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TOPページ > 海外競馬情報 > クリス・マッキャロン氏へのインタヴュー(アメリカ)【その他】
海外競馬情報
2007年01月12日  - No.1 - 5

クリス・マッキャロン氏へのインタヴュー(アメリカ)【その他】


 神話を生むのは、競馬ではなく人である。ブリーダーズカップの最も偉大なヒーローの記憶をいくら思い起こしても、先週の出会いに匹敵するような感銘を覚えることは無いだろう。ティズナウ(Tiznow)に騎乗してブリーダーズカップ・クラシック優勝を最後に現役を退いてから5年、51歳になったクリス・マッキャロン(Chris McCarron)氏は、夜明け前に起床して未来の騎手たちを鼓舞している。

 マッキャロン氏には、そのように仕事をする必要などない。同氏は7,141勝し、2億6,400万ドル(約303億6,000万円)という記録的な賞金を獲得した。ブリーダーズカップだけでも9勝し、56回入着して1,760万ドル(約20億2,400万円)以上を稼ぎ出している。同氏は、その業績と人格に関して競馬の世界で得られる名誉という名誉の全てを得ている。しかし、マグナ・エンターテインメント(Magna Entertainment)社のサンタアニタ(Snata Anita)競馬場で場長としてやや不満な数年間を過ごした後に、同氏は騎手学校設立のためにケンタッキーに移った。

 我々がインタヴューに行ったとき、同氏はトラクターに乗っていた。この小さなウールの帽子を被ったマッキャロン氏は、11名の小柄な未来の騎手たちが乗ったトレーラーをちょうど運転していた。その日の午後の授業は、放牧場で穴掘りネズミがあけた穴を探して埋めることだった。マッキャロン氏は、ケンタッキーの凍りつくような朝7時には馬房にいる。常に物事に全身全霊を打ち込む人である。

 「これは私の責務ではなく、天職なのです。私は1988年に、ペイザバトラー(Pay The Butler)に騎乗してジャパンカップ(the Japan Cup)で優勝し、ジョッキーズ・シリーズ(WSJS)でも騎乗するために暫く日本に滞在しました。その機会に日本の競馬学校を見て、わが国にも必要だと確信しました。その2年後、両腕と片方の脚を骨折して入院し、ベッドに横たわっている間に、私はこのプロジェクトを実行に移す計画を考え始めました」。

 他の人であったら、このような言い方は説教じみたロマンチズムに聞こえるかもしれない。しかし、マッキャロン氏の話し方、上向きの小さなリスのような顔、見開いた青い目からの眼光、そしてその目の奥からにじみ出る稲妻のような知性は、常に人の心に感銘を与えるのだ。

 今では教授のような鼻眼鏡をかけて、わずかに残る白髪のクロガモのような頭になっているが、内に秘めた改革への熱意は殆ど失われてはいない。

 同氏は批判的に、「皮肉なことに、馬の調教やコンディション作りには多額の資金が投じられるのに、それに乗る騎手の訓練や養成のためには殆ど何もされていません。免許を取得するには、ギャロップでコーナーを曲がる様子をアウトライダー(騎馬監視員)に見てもらい、スターターに発馬のチェックを受けた後、免許を受けるために裁決委員の前に出頭し、その判定をもらうことしか要求されていません。本校の課程は、それとは異なる基準を設けることを目指しています」と言った。

 そういうわけで、彼は一から全てを自らの手で創り上げることにした。1972年に彼自身がそうであったように、小柄で、熱意のある若者11人(この内騎乗経験のある者は半数しかいない)を厳選し、養成を始めたのである。

 「我々は彼らに馬の訓練や競走技術だけでなく財務、コンピューター、メディア論の授業も受けさせています。ここにいる学生たちは、9月に開始した第1学期の最初のグループです。彼らはここで18ヶ月の教育を受けた後、6ヶ月間競馬場において調教師のもとで実習させます。私は彼らに、幻想を抱いてはいけないこと、および全ての者が順調に最後までやり遂げられるわけではないことを忘れてはいけないと常々言っています。しかし年数を重ねれば、最後までやり遂げられる学生も増え、彼らの自覚も高まるでしょう。それが我々の貢献の証しになるでしょう」と述べた。

 この幸運な11人の学生たちは、想像もつかない程楽しい時を過ごしているのだろうと世間は思うだろう。しかし実際には彼らは、トレーラーの荷台で体をぶつけ合いながら、馬の放牧などの仕事をしている。18ヶ月間にわたってマッキャロン氏から1対1の授業を受けることの価値を見出すことができるだろうか。18歳から20歳の若者は、伝説的な人物と毎日行動を共にするだけで本当に騎手になれるとでも思っているのではないだろうか。

 学生たちの庇護者マッキャロン氏は、以下のように語った。「第1週目の終わりに、私は彼らにひどい落馬事故のビデオを何件か見せ、それでもなお受講し続けたい理由を750ワードの作文にして提出するように求めました。学生の中には、受講し続けることに困難を感じた者もいました。そこで私は、ティズナウが続けて出走したクラシック競走のビデオを見せました。馬主や喜んで跳びはねるファンのクローズアップで終わっているビデオです。私は学生たちに、これこそが我々がこの仕事をする理由であり、このように胸が躍るような、人々の生活に大きな喜びをもたらす仕事なのだと話しました」。

 ティズナウは、我々がその日の午後を過ごした教室に並べられた5台の模型馬(Equicizer)の内の1つの名前である。その中央には、マッキャロン氏が騎乗した馬の中で最も有名なジョンヘンリー(John Henry)の、目を引く大きな模型が置かれている。マッキャロン氏は、そのジョンヘンリーにまたがって、2人の学生を両側に置いた鞍に乗せて、最後の追込みのフォームを実演してみせる。それは究極の競馬授業であり、騎手の卵たちを鼓舞しないわけがない。

 教室の外に1本の楓の木があり、その全ての葉が夕日に当たって赤々と光っている。100ヤード先の丘の上にも別れの挨拶をすべき存在があった。隣り合った放牧場でシガー(Cigar)とジョンヘンリーが秋の草をはんでいた。16歳になった今もシガーは、ベルモント(Belmont)競馬場で行われたブリーダーズカップ(the Breeders’Cup)を最後に1995年に引退した時の素晴らしい馬体を、今なおある程度維持している。31歳のジョンヘンリーは、今や小さなモジャモジャの毛をしたポニーのようで、後何年も生きられそうにはない。

 両馬は競馬界にその名を鳴り響かせた最も偉大な馬であるが、所詮は馬である。しかし、クリス・マッキャロン氏がこれまでに為し遂げ、現在為し遂げつつあり、これから為し遂げようとしている事は、人々に新たなものをもたらしてくれるだろう。それは我々に希望をよみがえらせる。

By Brough Scott
(1ドル=115円)

[Racing Post 2006年11月13日「Interview Chris McCarron」]


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