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海外競馬ニュース
2014年03月27日  - No.12 - 2

ハリウッドパーク競馬場の閉場に伴いネイティヴダイヴァーの墓を移動(アメリカ)[その他]


 閉場したハリウッドパーク競馬場に埋葬されている優秀な競走馬ネイティヴダイヴァー(Native Diver 父インブロス)は掘り起こされ、南カリフォルニアの新しい墓に移動させられる。

 ネイティヴダイヴァーのオーナーブリーダーの孫リチャード・シャピロ(Richard Shapiro)氏(60歳)は、ロサンゼルスタイムス紙(Los Angeles Times)に対して、ハリウッドパーク競馬場は取り壊され住宅や小売店に取って代られるのにネイティヴダンサーの遺骨を今ある場所に留めておくことを考えたら、堪らなくなったと語った。

 そして、「ネイティヴダイヴァーは競馬界の君主のような存在であり、不動産開発が行われる土地に眠らせ続けることはできません」と付け足した。

 シャピロ氏は、エジプトやトルコの遺跡で発掘を行っていた南カリフォルニア大学の2人の考古学者に協力を依頼した。約12人の学生が3月8日から開始された掘り起し作業に立ち合った。

 手の込んだ墓石を特徴とする墓において、ネイティヴダイヴァーの遺骨はゆっくりと露わになり、トム・ガリソン(Tom Garrison)教授はその姿はあたかも走っているようであったと感想を述べた。

ネイティヴダイヴァーの遺骨はデルマー競馬場に運ばれ、新しい埋葬地が用意できるまで保管される。

 カリフォルニア産馬で初めて100万ドル以上を獲得したネイティヴダイヴァーは34のステークス競走を制し、ハリウッドゴールドカップ最多勝のタイ記録を保持している。せん馬であったネイティヴダイヴァーは1967年に8歳で疝痛で死に、この死は全米の新聞の見出しを飾った。

 ハリウッドパーク競馬場は数年間収入が減少した末に閉場した。

 他の2頭の墓も移動する。1982年最優秀2歳牝馬ランダルス(Landaluce)は誕生の地であるケンタッキー州のスペンドスリフト牧場(Spendthrift)へ移動され、1988年BCターフ(芝G1)の勝馬グレートコミュニケーター(Great Communicator)も移動する。

 開発計画は、260エーカーのハリウッドパーク競馬場跡地を3,000棟の住宅ユニット、25エーカーの駐車場、小売店、映画館を主とするエンターテインメント地区、事務所スペースおよびホテルに様変わりさせるものである。

 ハリウッドパーク競馬場は1938年に映画界の大御所ジャック&ハリー・ワーナー(Jack and Harry Warner)兄弟の指示の下オープンした。エリザベス・テーラー、ジミー・スチュワート、ビング・クロスビーなどの有名人が同場の常連であった。

(関連記事)海外競馬ニュース 2014年No.4「ハリウッドパーク競馬場が閉場(アメリカ)

[bloodhorse.com 2014年3月10日「Native Diver to Receive New Resting Place」]


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