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TOPページ > 海外競馬ニュース > セクレタリアトの馬主ペニー・チェネリー氏が95歳で死去(アメリカ)[その他]
海外競馬ニュース
2017年09月22日  - No.37 - 4

セクレタリアトの馬主ペニー・チェネリー氏が95歳で死去(アメリカ)[その他]


 伝説の馬セクレタリアト(Secretariat)の馬主ヘレン・"ペニー"・チェネリー(Helen 'Penny' Chenery)氏の訃報を受け、米国競馬界は喪に服している。

 米国の報道によれば、チェネリー氏は9月16日にコロラド州の自宅において、脳卒中後の合併症により亡くなった。享年95歳。

 チェネリー氏は米国競馬界の"ファーストレディ"として有名だ。セクレタリアトは1973年に一連の驚異的なパフォーマンスで三冠を達成し、チェネリー氏はそのサクセスストーリーで果たした役割により不朽の名声を得た。

 大きな栗毛の馬体を持ったセクレタリアトは、"ビッグレッド"として知られた。ルシアン・ローリン(Lucien Laurin)調教師が管理し、ロン・ターコット(Ron Turcotte)騎手が騎乗した。ケンタッキーダービーでトラックレコード、プリークネスSでレースレコードを打ち立てた。そしてベルモントSでは、記憶に残る31馬身差の勝利を達成し、世界最速タイムを歴史に刻んだ。これは競馬史上最高のパフォーマンスの1つと言われている。

 デイリーレーシングフォーム紙(Daily Racing Form)によれば、競馬界でのチェネリー氏の影響は数十年にも及び、その名声は次世代の競馬界の女性たちに刺激を与えた。

 チェネリー氏は、セクレタリアトの三冠挑戦で一躍有名人となった。また、同馬の活躍を競馬ファンと一緒に楽しんだことで人気者となり、競馬界で様々な役割を果たして足跡を残した。

 チェネリー氏は、女性として初めてサラブレッド馬主・生産者協会(Thoroughbred Owners and Breeders)の会長に就任した。また、サラブレッド引退馬基金(Thoroughbred Retirement Foundation)の設立に尽力し、米国ジョッキークラブの初めての女性メンバーとなった。そしてこれらの功績から、2006年にエクリプス賞の功労賞を受賞した。

 しかしチェネリー氏は何よりも、1970年以降数十年にわたって競馬界のアンバサダー(代表)であり続けた。

 NTRA(全米サラブレッド競馬協会)のアレックス・ウォルドロップ(Alex Waldrop)理事長は声明でこう述べた。「ペニー・チェネリー氏は、半世紀近く前に驚異的な三冠馬セクレタリアトの馬主となったことや、競馬界のリーダーおよびアンバサダーとなったことで、驚くべき人生を送りました。それは競馬ファンのみならず多くの人々に感動を与えました。幸いなことに、彼女のレガシー(遺産)は今後何世代にもわたり生き続けるでしょう」。

 チェネリー氏は1960年代後半、当時病気療養中だった父クリストファーのメドウステーブル(Meadow Stable)の運営を受け継いだ。そして、兄弟のホリス・チェネリー(Hollis Chenery)氏、マーガレット・カーマイケル(Margaret Carmichael)氏と一緒にメドウスタッド(Meadow Stud)を共同所有した。セクレタリアトが活躍している時期は、離婚して旧姓に戻す前で、"ペニー・トゥウィーディ(Penny Tweedy)"として知られていた。

 チェネリー氏はセクレタリアト(1989年に蹄葉炎で死亡)の他に、1972年にケンタッキーダービーとベルモントSを制したリヴァリッジ(Riva Ridge)も所有していた。

 2010年には映画『セクレタリアト / 奇跡のサラブレッド』(原題: Secretariat)が公開され、有名女優ダイアン・レイン氏がチェネリー氏を演じた。

By Nicholas Godfrey

[Racing Post 2017年9月18日「Secretariat's owner Penny Chenery dies aged 95」]


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