ブリテン調教師、今シーズン限りで引退(イギリス)[その他]
英国のクラシック競走を6勝し、国際的に活躍する調教師の先駆者であるクライヴ・ブリテン(Clive Brittain)氏は、今シーズン限りで調教師を引退する。
81歳のブリテン調教師は1972年に調教師免許を取得した。ニューマーケットで最も長く務める調教師の一人であり、数多くの栄誉を受けている。厩務員から身を立て、現代において最も熟練し、進んだ考えを持つ調教師となった。
ブリテン調教師は次のように語った。「今シーズン終了時に引退する予定です。長い間幸運に恵まれ、心行くまで楽しみました。素晴らしい調教師人生でしたが、ちょうど潮時だと思える時が来ました」。
「サイード・マナナ(Saeed Manana)氏、ジュマ殿下(Sheikh Juma)、ラシド殿下(Sheikh Rashid)など素晴らしい馬主の方々に、今年は1歳馬を預からないことをお知らせしておく方が良いと考えました。これで、彼らは他の調教師と調整できるでしょう」。
数十年にわたる成功
ブリテン調教師は管理馬に対する信頼が厚く、それは1978年にジュリオマリナー(Julio Mariner)がセントレジャーS(G1)を制してもたらしたクラシック初優勝に結びついた。その後、1984年にペブルス(Pebbles)が英1000ギニーで優勝し、1990年代の最盛期には、1991年にミスティコ(Mystiko)が英2000ギニー、1992年にユーザーフレンドリー(User Friendly)が英オークスとセントレジャーS、1993年にサイエダティ(Sayyedati)が英1000ギニーを制した。
ペブルスは1985年BCターフ(G1)で優勝し、ブリテン調教師はブリーダーズカップ競走を制した英国初の調教師となり、世界にその名を知られることとなった。その1年後、ジュピターアイランド(Jupiter Island)がジャパンカップ(G1)を制し、これも英国の厩舎として初めての快挙であった。
とはいえ、1986年ケンタッキーダービー(G1)に果敢に立ち向かい、ボールドアレンジメント(Bold Arrangement)が2着となった時ほど、ブリテン調教師の冒険心をよく表したことはないだろう。同調教師は、米国クラシック競走の勝利に最も近付いた欧州人調教師となった。
1974年にアヴェロフ(Averof)、1976年にラデツキー(Radetzky)がロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスS(G1)を優勝した。ブリテン調教師はロイヤルアスコット開催で通算18勝を挙げた。
また、アイルランドとイタリアにおいてもクラシック競走を制し、1996年と1997年にはルソー(Luso)で香港ヴァーズ連覇を記録した。一方、彼が特別な愛情を持つもう1頭の管理馬は、2003年と2004年にコロネーションカップ(G1)を制し、獲得賞金額が160万ポンド(約2億9,600万円)を超える多才なウォーサン(Warrsan)である。
ブリテン調教師は、牝馬と相性が良かった。エクリプスS(G1)、チャンピオンS(G1)を制したペブルスは彼のキャリアを逸話に満ちたものにし、2014年コロネーションS(G1)を制したリジーナ(Rizeena)は彼に最後のG1勝利をもたらした。
ブリテン調教師は次のように語った。「私のキャリアには、ペブルス、ユーザーフレンドリー、サイエダティ、クリンプリーン(Crimplene)、そしてもちろん、リジーナがいました。リジーナは残念ながらそれ以上勝つことができませんでしたが、私に再度G1を勝たせてくれました」。
ブリテン調教師は3年契約でペガサス調教場(Pegasus Stables)を借りて調教を始め、1975年からモーリーン夫人(Maureen)とともにカールバーグ調教場(Carlburg)で調教を行っている。2014年には競馬記者・カメラマン協会ダービー賞を受賞した。現在、調教場売却を計画している。9月3日午前、26人の厩舎スタッフにこの引退のニュースが伝えられた。
By Jon Lees
[Racing Post 2015年9月3日「Brittain to retire from training at end of season」]