逆境を乗り越えたリーディング女性騎手(アメリカ)[その他]
運動選手は肉体を酷使することから、現役生活を20年以上続けられる者、とりわけ40代に達しても全盛期でいられる者は稀である。
ましてや女性選手が、度重なる負傷、生命にかかわる病気、2度の出産の後も、全盛期にいることはめったにない。タミー・ピエルマリーニ(Tammi Piermarini)騎手(40歳)はその稀有な例である。
ピエルマリーニ騎手はこれらの困難のすべてを乗り越え、2007年にサフォークダウンズ競馬場の最優秀騎手となり、同競馬場の70年余りの歴史において3人目である。
ピエルマリーニ騎手の夫によれば、さらに驚くべきことがその前年に起きていた。
1999年にピエルマリーニ騎手と結婚し、現在彼女のエージェントとなっているジョン・ピエルマリーニ(John Piermarini)氏は、「タミーは2006年9月に息子を出産した後、4週間そこそこでレースに復帰し、第1日目に4勝しました。彼女が克服してきたことはすべて信じ難いことばかりです。1998年は体調が大変悪く、体重は80ポンド(約36.3 kg)まで落ちました。困難に耐え、なおかつレースで好成績を挙げるのはすごいことです」と語った。
ピエルマリーニ騎手はマサチューセッツ州サリスベリーで育った。そして幼いときから馬を愛するようになった。馬の手入れ、引き運動、調教騎乗を学んだ後、将来騎手となることに目標を定めた。幸運なことに、サフォークダウンズ競馬場は女性騎手に騎乗機会を与えることに関してはアメリカで最も進歩的な競馬場の1つであった。ピエルマリーニ騎手は1985年、18歳の時に見習騎手免許を取得した。当時タミー・キャンベル(Tammi Campbell)の名前で騎乗していたピエルマリーニ騎手は、「私は騎手としての仕事をすぐにかなり上手に、そして適切にこなせるようになりました。私は初騎乗で勝ち、しかもその馬は初出走馬でした。アケダクト、ベルモント、ガルフストリームの各競馬場でもまた、初騎乗で勝ちました」と語った。
初年度に膝を骨折したにもかかわらず、同騎手は10年以上好成績を挙げた。しかし1994年、脊髄膜炎と診断されてから暗雲が垂れ込めた。それは激動の5年間の始まりだった。
ピエルマリーニ騎手は次のように当時を回想した。「災難は突如降りかかってきました。ある日私は騎乗中に突然頭痛に襲われ、第4競走までレースごとに体調が悪化していきました。かろうじて馬にまたがっている有様でしたが、ともかく勝鞍を挙げることができました。私は非常に衰弱し、ウィナーズ・サークルで下馬するのに人の助けが必要なほどでした。私は入院し、脊髄膜炎と診断されました」。
同騎手は5年間この病気と闘い、さまざまな病状を経験した。1998年には重度のうつ病と診断され、どん底の状態になった。彼女は食べるのも困難で、衰弱し、ほとんど瀕死の状態であった。
ピエルマリーニ騎手は当時を思い出し、「私の騎手人生は終わりつつあると思いましたし、実際にそうでした。私は死期が近いと告げられたからです。それはすべて脊髄膜炎のためで、3週間以上も入院していました」と語った。
しかし、彼女の病状は何とか快方に向かった。1999年にジョンに出会い、フルタイムの騎乗を再開し、レース生活に戻った。2001年、2人は第1子である娘のイザベラ(Izabella)を授かった。ピエルマリーニ騎手は翌年、レースに復帰し、サフォークダウンズ競馬場のランキングの上位に返り咲いた。しかし彼女の大躍進は2007年だった。40歳になる騎手が100勝を達成し、初めてタイトルをとった。
現在まで通算で1670勝し、1375万4488ドル(約15億1300万円)を収得しているピエルマリーニ騎手は、「私はとても興奮していますし、誇りに思っています。怪我や病気といったたくさんの不運に会いましたのでこの記録に満足しています。その上、大勢の男性騎手の中で、この記録を達成することができました。女性騎手は私とほかにもう1人しかおりません。いつまで騎手を続けるか別に決めていません。勝つことが好きですし、私の目標は2008年にもまた騎手タイトルをとることです」と語った。
By Jason Shandler
(1ドル=約110円)
[The Blood-Horse 2008年4月26日「Overcoming Adversity」]