米国の二冠馬ハンセル、老衰のため死亡(アメリカ)[生産]
1991年にプリークネスS(G1)とベルモントS(G1)を制してその年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれたハンセル(Hansel 29歳)は、レイジーレーンファーム(Lazy Lane Farm バージニア州アッパービル)において老衰により安楽死措置が取られた。同馬は生存する中で最高齢の米国クラシック三冠競走優勝馬だった。
1988年にバージニア州でマーヴィン・リトル(Marvin Little Jr.)氏により生産されたハンセルは、1989年キーンランド9月1歳セール(Keeneland September yearling sale)において15万ドルでジョー・オールブリトン(Joe Allbritton)氏のレイジーレーンファームによって購買された。ハンセルは同ファームで馴致された後、シェリル・マロウ(Cheryl Mallow)氏の指導のもと、テキサス州のトゥークリークランチ(Two Creek Ranch)で調教を続けた。そして、アーリントン競馬場のフランク・ブラザーズ(Frank Brothers)調教師の厩舎に入り、2歳シーズンの6月にデビュー戦を勝利で飾った。
続いて、7月にトレモントS(G3 ベルモントパーク競馬場)で優勝し、サプリングS(G2 モンマスパーク競馬場)で3着、ホープフルS(G1 サラトガ競馬場)で2着となった。その後シカゴに戻り、2歳シーズンをアーリントンワシントンフューチュリティ(G2)での優勝で締めくくった。
ハンセルの3歳シーズンは、ガルフストリームパーク競馬場での2戦から始まった。ファウンテンオブユースS(G2)で5着、フロリダダービー(G1)で3着となった。その後北部に輸送され、その後ずっと主戦を務めることになるジェリー・ベイリー(Jerry Bailey)騎手を新たに鞍上に迎えて、ジムビームS(G2 ターフウェイパーク競馬場)をトラックレコードで制した。そしてキーンランド競馬場のレキシントンS(G2)で9馬身差の圧勝を収めたが、ケンタッキーダービー(G1)では1番人気に推されながらも10着に終わった。
ハンセルはプリークネスSで全力を尽くし、1マイル3/16(約1900m)を1分54秒05で駆け抜けて7馬身差の勝利を決めた。その勝ち時計は今でもこのレースの最速タイム10位内に入っている。 さらにハンセルは、ベルモントSでダービー馬ストライクザゴールド(Strike the Gold)を頭差で下し、三冠戦最優秀馬として100万ドルのボーナスを獲得した。
ハンセルはその後、ハスケル招待H(G1 モンマスパーク競馬場)で3着となり、トラヴァースS(G1)でコーポレートレポート(Corporate Report)の2着となったが、その際、腱を損傷して引退を余儀なくされた。獲得賞金は290万ドル(約3億1,900万円)以上に上った。引退後はケンタッキーのゲインズボロー牧場(Gainsborough Farm)、ニューヨーク州のクエストロイヤル牧場(Questroyal Farm)で供用された後、日本に渡った。
ハンセルは2005年にジョー・オールブリトン氏によって再購買され、レイジーレーンファームに戻って余生を過ごし、2012年に種牡馬を引退するまで毎年わずかな頭数に種付けした。産駒のうち5頭が重賞を制しており、その中にはフランスのG1優勝馬ラヴィングクレーム(Loving Claim)、重賞を何回も優勝して190万ドル(約2億900万円)以上の賞金を獲得したガイデッドツアー(Guided Tour)がいる。ブルードメアサイアーとしては、スウェールS(G2)優勝馬シャープユーモア(Sharp Humor)など重賞勝馬5頭を出している。
レイジーレーンファームのフランク・シップ(Frank Shipp)場長は、「ハンセルは才能豊かな競走馬であり、とても紳士的な馬でした。私たちやファンに沢山の思い出を残してくれました。本当に寂しくなるでしょう」。
By Blood-Horse Staff
(1ドル=約110円)
[bloodhorse.com 2017年6月13日「Champion Hansel Euthanized Due to Old Age」]