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2009年05月14日  - No.19 - 3

ターナー騎手、落馬による頭部打撲のため1年間の差し止め(イギリス)[その他]


 2008年イギリスにおいて女性騎手で初めて年間100勝を挙げ全国的な名声を得たヘイリー・ターナー(Hayley Turner)騎手は4月14日、3月に受けた頭部打撲により、2010年3月まで騎乗できない見通しとなった。

 26歳のターナー騎手は、英国競馬統括機構(British Horseracing Authority: BHA)のメディカルアドバイザーであるマイケル・ターナー(Michael Turner)医師の診察を受けた。この診察は、ターナー騎手の健康状態を調べ、同騎手がニューマーケットでの競走中に落馬し意識を失った時に受けた検査 の結果を検討するためのものである。

 落馬事故から1年後の2010年3月まで騎乗できないというターナー医師の診断に、ターナー騎手は、「予期してはいましたが、ショックはとても大きく、悲しいです」と述べた。彼女はさらに医学的検査を受けて再検討を求めるつもりだ。

 ターナー騎手は次のように語った。「私は本日ターナー医師の診察を受けました。彼は、残念ながらBHAとしては頭部打撲により1年間騎乗停止とせざるをえないと言いました」と述べた。

「無事だったのは幸運でした。間違いなく復帰できると思っていますが、1年は長いですし、生活が一変します。騎乗に人生を賭けてきたので、きっとストレスが溜まるでしょう」。

「今回の決定に対し不服申し立てする道がありますが、6月に専門家と相談しますので、それを待って最終決定します」。

 2008年に年間ちょうど100勝し、今年すでに11勝していたターナー騎手は、フィル・マッケンティー(Phil McEntee)調教師の管理馬オールドサラム(Old Sarum)を発馬機に入れる際に落馬し負傷した。オールドサラムは突進し、発馬機に肩をぶつけ致命的な裂傷を負った。ターナー騎手はその際に地上に投げ 出され、病院に運ばれるまで気を失っていた。

 同騎手は後に、「事故当時に何が起きたか思い出せません。病院に見舞いに来てくれた同僚たちも瞬時には何が起こったのか分からなかったそうです。落馬により脳震盪が起きて鼻と耳から出血しました」と述べた。

 ターナー医師は次のように語った。「専門家の意見も求め、検査結果を注意深く検討したうえで、彼女の騎乗免許を事故のあった日から1年間差し止めるよう 勧告しました。ターナー騎手は脳震盪からは回復していますが、このようなケースにおいて絶対に安全という保障はありません」。

「彼女は定期的な医療検査を受けており、6月初めにアデンブルック病院(Addenbrook’s)の主治医と会う予定です。彼女は落胆していますが、私の診断を理解しています」。

 ターナー騎手が落馬事故に遭った開催には、騎手協会(Professional Jockey’s Association)のメディカルアドバイザーであるアンナ=ルイーズ・マッキノン(Anna-Louise Mackinnon)医師が立ち会っていた。マッキノン医師はBHAの決定を是認したが、同時にターナー騎手がなるべく早く騎乗を再開できるよう強く望ん でいる。

「現時点では、BHAの措置は全て適切です。今後2、3ヵ月は経過観察が必要です。これは、ターナー医師とBHAが、負傷騎手が再び騎乗する際の安全を確保するための措置です。彼らはルールどおりに適切に行動しています」。

「ヘイリー騎手は多くの専門家に会い、騎乗することに伴う長期的なリスクについて意見を聞いています。それも踏まえてお話しています」。

 ターナー騎手の2008年の記録は、マイケル・ベル(Michael Bell)調教師の管理馬で挙げた26勝、ファーニス(Furnace)、ザベッチワースキッド(The Betchworth Kid)およびバハミアンベイブ(Bahamian Babe)での優勝のような注目を浴びた勝利を含む。彼女はまた、10月のリステッド競走でバハラ(Baharah)を優勝に導いて、ジェラード・バト ラー(Gerard Butler)調教師と実りある勝利を享受した。

 騎乗差し止め期間中ターナー騎手はメディアを利用し、スポーツ界における自身の注目度を維持するつもりだ。

 ターナー騎手は、「言うまでもありませんが、私自身にとって重要なのは、これまでどおりに多忙な生活を続けることです。1ヵ月たった頃にできることなら 騎乗したいです。また、現在スポンサーと会合を持っており、スポンサーの側から企画が出てくるのを期待しています。ジョンノ・スペンス(Johnno Spence)氏も私が引き続き多忙であることを希望しています」と述べた。

 ラドブロークス社(Ladbrokes)、スカイベット社(Skybet)、コーラル社(Coral)およびブルースクエア社(Blue Square)は、ターナー騎手を対象とした特別馬券の全ての賭金を払い戻すだろう。

 

経歴

誕生: 1983年1月3日生まれ(ノッティンガム)

初騎乗:2000年3月27日サウスウェルズ州マーケリス競馬場のリットルウッズ
     ハンデキャップ

初優勝:2000年6月4日ポントフラクト競馬場の見習い騎手シリーズ(第2ラウンド)の
     ハンデキャップでジェネレート(Generate)に騎乗し初優勝。

初2重勝:2002年8月19日ブライトン競馬場でブルーストリーク(Blue Streak)と
     タイムレスチック(Timeless Chick)で優勝し達成。

ロイヤルアスコットでの初騎乗:2005年6月16日ヨーク州ロイヤルアスコット競馬場の
     ブリタニアハンデキャップにおいてオッズ101倍のスキッドロウ(Skidrow)で
     5着入線。
     彼女はその週、同競馬場で騎乗している唯一の女性騎手であった。

注目すべき成功:イギリスで初めて年間100勝を挙げた女性騎手である。
     2005年平地シーズンにおいて44勝し、サリーム・ゴラム(Saleem Golam)騎手
     とともに最優秀見習い騎手賞を受賞し、女性初の最優秀見習い騎手に輝いた。
     イギリスで負担重量の減量なしで騎乗した女性騎手としては、
     アレックス・グリーヴス(Alex Greaves)、エンマ・オゴーマン(Emma O’Gorman)、
     リサ・ジョーンズ(Lisa Jones)騎手に続いて4人目である。

勝利数:2000年:1勝、2001年:0勝、2002年:9勝、2003年:14勝、2004年:34勝、
     2005年:53勝、2006年:36勝、2007年:56勝、2008年:100勝、2009年:11勝

 


By Jon Lees and Graham Green[Racing Post 2009年4月15日「Hayley: I’m devastated」]


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