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TOPページ > 海外競馬ニュース > メイ新首相と歴代英国首相の馬主としての経歴(イギリス)[その他]
海外競馬ニュース
2016年07月21日  - No.29 - 3

メイ新首相と歴代英国首相の馬主としての経歴(イギリス)[その他]


 テリーザ・メイ首相とエリザベス女王が、週に一度の会談で国情について議論するのに疲れたときは、いつでも話題を競馬に転ずることができる。なぜなら、新首相は女王陛下と同じく馬主として優勝しているからである。

 キャメロン前首相は率直に発言する競馬界の支持者であった。2015年2月にニューマーケットを突然訪問して、ジョン・ゴスデン(John Gosden)調教師の調教場で朝を過ごし、競馬産業を"壮大なサクセスストーリー"と言い表したこともあった。

 メイ首相の就任により、また1人、競馬界の支持者が権力の回廊に現れたようだ。首相と夫のフィリップ氏は1990年代に、馬主としてリングフィールド競馬場で2勝している。メイ夫妻は友人とともにシンジケートを組んで、ドームパトロール(Dome Patrol)という芦毛のせん馬を所有していた。

 1994年3月、ウィリアム・ミュア(William Muir)調教師が管理していたドームパトロールは、7ハロン(約1400m)のレースで、キム・マクドネル(Kim McDonnell)騎手を背に7-4(2.75倍)の一番人気に応えて初優勝。

 2勝目はジェイソン・ウィーバー(Jason Weaver)騎手の手綱で達成された。競走距離を1マイル1ヤード(約1610m)に伸ばし、単勝オッズは10-1(11倍)。

 それから20年以上経つが、ミュア調教師はメイ首相が競馬を楽しんでいたことを覚えている。

 ミュア調教師はこう回顧する。「首相はご主人とともに2回、競馬を観に来ました。メイ夫妻はロンドンの友人数名とシンジケートを組んで馬を所有していました」。

 「古い付き合いのあった馬主、故ダンカン・ウィルトシャー(Duncan Wiltshire)氏が、彼らに我々の厩舎を紹介してくれました」。

 「ドームパトロールは、一流馬というわけではありませんでしたがまずまず健闘し、2勝をもたらしてくれました」。

 「メイ首相は、競馬を観に来た時はいつもとても楽しそうにされていました。また、お会いしたときはいつも親切でした」。

馬主として成功した英国首相たち

 競走馬を所有していたことで最も有名だった首相は、サー・ウィンストン・チャーチルである。

 チャーチルは、1950年ジョッキークラブカップを制した人気ある芦毛馬コロニスト(Colonist)を所有していた。しかし、「コロニストの生涯獲得金をあてにして生活したくない」ということで、種牡馬になる前に同馬を売却した。

 平和な時期の首相を務め終えた1955年、所有馬のダークイシュー(Dark Issue)が愛1000ギニーを制した。最も活躍した所有馬は、1958年ポートランドHでトップハンデにもかかわらず道中ずっと5馬身差をつけて優勝したウェルシュアボット(Welsh Abbot)であった。

 また、1959年スチュワーズカップ優勝馬チューダーモナーク(Tudor Monarch)、1960年セントレジャーSの3着馬ヴィエナ(Vienna)、ハイハット(High Hat)も所有した。なお、ヴィエナは後に、偉大な競走馬ヴェイグリーノーブル(Vaguely Noble)の父となった。

 1768年から1770年まで首相を務めた第3代グラフトン公爵も馬主として成功し、クラシック競走で5勝(ダービー3勝、オークス2勝)した。

 1852年から1868年まで首相を3期務めた第14代ダービー伯爵は、その祖父第12代ダービー伯爵にちなんで創設されたダービーを制覇できなかったが、クラシック競走で4勝した。

 第5代ローズベリー伯爵は、首相在任期間にダービー優勝を果たした唯一の馬主である。15ヵ月の在任期間中(1894年~1895年)にラダス(Ladas)とサーヴィスト(Sir Visto)でダービーを2年連続で制した。そして、1905年にはシセロ(Cicero)で3回目のダービー優勝を果たした。通算11頭のクラシック勝馬を所有した。

 第2代ロッキンガム侯爵は、世界で最初のクラシック競走を制した。首相を務めた2期の任期の合間にあたる1776年に、アラバクリア(Allabaculia)で第1回セントレジャーSを制したのだ。

 パーマストン子爵はクラシック競走で優勝できなかった。首相として2期目を務めていた1860年のダービーで、所有馬メインストーン(Mainstone)は着外となった。しかし、1841年にイリオナ(Iliona)でロシア皇太子ハンデキャップ、1853年にはバックソーン(Buckthorn)でアスコットSを制した。

By Mark Scully and John Randall

[Racing Post 2016年7月13日「Racing has an ally in Number 10」]


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