魅力的な芦毛のホーリーブル、26歳で死亡(アメリカ)[生産]
ホーリーブル(Holy Bull)は1990年代前半に競馬ファンを魅了した。現役引退後にジョナベルファーム(Jonabell Farmレキシントン近郊)で種牡馬入りした後も、その人を引き付ける魅力は衰えなかった。
同ファームとゴドルフィンUSA社の会長を務めるジミー・ベル(Jimmy Bell)氏は、1994年に年度代表馬と最優秀3歳牡馬に輝いたホーリーブルについて"彼はあこがれの的でした"と語った。同馬は6月7日にジョナベルファームにおいて、老衰により安楽死措置が取られた。26歳だった。
ベル氏はこう語った。「興味深い名前をもつ芦毛のホーリーブルが魅力的だったのは、その馬体の色によるところが大きかったのかもしれません。しかし、もっと重要なのは、ジミー・クロール(Jimmy Croll)調教師、オーナーブリーダーのレイチェル・カーペンター(Rachel Carpenter)氏、そしてマイク・スミス(Mike Smith)騎手との密接なつながりです。ホーリーブルはいつも健闘しました。本当に素晴らしい馬でした」。
米国の老舗スーパーマーケットA&Pの女性相続人カーペンター氏は、クロール調教師と長年の友人であった。1957年に初めて購買した競走馬から、すべてクロール調教師が管理した。1993年8月、カーペンター氏はがん闘病の末78歳で亡くなった。それはホーリーブルがモンマスパーク競馬場でデビューする前夜だった。カーペンター氏は遺言により、"ザ・ブル"として親しまれていたホーリーブルをはじめ、全所有馬を当時74歳のクロール調教師に託した。
がっしりとした馬体のホーリーブル(父グレートアバヴ、母シャロンブラウン、母父アルハタブ)は、カーペンター氏が25年近く繁殖牝馬を送っていたボニーヒース牧場(Bonnie Heath Farm フロリダ州オカラ)の皆から愛されていた。牧場オーナーのキム&ボニー・ヒース夫妻(Kim and Bonnie Heath III)によれば、同馬はそこで育てられている間、その将来性やカリスマ性を隠すことはなかった。ホーリーブルを生産したキム・ヒース氏は、同馬は最初から馬体の大きさ故に人目を引いていたと述べた。育成牧場に入ったとき、同馬の頭は人間の脇に達しており、その性格で人々を魅了し続けた。
ボニー・ヒース氏はこう語った。「ザ・ブルが来るまでは、関わった馬の中で最も賢かったのはミスタープロスペクター(Mr. Prospector)だったと、ジミー(・クロール調教師)はよく言ったものです」。
ホーリーブルの馴致や調教も監督したキム・ヒース氏はこう語った。「この馬については常に人々を感動させる何かがありました。それが何かを正確に突き止めるのは難しく、私はそれを"魔法"と呼んでいます」。
ヒース夫妻はホーリーブルをクロール調教師の元に送ったとき、この牡駒が真の才能を秘めているかどうかが明らかになるまで、辛抱づよく待たなければならないと心得ていた。クロール調教師は口数が少なく、馬の将来についての考えを話し合うことはめったになかった。その代わり、クロール調教師が馬の能力をどうみているかを読み取るために、どのようなレースに出走させるかを見守らなければならなかったと、ヒース夫妻は述べた。
ところが、ホーリーブルのデビュー前にヒース夫妻に電話が掛かってきた。
キム・ヒース氏はこう回想した。「ジミーは "この馬はいい馬だ"と言い、私たちは茫然としました。彼はとても重要な発言を行ったのです」。
ホーリーブルは、デビュー戦でゲートからゴールまで逃げ切り、2着馬に2½馬身差をつけて優勝した。その後、フューチュリティS(G1)を制し、2歳シーズンは4戦4勝の無敗を貫いた。
"ザ・ブル"は3歳シーズンでトラヴァースS(G1)、ウッドウォードS(G1)、メトロポリタンH(G1)、ハスケル招待H(G1)、フロリダダービー(G1)のG1・5勝を含むステークス競走8勝を果たし、エクリプス賞の年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選出された。掲示板を逃したのは、重馬場で精彩を欠いたケンタッキーダービー(G1)と、6着に終わったファウンテンオブユースS(G2)の2回である。そして、1995年ドンH(G1)では怪我のために競走中止となった。
通算成績16戦13勝、獲得賞金248万1,760ドル(約2億7,299万円)で現役を引退したホーリーブルは、2001年に競馬の殿堂入りを果たした。
同馬は種牡馬生活において、重賞勝馬16頭を含むブラックタイプ勝馬48頭を送り出した。G1優勝産駒6頭の中には、ケンタッキーダービー優勝馬ジャコモ(Giacomo)や、現在優秀な種牡馬となっている最優秀2歳牡馬でBCジュヴェナイル(G1)優勝馬マッチョウノ(Macho Uno)、さらにはフラッシーブル(Flashy Bull)が含まれる。ホーリーブルのケンタッキーダービーでの雪辱を、ジャコモの勝利によって果たしたのは、マイク・スミス騎手だった。
ホーリーブルの出走産駒1頭当たりの平均獲得賞金は6万5,000ドル(約715万円)である。その種牡馬成績によれば出走産駒の74%は勝馬となっている。ブルードメアサイアー(母父)としては、ジュディザビューティ(Judy The Beauty)、マニングス(Munnings)、カイロプリンス(Cairo Prince)、無敗のG1馬カラヴァッジオ(Caravaggio)など、50頭以上のステークス勝馬を送り出して大きな影響力を誇っている。
長い年月を経ても、ホーリーブルは常に闘志あふれる態度を取っていた。
ベル氏はこう語った。「牧場を訪れる人々はいつもホーリーブルに会いたがりました。彼は放牧地に出てくると、自らを大きく見せました。それはあたかも、第1ラウンドに登場するヘビー級のプロボクサーのようでした。現役のときに競馬場に行くときは仕事一筋でした。私たちは彼にゲートとゴール板を教えるだけで良く、1400mから2000mまでの間の距離において上手く対応しました。そして中間のすべてのことは彼が対応しました。人々はホーリーブルを心を打つ馬として尊敬しました」。
ベル氏は、ジョナベルファームに埋葬される予定のホーリーブルは、この牧場の運営がダーレーに移管される期間においても、大きな尊敬を持って扱われたと述べた。
そして、「モハメド殿下は常にこのような馬に畏敬の念を抱いており、生産者や競馬ファンのためにもホーリーブルがこの牧場の一部であり続けることが重要だと感じています」と語った。
ホーリーブルは1995年に種牡馬入りしてから、ずっとフィリップ・ハンプトン(Phillip Hampton)厩務員にケアされていた。
ベル氏はこう付言した。「ホーリーブルは、とりわけフィリップなどの厩務員によってとても大切に世話されてきました。ホーリーブルはまさに素晴らしい競走馬でした。"戦士""決断""勇気"などの言葉なしに、この馬を語ることはできません」。
By Eric Mitchell
(1ドル=約110円)
[bloodhorse.com2017年6月8日「Farewell, Great One: Holy Bull Dead at 26」]