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TOPページ > 海外競馬情報 > ケンタッキーダービー馬の種牡馬としての成績(アメリカ)【生産】
海外競馬情報
2013年06月20日  - No.6 - 2

ケンタッキーダービー馬の種牡馬としての成績(アメリカ)【生産】


 ケンタッキーダービーは米国競馬界の誰もが最も優勝を渇望するレースであり、ダービーを優勝すればその牡馬は潜在的な優良種牡馬として運命づけられる。しかし種牡馬としての成功は必ずしもその立派な競走成績に一致するものではなく、近年ダービー馬は種牡馬としての売り込みに苦戦している。

 この調査は、40年前の1973年三冠馬セクレタリアト(Secretariat)から始めたものである。産駒から5%のステークス勝馬を出すことが優良種牡馬の境界線と考えられており、1980年の牝馬ジェニュインリスク(Genuine Risk)を除く1973年〜1981年のダービー馬は、すべてこの基準に達した。すなわち、セクレタリアトのステークス勝馬57頭(8.7%)、キャノネイド(Cannonade)の27頭(5.2%)、フーリッシュプレジャー(Foolish Pleasure)の43頭(9.1%)、ボールドフォーブス(Bold Forbes)の29頭(6.3%)、シアトルスルー(Seattle Slew)の114頭(10.9%)、アファームド(Affirmed)の86頭(10.2%)、スペクタキュラービッド(Spectacular Bid)の44頭(5.8%)およびプレザントコロニー(Pleasant Colony)の77頭(12.4%)である。これらほぼ全てのダービー馬は、自身が素晴らしいスタミナ資質を持つことを証明した。

 1981年のプレザントコロニーに続く10年間のダービー馬は、種牡馬として苦戦を強いられた。1982年のガトデルソル(Gato Del Sol)のケンタッキーでの種牡馬生活は極めて不調であった。同馬は西ドイツに送られたが、後に引退名馬として余生を過ごすためにアーサー・ハンコック3世(Arthur Hancock III)のストーンファーム(Stone Farm)に戻ってきた。1983年のサニーズヘイロー(Sunny’s Halo)はステークス勝馬39頭(3.9%)を出し、ガトデルソルよりはマシな種牡馬であったが、流行遅れであると評価されテキサスで亡くなった。

 1985年のスペンドアバック(Spend a Buck)も人気が落ち、晩年をブラジルで過ごしたが、新しい遺伝子プールの中で種牡馬として再生し、現在アデナスプリングス牧場(Adena Springs)に繋養されているアインシュタイン(Einstein)や故ピコセントラル(Pico Central)などの優良馬を送り出した。最終統計ではスペンドアバックはステークス勝馬38頭(5.1%)を送り出した。1986年のファーディナンド(Ferdinand)は供用7年で低調な成績(ステークス勝馬8頭−2.0%)しか残せなかったため日本に売却され、より高く評価された後、そこで最期を迎えた。

 1987年のアリシーバ(Alysheba)もスタミナのある素晴らしい種牡馬で、ステークス勝馬18頭(4.5%)を送り出したが、商業的に成功しなかった。後にサウジアラビアに売却されたが、引退名馬としてケンタッキーに戻ってきた。種牡馬としては、胴の長い細身で10ハロン(2000m)を得意とする馬は好まれないことが鮮明になった。

 1989年のサンデーサイレンスはケンタッキーではほとんど人気がなく、日本で種牡馬入りした。そして、ステークス勝馬172頭(11.4%)を出す歴史的種牡馬となった。サンデーサイレンスが仮にケンタッキーで種牡馬入りしていれば、商業的に大失敗し輸出されていたことはほぼ確実であるが、それどころか同馬は完璧な父系を築き大いに繁栄した。

 一方1990年のアンブライドルド(Unbridled)は、14歳でクレイボーンファーム(Claiborne Farm)で早い死を迎えるまで順調に偉大な種牡馬の道を進み、ステークス勝馬49頭(8.7%)を送り出した。クラシックタイプであるにもかかわらず、現在テイラーメイドスタリオンズ(Taylor Made Stallions)に繋養されているアンブライドルズソング(Unbridled’s Song)や、まさかのダービー優勝を果たした初年度産駒グラインドストーン(Grindstone)を出し、そのことでクラシック種牡馬の真価を立証することができた。アンブライドルドの影響力はサイアーラインにおいてもブルードメアサイアーとしても強く、産駒の牝馬レディーリバティ(Lady Liberty)は今年のダービー馬オーブ(Orb)の母である。

