TOPページ > 海外競馬ニュース > 日本でも供用されたオジジアン、32歳で死亡(アメリカ)[生産]
海外競馬ニュース
2015年03月25日  - No.12 - 2

日本でも供用されたオジジアン、32歳で死亡(アメリカ)[生産]


 3月14日、G1を数回制して優秀な種牡馬であったオジジアン(Ogygian)は、疝痛の合併症により、安楽死処置となった。彼は、ケンタッキー州ジョージタウンの引退馬施設であるオールドフレンズ(Old Friends)の最高齢繋養馬(32歳)であった。

 オジジアン(父ダマスカス)は、フロリダ州のタータン牧場(Tartan Farms 創設者ウィリアム・L・マックナイト氏)の自家生産馬として競走生活を送った。母は勝馬ゴンファロン(Gonfalon 父フランシスエス)で、10頭の出走馬と8頭の勝馬を出した。G1・2着馬ルッキンフォーザビッグワン(Lookinforthebigone)、ステークス競走2着馬のディギンズ(Diggings)、ムービングショルダー(Moving Shoulder)などである。

 オジジアンは1985年の2歳シーズンは無敗であり、ベルモント競馬場のフューチュリティS(当時G1)を9馬身1/2差で制して、全盛期を迎えた。しかし、その年の12月、調教中に内柵を蹴って負傷し、三冠路線から脱落した。右後肢球節部の骨片摘出術のため、4ヵ月間の戦線離脱を余儀なくされた。

 1986年4月の3歳シーズン初戦で2着となり、再び頭角を現した。その後、ドワイヤーS(G1)、ジェロームH(G1)、リヴァリッジS(リステッド)など4レースで優勝した。その年のトラヴァースS(G1)に向けて調教を積んでいたが、馬場状態が重であったために回避した。

 ペガサスH(G2)で3着になった後、球節部の再手術が必要となり、出走は不可能となる。そして、4歳時は1回のみの出走で引退した。

 ジャン・ネルード(Jan Nerud)調教師に管理されていたオジジアンの通算成績は10戦7勝であり、獲得賞金は45万5,520ドル(約5,466万円)であった。

 オジジアンは、1988年の種付けシーズン前に、ケンタッキー州パリスのクレイボーン牧場(Claiborne Farm)で種牡馬入りした。その後、事故のために左目を失い、1995年に日本のイーストスタッドに売却された。


トップクラスのオジジアン産駒は以下の通りである。
<米国>
G2勝馬:ダイスダンサー(Dice Dancer)、ランブリンガイ(Ramblin Guy)
G3勝馬:ダールヴァント(D’Hallevant)、デジタルダン(Digital Dan)、フラインジェイブライアン(Fly’n J. Bryan)
ステークス勝馬:クワイエットエンジョイメント(Quiet Enjoyment)、デニムヤネム(Denim Yenem)
<日本>
G2勝馬:エイシンワシントン
G3勝馬:バトルライン、タイキダイヤ、フジノコンドル、ジョーディシラオキ
(※フジノコンドルは交流G3で優勝)
 

 オジジアンは17年間供用され、861頭の産駒を送り出して、2005年に種牡馬を引退した。11頭の重賞勝馬を含む473頭の勝馬を出し、産駒獲得賞金は5,200万ドル(約62億4,000万円)以上である。

 現在、4頭のオジジアン産駒が北米の種馬場で供用されている。それらは、コネチカット(Connecticut)、ラブマイエムディー(Love My M. D)、クワイエットエンジョイメントおよびトロピックライトニング(Tropic Lightning)であり、すべて地方を拠点としている。

 オジジアンは、ブルードメアサイアーとして最高の成功を収めた。オジジアンの牝馬が産んだ注目するべき競走馬には、ヨハネスブルグやG1馬のストリートボス(Street Boss)、フレルーシュ(Freluche)、クエスチョン(Question)、ガイジスター(Gygistar)、ヨハンクライフ(Johan Cruyff)、スパルタカス(Spartacus)、そしてBCスプリント2着フレンドリーアイランド(Friendly Island)がいる。

 また、オジジアンは、日本から帰国してオールドフレンズ入りした3頭目の種牡馬である。その前に帰国したサンシャインフォーエヴァーは2014年に死亡し、クリエイターは疝痛のために2月28日に死亡している。

 オールドフレンズは、日本の牧場で種牡馬を引退した元米国競走馬をたびたび受け入れている。最も有名な種牡馬は、昨年12月にオールドフレンズ入りした年度代表馬シルバーチャームである。

 オールドフレンズの会長兼創設者のマイケル・ブローウェン(Michael Blowen)氏は、オジジアンを150万円で購買したと語った。ナーヴィックインターナショナル社のイガラシ・メグミ氏の協力によって同馬は獲得され、2005年8月にオールドフレンズに到着した。

 「オジジアンが初めて到着したとき、競馬ライターのラス・ハリス(Russ Harris)氏から思いがけない電話を頂きました。彼は『数十年来ビッグレースを観てきて、セクレタリアトやシアトルスルーも見ましたが、あなたは最高の馬を所有しています』と言っていました。全く同感です」。

 「この10年間、オジジアンの世話をできたことを光栄に思います。彼は比類なき馬でした」。

By Joe Nevills
(1ドル=約120円)

[Daily Racing Form 2015年3月15日「Ogygian dies following bout of colic at 32」]


上に戻る