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2019年11月28日  - No.46 - 1

コーリー・ナカタニ騎手、怪我からの復帰が叶わず現役引退(アメリカ)[その他]


 通算3,909勝を挙げ、賞金2億3,400万ドル(約257億4,000万円)以上を獲得したベテランジョッキーのコーリー・ナカタニ騎手(Corey Nakatani 49歳)は、11月23日付のニュースリリースで現役引退を発表した。同騎手は、2018年8月4日にデルマー競馬場の最終レースで落馬して重傷を負い、復帰を目指していたものの、最終的に騎手生活に終止符を打たざるを得なかった。

 デルマーでの落馬は、騎乗馬アイリッシュスプリング(Irish Spring)が他馬に妨害を受け、前肢が前の馬の後肢と引っ掛かってしまい、ナカタニ騎手を振り落したことで生じた。これにより、同騎手は第9~10胸椎骨を圧迫骨折し、第5~7頚椎骨に椎間板ヘルニアを発症して、脊髄は圧迫された。

 息子でエージェントのマット・ナカタニ氏が配布したリリースにおいて、ナカタニ騎手はこう述べている。「このような形でキャリアが終わるとは想像していませんでしたが、自らの功績をとても誇りに思っています。非常に高いレベルで戦ったと自負していますので、満足しています」。

 カリフォルニア州コビーナ出身のナカタニ騎手は、高校時代にアマチュアレスリングのチャンピオンとなり、10代で競馬に興味を持つようになった。1989年以降の南カリフォルニアのサーキットの開催において、同騎手は騎手ランキングを駆け上り、リーディングタイトルを10回獲得した。

 ナカタニ騎手はブリーダーズカップ開催で通算10勝を挙げた。2012年にタピザー(Tapizar)でBCダートマイル(G1)を制したほか、BCスプリント(G1)を4勝、BCジュベナイルフィリーズ(G1)を2勝、BCディスタフ(G1)、BCマイル(芝G1)、BCターフスプリント(芝G1)を1回ずつ制している。

 通算でG1・120勝を含む重賞341勝を挙げた同騎手はカリフォルニアで最も多くの勝利を挙げているものの、他の地域でもビッグレースを制している。それには、ケンタッキーオークス(G1)2勝、ドバイゴールデンシャヒーン(G1)優勝が含まれる。

 三冠競走優勝は叶わなかった。ケンタッキーダービー(G1)は18戦0勝で、2011年にネーロ(Nehro)に騎乗して2着になったのが最上位である。

 トップクラスの騎乗馬には、ラヴァマン(Lava Man)、サンドピット(Sandpit)、マイミスオーレリア(My Miss Aurelia)、セレナズソング(Serena's Song)、ライトライト(Lite Light)、シェアードビリーフ(Shared Belief)などがいる[訳注:ナカタニ騎手は2005年ジャパンカップダート(G1)にラヴァマンで参戦したが、カネヒキリの11着に敗れている]。

 同騎手はこう述べている。「長い騎手生活において一緒に働いた多くの人々に心からお礼を言いたいと思います。それは、この素晴らしいキャリアにおいて私を支援してくれた馬主や調教師、そして多くの人々です。ファンにも感謝したいと思います。私のファンは本当に最高で、今でも応援してくれています」。

 ナカタニ騎手は、短気な性格が災いしたのか競馬殿堂入りを果たせなかった。しかし、殿堂入りできなかった騎手の中で最も称賛されている1人である。同騎手は1997年、レース後のクールダウンの最中にライアン・バーバー(Ryan Barber)見習騎手を馬から突き落としている。

 同騎手は獲得賞金額では、歴代ランキングの12位となっている。同騎手よりもランキングが上位の騎手はすべて殿堂入り騎手で、同騎手より下位の騎手のうち数人(ギャレット・ゴメス騎手、ラッセル・ベイズ騎手、ビクター・エスピノーザ騎手)も殿堂入りを果たしている。

 リリースによれば、ナカタニ騎手の偉業を称えるセレモニーは11月30日にデルマー競馬場のウィナーズサークルで行われる。デルマー競馬場はツイッターで、「コーリーがデルマーにその足跡を残したことは確かです。彼はここでステークス競走108勝を含む702勝を挙げ、数えきれないほどの思い出を残しました」と述べている。

By Byron King

(1ドル=約110円)

[bloodhorse.com 2019年11月23日「Nakatani Retires From Riding」]


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