 アンブライドルド以降、1990年代はケンタッキーダービー馬が種牡馬として苦難の時期を過ごした。1991年のストライクザゴールド(Strike the Gold)は4年供用された後にトルコに送られ、そこでまずまず健闘したと伝えられている。同馬はステークス勝馬25頭(4.0%)を送り出した。1992年のリルイーティー(Lil E. Tee)はチャンスはあったが流行りではない血統があだとなった。しかし、ステークス勝馬は20頭で、ステークス勝馬率は驚くべき6.1%であった。

 1993年の気品溢れたシーヒーロー(Sea Hero)はステークス勝馬30頭(5.6%)を出したもののステイヤー血統のために数奇な運命を辿ることとなり、5年後にはトルコに売却された。1994年のゴーフォージン(Go for Gin)は並外れた成功を収めることなく、ステークス勝馬13頭(3%)を出したものの8年後にケンタッキーを去った。

 次に続くのは、1995年のサンダーガルチ(Thunder Gulch)で、ステークス勝馬93頭を送り出し信頼を獲得した。しかし、シャトル種牡馬の典型で、ステークス勝馬率4.1%は、2,262頭の産駒から割り出されたものである。北半球ではステークス勝馬60頭(4.6%)、南半球ではステークス勝馬33頭(3.2%)と、南半球よりも北半球の遺伝子プールとの相性が良い傾向を明白にしているのかもしれない。

 以下は一連の印象が薄い種牡馬が続く。現在オレゴン州にいる1996年のグラインドストーンはステークス勝馬20頭(4.0%)、現在日本にいる1997年のシルヴァーチャーム(Silver Charm)はステークス勝馬15頭(3.0%)、1998年のリアルクワイエット(Real Quiet)はペンシルヴァニアで亡くなったが供用2年目に期待の大きいミッドナイトリュート(Midnight Lute)を出し、現在日本で供用されている1999年のカリズマティック(Charismatic)はステークス勝馬10頭(3.0%)を出した。2000年のフサイチペガサス(Fusaichi Pegasus)は成功した種牡馬とされ、北半球と南半球であわせてステークス勝馬69頭(4.2%)を出した。それに続く2001年のモナーコス(Monarchos)は人気がなくステークス勝馬15頭(3.0%)しか送り出せなかったが、走る血統の1つの選択としてケンタッキーに繋養され続けている。

 2002年のウォーエンブレム(War Emblem)は日本で驚異の8.2%のステークス勝馬率を誇る。ただ問題は2003年からわずか98頭しか産駒がいないことである(うち8頭がステークス勝馬)。
2004年のスマーティージョーンズ(Smarty Jones)はケンタッキーで供用され、7年間でステークス勝馬20頭(5.6%)を送り出し堅実な成績を収めた。しかし、米国経済不況によって種牡馬市場も影響を受け種牡馬生活に支障が出て、現在ペンシルヴァニアに戻っている。

 2005年のジャコモ(Giacomo)は現在までにステークス勝馬12頭(5.2%)を出しており、ケンタッキーで5年供用された後、1年をカリフォルニアで過ごし、再び2013年にケンタッキーに戻ってきた。

 2007年のストリートセンス(Street Sense)は現在までにステークス勝馬9頭(2.5%)を出し良い仕事をしたが、2013年にダーレージャパンで供用されることになった。2008年のビッグブラウン(Big Brown)は競走年齢に達した初年度産駒からステークス勝馬2頭を出し、間もなく種牡馬として成功か失敗かの結論が引き出されるだろうが、時間は刻々と過ぎている。

 1970年代は競馬界および種牡馬市場のまさに黄金期であった。それ以来、数頭のケンタッキーダービー馬は優良種牡馬となったが、その他多くの馬はビッグレースに勝つための武器であったスタミナ要素が重要視されなくなったため不運に見舞われた。しかし、成熟して見える1歳馬や早熟なスピード馬に人気がある種牡馬市場において、クラシック馬には不利な面はあるが、アンブライドルドが証明したように、チャンスが与えられれば、生産界において強い影響を持つ種牡馬になり得る。

By Anne Peters

[The Blood-Horse 2013年5月18日「Kentucky Derby Winners as Sires」]


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