mitchell

(1ドル=約110円)

[bloodhorse.com 2020年5月18日[Champion, International Sire Forty Niner Dies at 35]]

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