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2011年02月17日  - No.7 - 3

名牝ミエスク、27歳で死去(アメリカ)[生産]


 2011年1月20日、輝かしい競走馬で繁殖牝馬としても成功を収めたフランスのスター牝馬ミエスク(Miesque)に哀悼の意が捧げられた。同馬は、ケンタッキー州のレーンズエンド牧場(Lane’s End Farm)において27歳で死んだ。

 ミエスクはG1競走を10勝し、史上初めてブリーダーズカップ(BCマイル)において2勝を果たした馬である。

 フランソワ・ブータン(Francois Boutin)調教師が馬主のスタヴロス・ニアルコス(Stavros Niarcos)氏のために管理していたミエスクは、ロンシャン競馬場で驚くべき差し脚を見せてミリグラム(Milligram)を捕え、マルセルブサック賞を2歳で優勝したことで一気に名を馳せた。この優勝により同馬の地位は、1986年国際格付け(1986 International Classification)においてレファレンスポイント(Reference Point)の4位となった。

 その素晴らしい差し脚は、同馬がニューマーケット競馬場での英国1000ギニー(G1)、ロンシャン競馬場でのフランス1000ギニー(G1)を優勝した頃から見慣れた光景となった。そして1947年以来、英仏の1000ギニー競走を制した初めての牝馬となった。その後、ミエスクはジャックルマロワ賞(G1)、ムーランドロンシャン賞(G1)、そしてハリウッドパーク競馬場のBCマイル(G1)を制した。

 4歳シーズンにおいて、ミエスクは、ジャックルマロワ賞とBCマイルをそれぞれ2連勝した初めての馬となった。同馬は、ケンタッキー州のチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCマイルで4馬身差で優勝を果たし、輝かしい栄光の中で引退した。

 ミエスクは牧場においても優秀であり、彼女の産駒には、一流マイル馬のキングマンボ(Kingmambo)、フランス1000ギニーとオークスを優勝したイーストオブザムーン(East Of The Moon)のほか、重賞やリステッド競走で好成績を残した他の3頭が含まれている。

 ニアルコス一族は声明において、「ミエスクは私たちの人生の一部です。彼女は特別な馬で私たちに大きな喜びをくれました」と述べた。

 かつてはミエスクの主戦騎手であり、現在はBCマイルを3連勝したゴルディコヴァ(Goldikova)の調教師であるフレディ・ヘッド(Freddie Head)氏は、次のように語った。「ミエスクは素晴らしく偉大な競走馬で、ものすごいスピードを持っていました。彼女は2歳のときも3歳のときも4歳のときもトップに君臨し、並外れた優秀さを持っていました」。

「またミエスクは非常に張り詰めた神経の持ち主でしたが、信じられないようなスピードを出す牝馬でした。私は彼女の最高の勝利の1つは英国ギニー競走優勝であり、もう1つはジャックルマロワ賞の勝利だと思っています」。

「ミエスクとゴルディコヴァを比べることは、両馬の間に25年の歳月があり、競馬も変化したので非常に難しいです」。

「私がゴルディコヴァに騎乗したことがないこともあり、比較することは難しいですが、おそらく2頭は同一レベルにあると思います」。

「ゴルディコヴァはミエスクよりもずっと扱い易く、競走生活の初期に過保護にされていました」。

「ミエスクに騎乗してG1を10勝したことと現在ゴルディコヴァを管理してG1を12勝しBCマイルで3連勝を果たしたことは素晴らしいことであり、信じられないことです。これは夢見ることも想像することもできないようなことです」。
 

ミエスクのG1優勝(すべてフレディ・ヘッド氏が騎乗)
19869 サラマンドル賞 ロンシャン競馬場
198610 マルセルブサック賞 ロンシャン競馬場
19875 英国1000ギニー ニューマーケット競馬場
19875 フランス1000ギニー ロンシャン競馬場
19878 ジャックルマロワ賞 ドーヴィル競馬場
19879 ムーランドロンシャン賞 ロンシャン競馬場
198711 BCマイル ハリウッドパーク競馬場
19885 イスパーン賞 ロンシャン競馬場
19888 ジャックルマロワ賞 ドーヴィル競馬場
198811 BCマイル チャーチルダウンズ競馬場


By David Carr

[Racing Post 2011年1月22日「Head pays glowing tribute as mighty Miesque dies at 27」]
 


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