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海外競馬ニュース
2011年05月19日  - No.20 - 2

サドラーズウェルズ死去(アイルランド)[生産]


 世界的なリーディング種牡馬サドラーズウェルズ(Sadler's Wells)は4月26日、1984年の現役引退後から繋養されていたアイルランドのクールモア牧場(Coolmore Stud)で老衰のために亡くなった。

 クールモア牧場のマネージャーであるクリスティ・グラシック(Christy Grassick)氏は、次のように語った。「サドラーズウェルズは間違いなく欧州一の種牡馬でした。同馬は、ガリレオ(Galileo)、モンジュー(Montjeu)、ハイシャパラル(High Chaparral)、イエーツ(Yeats)のような産駒だけではなく、ハリケーンラン(Hurricane Run)やリップヴァンウィンクル(Rip Van Winkle)のような孫を通じてクールモア牧場に素晴らしい遺産を遺しました。同馬の影響力は今後数年にわたって続くように思われます。私たちは全員、このような特別な馬と関わることができ幸せであると感じています」。

 サドラーズウェルズは2008年5月に生殖能力減退のため種牡馬生活から引退していた。

 サドラーズウェルズは1981年ケンタッキー州のロバート・サングスター(Robert Sangster)氏の所有するスウェッテンハム牧場(Swettenham Stud and Partners)で生産された。父はノーザンダンサー。サングスター氏の勝負服で走り、1984年の3歳シーズンにおいてアイルランド2000ギニー(G1)やコーラル・エクリプスS(G1)およびフェニックスチャンピオンS(G1)を制した。フランスでは、その年のフランスダービー(G1)で2着となり、チャンピオンマイラーとして名を馳せた。調教師はクールモア牧場のマネージャーでジョン・マグニア(John Magnier)氏の義理の父親であるヴィンセント・オブライエン(Vincent O’Brien)氏。

 サドラーズウェルズは英国と愛国で14回リーディング種牡馬の座につく輝かしい記録を打ち立てた。そのうち13回は連続で達成された(1992年〜2004年)。同馬は今まで323頭のステークス競走勝馬を送り出した。

 G1馬やチャンピオン馬を次から次へと送り出して欧州を支配したのに加え、サドラーズウェルズは北米でも名声を得た。同馬の産駒はブリーダーズカップで記録的な6勝を挙げ、その中にはハイシャパラルの2003年BCターフの優勝(1着同着)が含まれている。また、産駒はアーリントンミリオン(G1)を2回制している。産駒エルプラード(El Prado)は2002年にリーディング種牡馬となり、その後の2年間は連続で種牡馬ランキングの2位となった。

 母はフェアリーブリッジ(Fairy Bridge父ボールドリーズン)で、この母馬の半弟ヌレイエフ(Nureyev)もまたチャンピオン馬であり偉大な種牡馬であった。

By Blood-Horse Staff

[bloodhorse.com 2011年4月26日「Sadler's Wells Dies」]
 


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